この感情はなに?
良樹たちの中学校には給食がない。そして屋上がいつも開放されているので、彼ら4人はだいたい毎日一緒に屋上でお弁当を食べている。
(このお弁当も毎日薫子さんが作ってくれるのだから、ホントに感謝しかないなぁ)
志保は薫子の作るお弁当が大好きだった。もしかしたら、これが母親の味というものだろうか。
「あのさ、オマエら、なんかあったの?」
急に市原がそう言った。
「オマエらって?」
「川島と槇原さんのことだよ」
「俺と志保が? なんかあったのか?」
「バカなの? それを僕が聞いてるんだけど」
「そう言われてもさぁ、別になにもないし」
「そうかぁ? なんかオマエらさ、今日はヘンにぎこちなくないか?」
「マジで別に何もないけど……何もないよな?」
良樹は志保に話を振ったが、話を振られた志保は市原のセリフにビックリしていた。朝のことが頭にあって、自分の態度に出ていたんだろうか。
「う、うん。何もないけど……」
志保がそう答えると、市原はますます訝しげな顔で彼女と良樹を交互に見る。そして、わざとらしく大きなため息をついた。
「ふーん……まあ、二人がそう言うなら、いいけどさ」
その言い方は、明らかに何かを確信しているようだった。そして、彼は話題を変えた。
「そういえば川島さ、最近女の子と仲良いんだって?」
「いや、何の話だよ」
「知らないの? 川島が浮気してるって、最近噂の的だぜ?」
良樹は、はぁ、と大きくため息をついた。その手の話は、小学生の時に志保と一緒に通学するようになり、やがて一緒の家で暮らしているとバレてからは格好の標的にされた。もう今更いちいち反応するのも疲れる。
「俺は志保以外の女の子と話すだけで、なんでいちいち浮気とか言われんのかね」
「まあまあ、で? 最近仲がいい女の子って誰なのさ?」
市原は、完全に興味いっぱいという表情でそう尋ねた。
「誰のことかわかんねーけど、もしかして隣の席の渡辺のことかな」
その名前に、志保の心臓がまた小さく跳ねる。だが、もちろん良樹は彼女の動揺には全く気づかない。
「席が隣りなら、誰だってなんか話すんじゃねーの? 別に普通だろ?」
「普通なのかなぁ? 結構楽しそうに話してるって聞くけど」
市原は、探るような目で良樹を見つめる。その視線は、ただ友達をからかっているだけのものには見えない。まるで、何かを確かめようとしているみたいな真剣さだった。
「で? 川島は渡辺さんのこと、どう思ってんの?」
あまりにもまっすぐな質問に、志保は思わず息を呑んだ。自分が一番聞きたいこと。でも、絶対に聞けないこと。それを市原が、いとも簡単に口にしてしまった。
良樹は、まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、少しだけ面食らった顔をした後で頭をガシガシと掻きながら答えた。
「どうって……別にどうもこうもねえよ。アイツ、見た目と違って話すと面白いし……色々噂はあるみたいだけどさ、悪いヤツじゃないと思うんだよ、」俺はさ」
―― 悪いヤツじゃない。
その言葉が、志保の胸に重くのしかかる。良樹は否定、してくれなかった。ただのクラスメイトだと、笑い飛ばしてはくれなかった。
「ふーん……」
市原は良樹の答えを聞いて、何かを納得したように短くそう呟くと、それ以上は何も言わなかった。
「何よ市原。川島が渡辺さんと話してるのが、そんなに気になるわけ?」
美咲がそう問いかける。
「別にそんなんじゃないけどさ……ただ、ちょっと気になっただけだよ」
そう言って笑う市原の横顔は、いつものようなカラッとした笑顔ではなく、ほんの少しだけ寂しそうに見えた。
2人きりの帰り道、志保は良樹にこう話しかけた。
「よしくん、最近ちょっと明るくなったね」
そう言われても、良樹には意味がわからない。
「そうかぁ? 自分じゃわかんねーけど、なんでそう思うんだ?」
「だって、今までは私以外の女の子とはほとんど喋らなかったのに、最近はそうじゃないし……」
志保は意図的に渡辺一美の名前を出さなかった。しかしその名前は、良樹の口から出る。
「もしかして、渡辺のこと言ってんのか?」
志保の肩がピクッと動く。自分が意図的に避けた名前を、良樹は何のためらいもなく口にする。
「なんでみんなそんなこと気にするんだ? 誰と誰の仲が良いとか、みんなそんなに気になるものなのか?」
良樹にはわからない。それは彼自身がそういったことに無頓着であり、全く興味がないからだ。
「とにかく、昼間も言っただろ? 話してみたら面白かったって。なんか話が合うんだよ、渡辺とは」
私よりも? という言葉が志保の喉まで出かかった。
「渡辺さんって、私あんまり喋ったことないんだけど、どんなコなの?」
「どうって……色々噂はあるみたいだけど、少なくとも根は素直で面白いヤツだよ」
「話していて楽しいの?」
「まあな。なんか話が弾むんだよ。相性が良いのかもしれねーな」
―― 相性が、良い。
美咲にも言われたその言葉が、今度は一番聞きたくなかった人の口から、残酷なほどあっさりと繰り返された。
志保は、自分以外の女の子と良樹の相性なんて、今まで一度も考えたことなんてなかった。考えたくもなかった。
(だって、よしくんの隣は、ずっと、当たり前のように私の居場所だって、そう信じてたから……)
夕日が良樹の背中だけを明るく照らして、志保の足元には濃くて冷たい影を落としていた。その影は、まるで2人の間にできてしまった、決して越えられない溝のように見えた。




