わたしたちの日常
こんな幼馴染がいたら、人生バラ色でしょうね。
その日の朝も、いつもの朝と何ひとつ変わりはない。2人が何度も繰り返してきた毎朝の風景。今日もそれの繰り返しだ。
「よしくーん。おはよー。もう朝ごはん出来るよ。起きて一緒に食べよ?」
志保がそう声をかけても、良樹は簡単に起きず、なかなか布団から出ようとはしない。
「あぁ? もうそんな時間か?」
布団に潜ったまま、眠そうな声で良樹が言う。
(きっとまた漫画を読んで夜更かししたのね)
もうホントに手がかかるんだから、と思いながら志保は起こし続ける。
「そうだよ。みんなもう起きてるよ。私たちもご飯食べて準備しないと遅刻しちゃうよ? だから早く起きて」
彼女はそう言いながら、布団ごと良樹の身体をユサユサと揺さぶった。それでも良樹が無視して黙っているから、そのままいつまでも揺さぶり続ける。
「また昨夜も夜更かししてたんでしょ。睡眠不足は身体に良くないんだよ? 朝ごはんもちゃんと食べないといけないんだからね。せっかく薫子さんが作ってくれてるんだから、早く起きて一緒に食べようよぉ」
「あぁぁぁ、わかった。起きるから揺するのヤメろ!」
良樹はようやく観念して起きることにした。ここまで揺さぶられたのでは、さすがにもう寝てはいられない。
(毎朝ここまでしないと起きないんだから、ホント困っちゃう)
けれどこの毎朝のやり取りを、志保は心から楽しんでいた。これが私の役目。私がこうしてよしくんを起こして、いつも通りの朝が始まる。この繰り返しが、ずっとずっと続けばいいのに。そうすることでしか、この幸せを守れない気がしたから。
居間に行くと、妹の瑞樹がもう1人で食事をしていた。
「あれ? 兄貴は?」
良樹がそう尋ねると「もう学校に行ったよ。部活の朝練があるんだって」と瑞樹は答えた。
「昨日練習禁止だったから、今日はその分張り切ってたよ」
「兄貴はバスケ馬鹿だからな」
「良にいは、サッカー部なのに朝錬とか無いの?」
「中学の部活で朝錬とか無いだろ。他の学校とかは知らんけど」
「ふーん。まあ朝練あっても、どうせ起きられないから関係ないか」
「大丈夫だよぉ。私が起こしてあげるもん」
「ダメだよ、志保ねえ。志保ねえはさ、良にいに甘過ぎだよ。ほっといて遅刻させちゃえばいいのに」
小学4年生の瑞樹は結構過激なところがある。けれど瑞樹はいつも志保の味方をしてくれる。志保にとっては、血は繋がっていなくても可愛い大切な妹だ。
(瑞樹ちゃんって、ホントの妹みたいですごく可愛いんだよね。大好き)
瑞樹は兄の竜樹の事を竜にい、良樹の事は良にいと呼ぶが、自分のことも同じように志保ねえと呼んでくれる。
(私の事を志保ねえって呼んでくれるの、とっても嬉しいなぁ)
それは、アナタもこの家の一員なんだよ、と毎日確認してもらっているようで……。
毎朝こんな感じでドタバタだけれど、志保は今この時がたまらなく愛おしいと感じていた。
通う中学校までの道のりを、良樹と志保はいつも2人で歩いて行く。中学校までは歩いてだいたい30分くらいかかる。30分は長いように感じるが、志保にとってはあっという間の時間だ。
(私、この時間が一日のうちで一番好きかも)
毎日繰り返されるこの時間。そのたびに幸せを噛みしめている志保だった。
「よしくん、昨夜ベストテン見た?」
志保がそう尋ねると、良樹は呆れたような顔で言う。
「見てないよ。って言うか、オマエ俺が見てないの知ってるだろ?」
「あ、そうだった。えへへ」
彼は、わざとだって、気づいているだろうか。
(よしくんと話したくて、何でもいいからキッカケが欲しかっただけだって気づいてるかな)
もちろん、そんなこと照れくさくて恥ずかしくて言えはしないけれど。
「えへへじゃないっての。だいたいキャンディーズ解散してからベストテン見る気しないんだよなぁ。どうせ1位はピンクレディーだったんだろ?」
「うん、そうだよ。すごいよね、ピンクレディー。CMにもいっぱい出てるし」
一昨年の夏にデビューしたピンクレディーはデビュー曲から大ヒットして、それから出す曲出す曲がみんな大ヒット。今じゃテレビで見ない日はないし、商店街の放送でもピンクレディーの曲ばかり流す。
だが良樹はキャンディーズ派だった。それも、誰が何と言おうとってくらい筋金入りのキャンディーズ派なのだ。
「クラスの中にもファンが多いみたいだけど、俺はキャンディーズ派だからピンクレディーには興味ねーんだよ」
「でもキャンディーズ、解散しちゃったじゃない」
「あー、オマエさぁ、思い出させるなよ。俺、まだ立ち直ってないんだぞ?」
「あ、そうだったっけ。ゴメンね」
本当に落ち込んだような顔でため息をつく良樹の姿を見て、志保は思わずクスクス笑ってしまう。好きなアイドルがいなくなって本気で悲しむなんて、なんだかよしくんらしいな、と思いながら。
「解散コンサート、行きたかったんだよなぁ。後楽園だからそう遠くはなかったのになぁ。まあ中学生が1人で行くってのも無理があるっちゃあるのかもしんないけどさ」
「薫子さんにダメって言われたんだっけ?」
「ダメっていうか、小遣いじゃチケット代に足りないから金くれって言ったら、バカって言われて終わった」
「薫子さんって、時々面白いよね」
「面白いって、俺がバカって言われただけじゃん。何がそんなに面白いんだよ」
「あ、そういえばよしくん、昨日の宿題ちゃんとやった?」
「宿題? なんかあったっけ?」
「えーっ? 覚えてないの? 数学の宿題出てたじゃない」
「あ、そうだっけ? じゃあ後で写させてくれよ」
「ダメだよぉ。それじゃ宿題の意味無いじゃない」
志保は良樹の要求を珍しく断った。減るもんじゃないんだからケチケチすんなよ、と言われても「いつもそうじゃダメだよ!」 と言って。
「薫子さんにも、いつもいつも甘やかしちゃダメよって言われてるんだもん。だから今日はダメ」
「なんだオマエ、母さんと結託してんのかよ」
良樹の顔がどんよりと曇りだした。彼はイヤミったらしい数学の奥田先生のことがキライなのだ。
「怒られるのがイヤだったら、ちゃんと宿題すればいいのに」
「怒られるのも宿題するのも、俺はどっちもイヤなんだよ」
良樹は、通学用ショルダーバッグのベルトをおでこにかけて歩きながらそう言った。
「そんな子供みたいなこと言わないの! 私たちもう中2なんだから、ちゃんと勉強しないと来年受験なんだよ?」
そう、2人は中学二年生。来年はもう高校受験だ。
「ねえ、よしくん」
「あん?」
「高校も、一緒のところに行こうよ」
その言葉に、良樹の足がピタリと止まった。
「はぁ? 何言ってんだ、オマエ」
「だって、高校も一緒だったら楽しいじゃない」
「ヤダよ、そんなの。だいたい、オレとオマエじゃ成績が違いすぎるだろ」
良樹はそう言って、またスタスタと歩き始めてしまう。その背中が、志保にはなんだかいつもより遠くに見えた。彼女は慌てて後を追いかける。
「どっちみち俺は都立しか行けないし」
「別に都立でもいいじゃない。私も都立校に行くつもりだし」
「あれ? でもオマエ、私立に行ってもいいんだからねって言われてたじゃん。オマエの成績だったら私立でもけっこう良いトコ行けるんだろ?」
「かもしれないけど、でもやっぱりそうもいかないし……申し訳ないもん」
「なんだオマエ、もしかして父さんと母さんに気ぃ遣ってんの? たぶんそれ逆効果だと思うぞ」
「そうかもしれないけど……」
「まさかオマエ、いまだに血がつながってないとか気にしてんのか? ウチじゃ誰もそんなこと気にもしてねえのに」
志保にもわかっている。川島家の人たちはそんなこと気にしていないだろう。自分が頼めば喜んで私立の高校に行かせてくれるはずだ。
けれどそれでもやはり、できるだけお金の負担をかけさせたくないと彼女は考えていた。
「私は、高校もよしくんと一緒に行きたいな……」
「俺の成績をオマエのレベルまで上げろってかい」
「今から一緒に頑張れば、絶対間に合うよ! 私、教えるから!」
「無茶を言いますのぅ、志保さんや」
良樹は全然本気で聞こうとしない。一緒の高校に行こうよ……それが彼女の心の底からの切実な願いだということに、全く気づいてはいない。ただ、いつもの冗談の延長だと思っている。
その無邪気さが志保にとって、今は少しだけ残酷だった。
チクリ、と。
志保の胸の奥で、小さな、けれど確かな痛みが生まれた瞬間だった。
お読みいただきありがとうございます。これから続々と魅力的なキャラが登場していきます。お楽しみに。




