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砕け散る恋心

 美咲の家を出て、志保は1人で家に向かっていた。もう日が暮れて真っ暗になってしまったけれど、美咲の家から自分の家へ帰るにはずっと商店街を通るから、暗くなっても安心だった。彼女は人混みの中を1人でテクテク歩いていた。

「あれ!? 槙原さんじゃない!?」

 ふいに後ろで誰かが名前を呼んだので振り向くと、そこには市原慎司がいた。自転車に乗って。

「今帰り? 随分遅いじゃん」

「今日は美咲ちゃんの家で中間テストの勉強してたの。勉強終わってから話してたらこんな時間になっちゃった」

 市原は自転車を降りて、押しながら志保と一緒に歩き出した。

「ねえ、市原くん」

「ん? 何?」

 志保は市原に質問してみることにした。男の子の気持ちを少しでも知りたいな、と思ったから。

「市原くんは好きな女の子とか、いる?」

「えっ!? 何その質問。急に何を言い出すのさ!」

「あ、ゴメンね急に。実は美咲ちゃんと好きな人に告白した方が良いかどうかって話をしててね、それで男の子はどうなのかなって思って」

「……勉強してたんじゃないの?」

 志保はさっきまで美咲としていた会話をかいつまんで説明した。もちろん例え話として。

「あー、なるほど。そういう状況かぁ。それは難しいよねぇ」

 市原はそう言って考え込んでしまった。意外と真剣に考え込むその姿を見て、志保は少し驚いた。もしかしたら市原もそんな状況なのかな? などと思ったりした。

「うーん……そうだなぁ、僕もその立場だったら……やっぱり怖くて言えないかなぁ」

「市原くんもそうなんだ……あれ? でも市原くんって、そもそもそんな片想いにはならないんじゃ」

 そう言ったら睨まれてしまった。自分は、何かヘンなこと言ってしまったのだろうか。

「あのね、そりゃまあ自分で言うのもアレだけどさ、女の子に告白されることは結構ありますよ。ありますけどね、それとこれとは話が別だと思うよ」

「別なの?」

「当たり前じゃん。自分が好きなコから告白されたらそりゃあ嬉しいけどさ、全然何にも知らないコから言われてもねぇ……困るとは言わないけど、やっぱり、ね。じゃあ付き合いますとはならないよ」

 ふーん、そういうものなんだ、と志保は思った。自分は男の子から告白されたことがないから、よくわからない。

「そんなにモテる市原くんでも、やっぱり相手も自分の事を好きだっていう自信は持てないの?」

「持てるわけないじゃん。僕、そんなに自惚れてないよ」

 市原は「下手に自分の気持ちを伝えて失敗したらって考えると怖いじゃん」と続けた。それは志保と同じだ。

「逆にそんなに自惚れられるなら、とっくの昔に告白してるよ。そうじゃないから言えないんじゃん」

「……ってことは、好きなコいるんだ?」

 市原は目を丸くして「しまった!」って顔をした。ついうっかり口を滑らせてしまったのだろう。なんだかゴニョゴニョ言い訳している。

「そのコって、私も知ってるコ?」

「言うわけないじゃん! もうこの話は終わり! 終わりね!」

「えーっ? 聞きたいのにー」

「言いません!」

 市原は口をつぐんでしまった。志保は決してからかったわけではないのだが。

「で? そういう槙原さんはどうなんだよ。好きな人に自分の気持は伝える派? それとも黙ってる派?」

「私? 私は、そうだなぁ……やっぱり私も同じかな。相手も自分を好きだっていう確信が持てないと、やっぱり怖くって言えないかなぁ」

「だよねぇ。もし断られたらって考えたら躊躇しちゃうよなぁ」

「うんうん、わかる。今うまくいってたら尚更そう思っちゃうよね。告白して断られたらもう今まで通りにはいかないんじゃ? って考えちゃうもん」

「そしたら絶対後悔するもんな」

「よかった。そんな風に思ってるのは私だけじゃないんだ」

 だが志保の頭の中には、美咲に言われた言葉がずっとこびりついてる。グズグズしてると取られちゃうんじゃないの? という言葉が。


「あれ? あそこに居るの川島じゃない?」

 市原がそう言って指差した方向には、確かに良樹とよく似た人が歩いていた。

「えっ? でもよしくんはとっくの昔に帰ってるはずじゃ?」

 その人物は、何だかフラフラしている。2人は良樹に似たその人物のところまで少し歩みを早めて近寄って行った。

「あ、やっぱ川島じゃん」

「よしくん! どうしたの? もう帰ったんじゃなかったの?」

 声をかけられた良樹は、やはりなんだかボーッとしている感じだった。心なしか目の焦点も合っていない。

「あれ? 市原と志保じゃん? どうしたん?」

「どうしたのはコッチのセリフだよ。こんな時間に商店街で何してんの?」

「商店街? あ、あれ? 俺なんでこんなとこ歩いてんだ?」

 良樹はようやく我に返ったようだった。

(どうしたんだろう。何かあったのかな)

 志保は心配になって尋ねた。

「よしくん、大丈夫? 帰りに何かあったの?」

「帰りに何か? 帰りに、何か……あったな。うん、多分あった」

「多分って、なんだよソレ。なんか川島、顔がポーッとして紅くないか?」

 確かに良樹の頬は少し紅い。

「よしくん、まさか風邪ひいて熱が出てきたわけじゃないよね?」

「あ、いや、その、実は今日は帰る途中で渡辺に会って一緒に帰ったんだけどさ」

 渡辺という名前が出た途端、志保の身体はまたビクッとなってしまった。隣りの市原は市原で何か複雑な表情をしていた。

「で、一緒に帰って、それでどうしたってんだよ?」

「渡辺に、神明社で告白されちゃった」

「「えっ!?」」

 志保と市原は思わず声を出してしまった。キレイにハモって。

「えっ? えっ? マジで? 渡辺って、オマエの隣りの席の渡辺さんだろ? 1年の時に俺らとも同じクラスだった、あの渡辺さんのこと?」

「そう、その渡辺。渡辺一美に告られちゃった。神明社で話してたら、カノジョに立候補していいかって言われて」

「マジか? それで? 返事はしたのかよ?」

「したよ。したに決まってんじゃん。女の子が勇気を出して告白してんのに恥かかせらんねえだろ? OKしたよ。それに俺も前から渡辺のこと良いなって思ってはいたんだから」

「……そっか……よかったな、川島。おめでとう……」

 市原はそう祝福していたけれど、やはり微妙な表情だった。なんだか心の底から喜んでいるわけではないように見える。

 志保はといえば、2人の会話を横で聞きながら、手にしていた通学バッグを落としてしまっていることにも気づかないくらいに、ただただ呆然としていた。

(渡辺さんが告白? よしくんに? それをよしくんはOKしたって言ったよね? 前から渡辺さんのことを良いと思ってたって言ったよね?)

 ウソだと思いたかった。夢だと思いたかった。でも違う。ウソでも夢でもなかった。

 現実の出来事であるを理解した時、彼女の頭に浮かんだのは美咲の言葉だった。けれど、まさかついさっき話していたことが現実になるなんて……もう遅かっただなんて……夢にも思わなかった。

「槙原さん、カバン落としてるよ? 大丈夫?」

 市原にそう言われて、志保はようやく我に返った。ただ、それからどうやって家まで帰ったか、あまりよく覚えていない。気がついたら家にいたような感じだ。

 ただハッキリ覚えているのは、その時自分の頭の中は「これからどうなっちゃうんだろう」という想いで一杯だったことだ。心配した薫子に「何かあったの? なんだかヘンよ? 大丈夫?」と何回も言われるくらい、志保は不安で一杯になっていた。


 夜、布団に入ってからも、志保は良樹の言葉を何度も何度も繰り返し思い出して、なかなか寝付けなかった。

(告白されてOKしたっていうことは、要するに……そういうことだよね)

 男の子と付き合うということがどういうことなのか、どんなことをするのか彼女にはよくわからない。例えば自分と良樹が付き合うことになったとして、彼女が良樹のカノジョという立場になったとして。

(それで今までの私たちと何か変わるんだろう……)

 志保にはそれがよくわからない。たぶん何も変わらないと思うから。

 でも1つだけハッキリわかるのは、これから良樹のそばにいつも居るのは、自分ではなく渡辺さんになるんだろうなっていうこと。それは逆に言えば、自分はもう良樹の隣りには居られなくなるってことだ。

「こんなことになるなんて夢にも思わなかったよ」

 美咲に言われた言葉が、何度も頭のなかでリフレインした。

(こんなことなら私からもっと早くちゃんと気持ちを伝えておけばよかったな)

(私がグズグズしていたのがいけなかったのかな)

(これからどうなっちゃうのかな。もうあんまり喋ることも出来なくなっちゃうのかな)

 何がどう変わるのかがわからないだけに不安も一層つのる。隣りに居ることが当たり前だった良樹。ずっと一緒に居られると思っていた良樹。でも明日からは自分たちの間に違う人が入る。そう考えると、志保はそれだけで涙ぐんでしまうのだった。


「あ、志保。今日は渡辺と一緒に帰るから、待ってなくていいぞ」

 変化が起きたのは、その一言からだった。その言葉を言われた時、目に映る教室の風景が歪んで見えて、良樹の声がやけに遠くに聞こえた気がした。

 良樹が告白された翌日、朝は一緒に登校したけれど志保はどんな顔をしたらいいのかわからなくて、何を話したらいいのかわからなくて、いつもみたいに話が弾まなかった。そんな自分を良樹も、途中で合流した市原も心配そうに見ていたけれど、自分でもどうしようもなかった。

 そして2時限目の授業が終わった後、良樹は志保の席まで来て。今日は渡辺と帰るからと言った。待ってなくていいぞというその言葉は、志保には先に帰れと言ってるようにしか聞こえない。

(ああ、きっとこうやって少しずつ今までと変わっていっちゃうんだな)

 彼は今日はと言ったけれど、それはもちろん今日だけのはずがなく、これからずっとという意味だろう。

 でも、だからと言って自分のこの気持を露わにするわけにはいかない。特に家に帰ったら絶対に。

(そうじゃないと薫子さんが心配しちゃうもの。樹さんも竜樹さんも瑞樹ちゃんも気にしちゃうかもしれないもの)

 志保にとって川島家のみんなは、本当に心から大切な存在だ。そんな人たちを失いたくないし、傷つけたくないし、みんなの気分を害すような真似は、やはりしたくない。

 だからきっと、自分のこの想いは自分の中だけに留めておくのが一番良いんだ。辛いけれど、悲しいけれど、そうした方が良いんだ。志保は無理やりそう自分を納得させるのだった。


 終業のチャイムが鳴り帰り支度の終わった頃、良樹が志保のところに来て「気をつけて帰れよ」って声をかけた。

「うん。よしくんもね」

 そう答えるのが精一杯だった。良樹は待っていた渡辺と一緒に教室を出て行く。教室内が少しザワついた。

(気をつけて帰れって……今まではよしくんが守ってくれたじゃない……だから安心してたのに)

 わかっている。そんなことを考えてしまうのは間違っているとわかっている。

 けれど……やはり仲良さげに連れ立って帰って行く2人を見ると、とても寂しくて泣きたくなる。そこは私の居場所だったのに、と思ってしまう。

「ちょっと志保、どうしたの? 川島とケンカでもしたの?」

 美咲が慌てて飛んできてそう言った。

「ケンカなんかしてないよ。ただ……」

 それ以上何も言えなかった。

(言いたくないよ……)

 言ったら総てを認めてしまうような気がして、きっと心のどこかで受け入れることを拒んでいるのだろう。美咲はすぐに察してくれたようで、それ以上何も言わなかった。その日、志保は美咲と一緒に帰った。

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