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魂の三重奏

作者: 中山俊文

 イザール・ギルトマンは半世紀以上にわたってヴァイオリン界の巨匠として世界中のコンサートホールで演奏してきた。八十歳をすぎた今も、現役としてステージに立っている。その演奏はさすがに年齢を感じさせるようになってきているが、演奏会のチケットはそこそこ売れていた。興行主たちも、彼の偉大な名声と、いまなお内面に燃えるものをその演奏に見せることで聴衆を集める力を持っていると思っていたし、全盛時代の彼を知る熱心なファンは、ギルトマンの名を聞けば遠方からでもコンサートに集まるのであった。

 彼自身は演奏中に舞台で死ぬことを理想としていたので、引退ということは考えていなかった。しかし、体力的に演奏回数は減り、かつては地球上のどこであろうと苦にしなかった演奏旅行も、遠い国に出かけることはめったになくなっていた。

 イスラエル出身者独特の、魂で音楽を奏でるタイプの演奏家であるギルトマンは、全盛期でも傷のない美音で聴衆を魅了するといった演奏スタイルではなかったが、年齢とともにますます心をむき出しにしてヴァイオリンから音楽を搾り出すといった傾向を強めてきていた。それも、しなやかな肉体を維持している間は、彼の意図するところは、そのまま聴衆に伝わったが、肉体がしなやかさを失ってくるにしたがって、しばしばぎこちなさや乱暴さだけが目立つようになってきていた。それには不運も手伝っている。七十歳をすぎたとき難病に罹り一年近くも入院生活を余儀なくされたのである。

 彼の強靭な生命力は病を退け、驚くべき意志の力で演奏の現場に復帰を果たした。しかし、その病は彼の背骨を大きくひん曲げた。上体は左肩が下がった形に曲がり、これはヴァイオリニストとっては致命的な障害と思われた。周囲のものはみなこれを機会に引退するだろうと思ったが、本人だけはそんなことは露ほども考えていなかった。そして、リハビリと猛練習とによって奇跡といわれる演奏活動再開を果たしたのである。それこそ復帰への執念というべきであろう。

 病に倒れてキャンセルした演奏会からちょうど二年目の同じ日に、同じホールで、おなじプログラムによる復帰第一回の演奏会を行ったのである。


 それからさらに十年近くあらたなキャリアが付け加えられているのだが、先にも書いたように、残り火の燃焼がたまに見られることと、高齢にもかかわらず精力的に全身で表現する姿によって、賞賛を得てはいるものの、すでに過去の人という印象は誰の目にも隠しようがなかった。

そうして世間から徐々に忘れられ始めたギルトマンのために、日本のある音楽企画会社が、彼をメンバーに加えたピアノ三重奏の演奏会を企画した。そして彼以外の二人、つまりピアノとチェロには現在実力、人気ともに最高の演奏家を組み合わせるという企画であった。

 これを提案したプロデューサーの原田は、魂を揺さぶるような演奏をするこのイスラエルのヴァイオリニストを心から尊敬しており、何とかもう一度この人の完全燃焼の場を作りたいと考えたのである。現役を続けているとはいっても年令を考えると、はやくしないとそのような企画のチャンスは永久に失われる。原田は是非とも出来るだけ早い時期に実現したいと考えていた。

 しかし、企画会議にこのアイデアを出した時には、予想通り猛反対を受け、笑いものにさえなった。そもそも老大家と付き合わされる若い方の二人、しかも原田の言う条件に適うような演奏家が、そのような共演を引き受けるはずがないと言うのが反対の主な理由であった。

実際、一流の演奏家たちは、自分がトップレベルであることを自覚すればするほど、共演者が誰であるか、どんなレベルの、どのような評価を受けている演奏家なのかを問題にするのがこの世界の常である。

 原田は、もちろんこのアイデアを会議にかけるまでに、その実現性を内々に調べていた。たしかに打診した何人かの一流といわれる演奏家たちは、ギルトマンの名前を聞くと申し合わせたように、光栄なお話なのでまことに残念だが、と前置きしながらスケジュールの都合が付かないことを理由に、断ってきた。もちろん原田もこの業界の人間である。そのような売れっ子たちの主だったスケジュールは調べた上での打診であったが、もっともらしい理由による丁重な辞退であった。辞退の理由が本当であるにせよ、だれもがその老大家の名前を耳にしただけで、背中のひん曲がった枯れ木のような老人が、態度だけはでかく、ロマンティックなフレーズもおかまいなしに乱暴に弾き飛ばすイメージを思い浮かべるのであった。

 しかし、原田は諦めずに根気よく共演者を探した。まず共演してもいいと言うチェリストが見つかった。マウリッツィオ・ポーロである。ポーロは、いま世界で最も評価が高いといって過言ではないイタリアのチェリストである。たまたま原田の同僚のプロデューサーが担当するコンサートツァーのために来日することが決まっているのだった。ポーロなら実力、人気ともに問題なしと踏んでいたのに、思ったほどコンサートの引き受け手が集まっていないのだった。フランス育ちの中国系チェリストや、ロシア出身でキリスト顔のユダヤ系チェリストのように、毎年のように来日しているのに、目の飛び出るほど高いチケットが完売を続けているという風には行かないようである。したがって、日程の調整も何とかなりそうである。本人がいいと言うのだから、プロデューサー同士の了解は問題なく付いた。

 ピアニストはこれまでに自分が企画した演奏会に出演した中から当たったところ、ひとり是非共演したいと言うピアニストが見つかった。輝かしいコンクール歴を持ち、実力は勿論、人気の点でも非常に高い日本の女流ピアニストの第一人者小谷有紀である。原田は、共演者に当たりが付いたところで、再び企画会議に提案した。今度は、すんなりと企画は通った。

 しかし、これを実現させるためには、三人のソリストの日程を調整するという困難な仕事が残っている。特に今回はすでにチェリストの日本ツァーの日程がほとんど決まっており、後の二人の日程をこれに合わせる形になる。日程の調整の段階で実現不可能になる企画は珍しくない。原田は演奏家三人はもとより演奏会場などとの気の遠くなるようなやり取りの結果、二回のリハーサルと本番の日程と、それぞれの会場の確保にこぎつけた。


 イスラエルの老ヴァイオリニスト、絶頂期のイタリア人チェリストそれに日本を代表する女流ピアニストの三人によるリハーサルは、それぞれの多忙な日程の合間を縫うようにして本番の五日前と前日の二回行われることになっている。あとは本番当日のゲネプロである。

本番五日前の午後、原田が準備した練習スタジオで三人は始めて顔を合わせた。

 若い二人の演奏家は、老大家ギルトマンについてそれなりの知識を持っていた。特にポーロは、同じ弦楽器奏者としてギルトマンを尊敬しており、演奏会で聞いたこともあるのだった。完全に独自の世界を作り上げている巨匠らしく、評判も何も気にしない入魂の演奏ぶりを気に入ってもいた。だから、今回の話を彼は大変喜んだのであった。

 小谷の方は、一応大家として名前を知っていて、ギルトマンのCDを持っていると言う程度だった。ギルトマンの方はといえば、ポーロの評判は聞いているので共演できて嬉しいと言ったが、小谷については名前を聞くのも初めてということであった。

 三人は、初対面の挨拶をにこやかに交わした。老大家は、美しいピアニストをひと目見て、すっかり気に入ったようであった。それもあってか、練習中も上機嫌で、和やかな雰囲気のスタートとなった。

 颯爽と背筋を伸ばした若い二人に対して、老大家はがっしりした骨格を持ってはいたが、背は低く前にも書いたとおり背中は曲がり、足も万全ではないらしく左足をやや引きずるように歩いた。おまけによれよれのうわっぱりを着流しているので、一層風采が上がらなかった。三人はこの日練習に当てられている四時間の使い方を簡単に打ち合わせるとすぐに練習に入った。世界を舞台に活躍する人たちは実質的だ。

 ギルトマンは誰よりも早く楽器を取り出すと、忙しく調弦をはじめた。そのやり方はいささか乱暴であり、喧しくさえあった。彼はヴァイオリンを試し弾きしながらスタジオ中を歩き回った。他の二人もそれぞれ準備ができていよいよ初めて曲を合わせる段になった。

 演奏会のメインプログラムとなるのは、ギルトマンの希望もあってチャイコフスキーの『偉大な芸術家の思い出に』と表題のついた三重奏曲で、演奏の難しさでも知られている曲である。コンサートでは、三人による演奏はこの三重奏曲だけで、他にはヴァイオリとチェロがそれぞれピアノの伴奏で独奏曲を弾くことになっている。

 三重奏の練習が始まった。ピアノが静かに前奏を始めるとすぐにチェロがチャイコフスキーらしいメランコリックなメロディを夢のような音色で奏でる。やがてヴァイオリンが引き継いで同じメロディを弾く。チェロに比べて如何にも雑な弾き方に聞こえる。少し先まで進んだところで、ギルトマンは弾くのをやめ、

「よし、この調子でいこう」と言って、ぱらぱらと自分の楽譜をめくった。国籍の違う三人の練習は英語で進められた。

ギルトマンは、ずっと先の練習番号のところを示して、二人に促した。初合わせでは、お互いの音楽の傾向がわからないし、楽譜があるとはいえ、曲をどう弾くか、つまり曲の解釈も三人が同じということはないので、とりあえず全曲通すのが常識と考えていたポーロと小谷は少し戸惑った。しかしその場は、老大家に従った。今度もしばらく弾いただけで、

「オーケイ・・・」と言ってあわただしくページをめくり、次の箇所をみなに指示した。このように数箇所をつまみ食いのように弾いただけで、

「素晴らしい、今回皆さんとアンサンブルできて光栄です」と言いながら、三重奏曲の譜面を閉じてしまった。その間わずか三十分足らず。そして、ソロの曲の練習に入ってもいいかとみなに聞いた。原田が三重奏の練習はそのあとにするのかと聞くと、それは今終わったではないかという返事が返ってきた。

 ヴァイオリン独奏曲の練習に入った。ポーロは、原田にひとこと耳打ちしてから、立ち会っていたツァー担当のプロデューサーと部屋を出て行った。

 原田は、ギルトマンのマネージャーから託った数曲のヴァイオリン曲のピアノ伴奏譜を小谷に渡してある。小谷がそれらの楽譜を取り出すとギルトマンは、

「これ」と、その中の一曲を指で示した。その曲から練習を始めようと言うのである。クライスラーの小品であった。軽快な動きの愛らしい曲である。ギルトマンは冒頭の主題をごく普通の聞きなれたテンポで弾き始めたが、主題の後半の下降音形を滑り台から勢いよく滑り降りるように目にもとまらない速さで弾いた。小谷はあまりにその変化が極端だったのでついていけなかった。ギルトマンはにやりとして演奏をやめると、

「私はそのときの気分でどう弾くかわからないので、合わせてください。集中して一緒に音楽を進めていれば、あなたには私がどう音楽を進めるかが必ずわかります」と言い、さらに続けて、

「お渡しした曲は、どれも知っていますか」と訊ねた。小谷が一応どの曲も知っているし、弾いたこともると言うと、

「オーケイ、では今日の練習はこれでいいですね」と言って、さっさと楽器を片付け始めた。小谷が、

「では次はコンサート前日のリハーサルですね」と言うと、

「私は前日の練習は必要ありません。あなたはどうしても必要ですか」と訊き返した。小谷が口篭っていると、ギルトマンは、

「では、コンサートの日にお会いするのを楽しみにしています」と言って、さっきから部屋の隅の椅子に腰掛けて待っていた彼の世話役の若い女性に、

「私のホテルに案内してください」と言って、部屋を出て行ってしまった。

ヴァイオリンの練習があまりに早く終わったので、慌てて戻ってきたポーロが、楽器の準備をしながら小谷に、ヴァイオリンの練習の様子を流暢な英語で訊いた。小谷が、三重奏の場合と同じでほとんど弾かなかったと答えると、ポーロは、

「ああいう大家は本番の演奏を緊張感の高いものにするために、わざとあのようにする場合があるから、われわれも神経を研ぎ澄ませて三重奏をいい演奏にしましょう。しかし、われわれはせっかく時間があるようだから、たっぷり練習しましょう。というよりアンサンブルを大いに楽しみましょう」と言うのだった。二人は、本番で弾くピアソラの曲の練習を始めた。


 本番までもうリハーサルはいらないと言っていたギルトマンからの連絡が、原田のところに入ったのはコンサート前日の朝だった。やはりリハーサルをしたいと言うのである。原田はあわてて小谷とポーロに連絡した。幸いに二人とも別の予定は入れていなかった。

 三人は、前回と同じスタジオに集まった。今度はすべての曲を終わりまで通し、いくつかの箇所は戻して練習した。ギルトマンの極端な、よくいえば大胆な表情付けのために合わないところは随所に残った。それでも、小谷とポーロにとっては、一通り全曲弾いたことでかなり安心できたのであった。

 

 演奏会当日、三人は打ち合わせどおりの時間にホールに集まり、ゲネプロに取り掛かった。このときも、はじめての練習のときと同様、ごく簡単にホールの響きなどを確かめただけで、リハーサルは予定時間の七割を残して終わった。この段階になっても小谷は、あらかじめ渡されているヴァイオリン独奏曲の楽譜のどれを本番で弾くのか決められていなかった。本番では二曲弾くということだけがわかっていた。ギルトマンはその場で決めると言うのである。


 演奏会は満員の聴衆を集めて始まった。プログラムの最初は、ポーロが小谷の伴奏でピアソラのタンゴを一曲弾いた。さすがにいま油の乗りきった名手と思わせる見事な演奏で、聴衆の気分を早くも乗せてきた。

そして老大家がヴァイオリンを左脇に抱え、弓を持った右手を大きく振りながら、美しいピアニストを伴って舞台に現れると、会場は大きな拍手で二人を迎えた。

 荒っぽく調弦をすませたギルトマンは、いきなり聴衆に向かって、

「愛の歌から始めましょう。『愛の悲しみ』、クライスラーの作品です」と言った。もちろん英語である。それを聞いて、小谷はいそいで開いていた楽譜を差し替えた。事前の打ち合わせもなかったので、別の曲の譜面が乗っていたのである。ギルトマンがあまりにも感情を込めて、あまりにもゆっくりとしたテンポで、間を取りながら弾くので、小谷は懸命に流れを汲み取ろうとしながら合わせるのだった。二曲目はピアノの譜面立てに並べられた残り四曲の楽譜の中から、あれこれ迷いながらギルトマンは一曲を指定した。そしてまた聴衆に向かって、

「こんどもクライスラーの曲で、『美しいロスマリン』を弾きます」と言うとすぐにヴァイオリンを構えた。小谷はまたあわてて楽譜を開いて、ヴァイオリンの第一音に間に合わせた。耳をそばだて、ヴァイオリニストの動きをうかがいながら伴奏する小谷をしりめに、ギルトマンは自由自在に曲の気分に身を任せて弾き終えた。二曲の予定だったので、ギルトマンとともにやんやの喝采にこたえた小谷が退場しようと向きを変えたとたん、ギルトマンにとめられた。小谷はうながされてもう一度ピアノの前に座った。ギルトマンはピアノの上の譜面をめくりながら、また曲を選び始めた。もう一曲弾くつもりなのだ。なかなか決まらない。聴衆のほうを振り向いて、ちょっと待ってね、というようにちょこんと頭を下げて、また曲を選び始めた。やっと決まった曲は、サラサーテの『ツィゴイネルワイゼン』であった。これまでの二曲以上に自由な雰囲気を持ったジプシー風の曲なので、さすがの小谷も随所でヴァイオリンとずれた。そして猛烈な勢いで盛り上がって終わる最後の音は完全に二人別々になってしまった。小谷とギルトマンは顔を見合わせると、改めて最後の一音を、今度は同時に鳴らした。会場がどっと沸いた。ギルトマンは小谷の肩を抱きながら拍手に答え、満足そうに退場した。

 良くいえば型どおりの演奏にない面白さではあったが、まじめに評するならややハチャメチャな演奏である。だが、それなりに聴衆を喜ばせる前半であった。


 プログラムの後半はチャイコフスキーのピアノ三重奏曲である。演奏時間が四十分以上の大曲で、しかも作曲者が、自分の尊敬する大音楽家の死を悼んで書いた音楽である。前半のギルトマンの演奏振りからみて、いったいどんな演奏になるのか想像もつかない。その意味でも聴衆は不思議な期待感を持って演奏を待った。

 ピアノの静かな前奏に続いてチェロが夢のように美しい弱音で憂愁に満ちた歌を奏した。聴衆は早くもここで心をつかまれた。やがてヴァイオリンが同じメロディを引き継ぐ。チェロに比べると明らかにぶっきらぼうだ。しかし、演奏が進むにしたがって、ギルトマンの表情が引き締まってきた。音楽の中に入り込んできたのである。もはやそこにいるのは皺だらけで歪んだ肉体の老人ではなく、音楽の化身が、物語るように音を紡ぎだしている姿である。他の二人も、いまは老大家に合わせようと苦労している共演者ではなく、音楽の流れに身を任せきって演奏している。小谷の、音楽に心を揺さぶられながら弾く表情が美しい。ポーロもギルトマンと心がひとつになっている。チェロがヴァイオリンに合わせるだけでなく、ヴァイオリンもチェロに呼応しながら歌っていく。神が彼等の肉体を借りて、音楽を作り出しているとしか言いようのない雰囲気がホールの広い空間を支配していた。会場は水を打ったようだ。すべての聴衆が今鳴っている音楽の世界に入り込んでいるのだ。

 冷静になって細かいことを言えば、曲の途中でギルトマンがヴァイオリンを構えなおすような予測外の動きをしたために、小谷が次を弾きはじめるタイミングを失って待ってしまうような場面もあったのだが、完全に演奏者と聴衆の中に大きな流れとなっている音楽にとって、些細なことは何の障碍にもならない。

 聴衆の心をしっかりと捉えながら曲は、長いながい終幕の余韻を残して消えていった。

 二千人近い人がぎっしりと入っているのに、物音ひとつない沈黙がしばらく続いた。演奏者が弓を下ろしたのをきっかけに、ようやく沸きあがるように拍手が起こり、それが耳を聾するばかりに大きくなり、ブラボーの声もいつ果てるかと思うほど続いた。

 万雷の拍手の中、ギルトマンは小谷とポーロの手をとって何度も拍手に答えた。共演者の若い二人は老大家への賞賛を邪魔すまいと彼一人を前の方に押し出そうとするが、ギルトマンはそれを強く断って二人の手を引いて三人で拍手に答えた。そして、彼は譜面台からたったいま弾き終えたばかりのチャイコフスキーの楽譜を手に取り、それに接吻をした。それはまさに音楽そのものが自分たちに演奏をさせたのだと言っているようであった。

 そして、足を引きずり、背を丸めたもとの老人の姿で、二人にささえられるように下手に下がっていった。


 会場の一番後ろの席で聞いていた原田は、往年の名画『赤い靴』の一場面を思い出した。夜の大都会の、ごみの散らばった道端に落ちていた新聞紙が、風に吹かれて巻き上げられるとたちまち男性バレリーナの姿になり、赤いバレーシューズを履いたプリマドンナと見事に踊り、踊り終えると、またもとの新聞紙に戻る。

 原田は、あれは古い映画だが、カラーだったかなとちょっと考えてから、そっと目頭を拭うと楽屋に向かった。(完)


(この物語はすべてフィクションで、実在する人物などとは関係ありません)


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