くまのぬいぐるみ
その日はすごく不愉快だった。地団太を踏む、という言葉があるが、それだけでは消化しきれない思いがあった。
日々の暮らしの中で、そんな気分になる負の歯車が連鎖する事象の多くに対人が絡んでいる。大人も子どもも日本人であれ外国人であれ、例外なく人は皆わがままで自己中心だ。
まっすぐ帰宅する気になれず、暗い気持ちのまま、なんとなく商業施設内に入った。すれ違う人たちは、僕のような表情で下を向いていたり、小さい子どもを挟んで笑顔で通り過ぎる親子がいたり、胸の裡に喜怒哀楽を秘めてそれぞれの目的地へ足を運ぶ。
ぼんやり歩いていると、カプセルトイが二段になって十数台並んでいるのが視界に入った。立ち止まり、胸ポケットから財布を出すと、小銭が思いのほかあったので、かがんで適当な台にコインを入れレバーを回した。少年のころを思い出す。カプセルを取り出し、あと二回してみた。
背後にベンチシートがあったので、そこに腰を下ろしてカプセルを開けた。ひとつめは松ぼっくりのキャラクターの人形、二つめは木こりの人形、三つめに茶色のふさふさ毛綿の熊のぬいぐるみが入っていた。ガチャの販売機パッケージに目をやると、どうやらこの熊が当たりのようだ。だけど、なんの感慨もないまま、僕はとりあえず三つの景品をカプセルにもどした。
シートに座ったまま何気なくケータイを見ていると、やがて一組の母子?がカプセルトイの前で立ち止まった。
「ねー、おかーさん。このくまさん欲しい」女の子が母を見上げていった。
「えー?!当たんないって、くまさんは。ムッちゃん、ほら、いま見えてるだけでも、ひとつもくまさんいないよ」
母親が腰を落として販売機をいろんな角度から眺めている。
「欲しいーっ!!」
「んー……。わかった。じゃあムッちゃん、三回だけやろう。それでくまさん出なかったら今日はあきらめる。それでいい?」
女の子は頬をふくらませていたが、小さくうなずいた。
その結果は彼女に笑顔をもたらすものではなかった。
一部始終を見ていた僕は……。
僕は足を踏み出した。
そしてむしゃくしゃした気分のまま、女の子の横にかがむと、熊のキャラが入ったカプセルが彼女に見えるように持った手を向けた。
「残念だったね、お嬢さん。僕が五分くらい前にきみと同じように三回まわしたらでてきたんだ。もうちょっと早くきていたらゲットできたね。ははは」いって立ち上がると彼女を見下ろした。
女の子は口を真一文字に結び、眉をよせて、いまにも涙を流しそうな表情で僕を睨んだ。
彼女の母親も険しい視線をこちらに向けると、「ムッちゃん、行こう」とやや強く女の子の手を引いてその場をあとにした。
僕は足を踏み出した。
むしゃくしゃした気分のまま女の子の横にかがむと、無理に笑顔を浮かべて、くまのキャラが入ったカプセルが彼女に見えるように持った手を向けた。
「こんにちは。よかったら、きみが引いたそのカプセルと僕のカプセルを交換してくれないかな。お兄ちゃん、そのハチミツのぬいぐるみ欲しかったんだ」
女の子は一瞬とまどった表情を見せたが、くまのカプセルを見つめたまま、「いいよ、交換したげる」といった。
母親に目配せをして、カプセルを三つとも交換すると、僕は立ち上がった。
「ありがとね、お嬢さん。……いい子にしてたら、きっといいことは返ってくるよね……」
自分自身への言葉のように響き、嗚咽が漏れそうになって、僕は、くまの件を察して頭を下げる母親の横を足早に通り過ぎた。
もうひとつの選択をしていたら、僕は取返しのつかない後悔を抱えることになったのかもしれない。




