第8話:「騎士団の練度、そして揺れる心」
翌朝、俺は普段よりも早く目を覚ました。今日は、リリアーナ姉上と一緒に騎士団の訓練を見学する日だ。病弱な王子という仮面を維持しつつ、帝国の軍事力を間近で観察できる絶好の機会。同時に、リリアーナの鋭い視線から、どこまで本心を隠し通せるかという試練でもある。
身支度を終え、朝食を済ませると、リリアーナ姉上が迎えに来た。彼女は、乗馬服のような動きやすい装束を身につけ、活発な印象を一層際立たせていた。
「あら、アルフレート。準備万端ね。今日は馬車ではなく、馬で行くわよ」
リリアーナは、楽しそうに微笑んだ。
「馬、ですか……」
俺は内心で顔をしかめた。この幼い体で、まともに馬に乗れる自信はない。自衛隊時代は乗馬訓練も経験したが、それは成人した肉体での話だ。
「まさか、乗れないなんて言わないわよね?」
リリアーナの挑発的な視線に、俺は引き下がるわけにはいかなかった。
「いえ、滅相もございません。喜んで」
俺は、精一杯の笑顔を貼り付けた。
馬小屋に向かうと、すでに二頭の馬が用意されていた。一頭はリリアーナの愛馬だろう、堂々とした栗毛の馬だ。もう一頭は、俺のために用意されたのか、小柄で大人しそうな白馬だった。
メイドの手を借りて、なんとか馬に跨る。鞍に深く座り、手綱を握る。体が小さく、足が鐙に届きにくい。
「ふふ、大丈夫? 落ちないようにね」
リリアーナは、俺の不慣れな様子を見て、楽しそうに笑った。
「ご心配なく」
俺は、冷や汗をかきながら答えた。
王宮から少し離れた場所にある訓練場までは、馬で20分ほどかかった。その間、俺は必死に落馬しないよう、馬にしがみついていた。リリアーナは、時折振り返り、俺の様子を窺っていたが、特に何も言わなかった。
訓練場に到着すると、そこにはすでに多くの騎士たちが集まっていた。彼らは、重厚な甲冑を身につけ、剣や槍を手に、厳しい訓練に励んでいる。金属がぶつかり合う音、兵士たちの雄叫び、そして教官の怒鳴り声が、訓練場全体に響き渡っていた。
「さあ、アルフレート。これが、帝国の騎士たちよ」
リリアーナは、誇らしげに胸を張った。
俺は、馬から降りると、すぐに騎士たちの動きに目を凝らした。
(隊列訓練、剣術、槍術……基本的な動作は抑えられている。個々の練度も、決して低くはない)
俺が知る未来のグレイル帝国軍は、個々の兵士の能力もさることながら、集団としての連携戦術が非常に優れていた。この時代の訓練は、まだその基礎を築いている段階だと見て取れる。
「先生、あの騎士たちの動きは、まるで一つの生き物のようですね」
俺は、ゼノン先生との会話で培った「幼い王子の知的好奇心」を装って、リリアーナに話しかけた。
リリアーナは、少し驚いたような顔をした後、満足そうに頷いた。
「ええ、その通りよ。彼らは、帝国のために命を捧げる覚悟を持った、誇り高き騎士たちだもの」
彼女の言葉には、騎士たちへの深い敬意が込められていた。
俺は、騎士たちの訓練を食い入るように見つめた。彼らの動き、装備、そして戦術。未来の知識と照らし合わせながら、彼らの強みと弱みを分析していく。
(剣術は優れているが、銃器に対する防御は手薄だ。隊列も、現代の火力集中には耐えられないだろう。しかし、魔力を使った身体強化は脅威だ。近接戦闘では、自衛隊の兵士でも苦戦するかもしれない)
俺の脳内で、シミュレーションが高速で展開されていく。
その時、一人の騎士が俺たちの近くにやってきた。彼は、訓練場の教官らしき人物で、顔には厳しい表情が刻まれている。
「リリアーナ殿下、アルフレート殿下。本日はご見学ありがとうございます」
教官は、深々と頭を下げた。
「ええ、ご苦労様。彼が、私の弟のアルフレートよ。騎士たちの訓練に興味があるみたいで」
リリアーナは、俺を紹介した。
教官は、俺の顔を見て、少し意外そうな顔をした。
「ほう、アルフレート殿下でございますか。殿下は、いつも書庫におこもりだと伺っておりましたが」
その言葉には、やはり「病弱な王子がなぜここに?」という疑問が込められている。
「はい。ですが、書物だけでは分からない、本物の力に触れてみたくて」
俺は、精一杯の笑顔で答えた。
教官は、俺の言葉に少し考え込むような仕草を見せたが、やがて口元に微かな笑みを浮かべた。
「なるほど。では、せっかくでございますので、殿下方に特別に、我々の訓練の一部をお見せしましょう」
教官はそう言って、数名の騎士に指示を出した。
騎士たちは、教官の指示に従い、模擬戦を開始した。剣と剣がぶつかり合う激しい音、そして、魔力を使った身体強化によって、彼らの動きは常人離れしたものになる。
俺は、その光景を目の当たりにし、改めてグレイル帝国の脅威を認識した。
(やはり、この世界の兵士は、一筋縄ではいかない。魔力という未知の力が、彼らを常識外の存在にしている)
だが、同時に、俺の心の中に、ある感情が芽生え始めた。
彼らは、ただの敵ではない。
彼らは、この国を守るために、必死に訓練に励んでいる。
その瞳には、未来の俺が知る絶望の色はまだない。ただ、誇りと、この国への忠誠だけが宿っている。
訓練を見学しながら、俺は騎士たちの顔を一人一人見ていった。彼らは、未来で俺が滅ぼすことになる、この国の兵士たちだ。
彼らにも、家族がいて、守りたいものがあるのだろう。
(俺は、この国を救うのか? それとも、また滅ぼすのか?)
騎士たちの雄叫びが、俺の心に重く響いた。
矛盾を抱えた日々の中で、俺の心は、激しく揺れ動いていた。
この選択が、未来を、そして俺自身の運命を、大きく変えることになる。