第7話:「矛盾を抱えた日々」
朝の光が、寝室の豪華なカーテンの隙間から差し込む。柔らかなベッドの上で目を覚ますと、まず感じるのは、この幼い体の不自由さだった。俺、如月マサルは、陸上自衛隊情報部員として常に体を鍛え上げてきた。だが、今は10歳のアルフレート王子。思うように動かせない身体は、俺の焦燥感を募らせる。
「殿下、朝食の準備が整いました」
メイドの声が、扉の向こうから聞こえる。
俺はゆっくりと体を起こし、身支度を整えた。鏡に映る銀髪の少年は、どう見ても俺ではない。だが、この顔で、この声で、俺は「アルフレート王子」として振る舞わなければならない。
朝食は、豪華な食卓で一人で摂る。皇帝陛下は多忙なため、滅多に同席することはない。その間にも、俺は宮廷の侍従やメイドたちの会話に耳を傾け、些細な情報も聞き逃さないように努めた。
(最近、国境付近での不審な報告が増えている、か……)
彼らの会話から漏れ聞こえる断片的な情報は、未来の俺が知る「門」の出現、そして自衛隊との接触が、刻一刻と近づいていることを示唆していた。
食後、俺は再び書庫へと向かった。ゼノン先生との学習時間以外も、俺は書庫にこもることを好んだ。病弱な王子という設定は、ここでも俺の行動に説得力を持たせた。
書庫の奥、昨日レオンハルト兄上が手にしていた資料があった場所を改めて確認する。資料は元の場所に戻されていたが、俺が書き加えた魔力増幅炉の改良設計図は、厳重に隠してある。
(この設計図をどう使うか……それが、俺の運命を決める鍵になる)
俺は、自衛隊の情報部員として、このグレイル帝国の軍事技術を徹底的に分析してきた。彼らの兵器、戦術、そして魔力の特性。その全てを知っている。
もし、俺がこの知識を帝国に提供すれば、彼らの軍事力は飛躍的に向上するだろう。それは、未来の自衛隊にとって、より強大な敵となる。
だが、もし俺がこの国を救うと決めたのなら、この技術は不可欠だ。
書庫で資料を読み込んでいると、突然、扉がノックされた。
「アルフレート殿下、いらっしゃいますか?」
聞き慣れない、だがどこか高慢な声。
「……どうぞ」
俺が答えると、扉が開き、一人の少女が入ってきた。
鮮やかな赤毛に、勝気な青い瞳。豪華なドレスを身につけた彼女は、俺と同じくらいの年齢に見えるが、その顔にはすでに、貴族としての自信が満ち溢れていた。
(この少女は……!)
俺は、アルフレート王子の記憶を辿った。彼女は、第二王女『リリアーナ・グレイル』。皇帝の第二子であり、レオンハルト兄上とは異母兄妹にあたる。
リリアーナ王女は、活発で社交的な性格で知られていた。病弱な俺とは、ほとんど接点がなかったはずだ。
「あら、本当にいたのね。こんな薄暗い書庫に」
リリアーナは、俺の姿を見ると、少し呆れたような顔をした。
「リリアーナ姉上。何か御用でしょうか?」
俺は、アルフレート王子として、丁寧に尋ねた。
「御用、というわけではないけれど。陛下が、あなたに少しは外の空気を吸うように、と仰っていたわ。いつも書庫にこもりきりでは、体がもたないでしょう?」
彼女の言葉には、心配と、そしてわずかな皮肉が混じっていた。
「ご心配いただき、ありがとうございます。ですが、わたくしは書物から学ぶことが、何よりも……」
俺が言いかけると、リリアーナはフンと鼻を鳴らした。
「ふん。相変わらずね。でも、書物だけが全てではないわ。この世界には、もっと面白いことがたくさんあるのよ」
そう言って、彼女は俺の座っている机に近づいてきた。
俺は、慌てて読んでいた軍事論文を隠そうとしたが、間に合わなかった。
「あら、これは……軍事論文?」
リリアーナは、俺の手元にあった論文を覗き込み、目を丸くした。
「あなた、こんなものまで読んでいるの? 病弱なアルフレートが、まさか軍事に興味があるなんて、驚きだわ」
その言葉には、明らかに嘲笑が混じっていた。
俺は、内心で舌打ちした。迂闊だった。
「いえ、これは、ただの気まぐれで……」
俺は、必死に誤魔化そうとした。
しかし、リリアーナは、俺の言葉を遮るように言った。
「ふふ、面白くなってきたわね。ねえ、アルフレート。今度、私と一緒に、騎士団の訓練を見に行かない? 書物だけでは分からない、本物の力を見せてあげるわ」
彼女の瞳には、好奇心と、そして何かを試すような光が宿っていた。
騎士団の訓練。それは、俺にとって願ってもない機会だ。帝国の兵士たちの練度、装備、そして戦術を、間近で確認できる。
だが、同時に、リリアーナの誘いには、何か裏があるような気がした。彼女は、俺の「病弱な王子」という仮面を、見破ろうとしているのかもしれない。
俺は、一瞬迷ったが、やがて決意を固めた。
「……はい、喜んで。リリアーナ姉上」
俺は、アルフレート王子として、精一杯の笑顔を浮かべた。
リリアーナは、満足そうに微笑んだ。
「良い返事だわ。では、明日、迎えに来るわね」
そう言って、彼女は書庫を後にした。
リリアーナが去った後、俺は再び机に向かった。
(騎士団の訓練……これは、チャンスだ)
俺は、未来の知識を最大限に活用し、この世界の軍事力を、より深く理解する必要がある。
そして、その知識が、俺をどこへ導くのか。
未来の日本を救うためか、それとも、この帝国を救うためか。
矛盾を抱えた日々の中で、俺の選択は、少しずつ、パラドクスへの序曲を奏で始めている。