第6話:「パラドクスへの序曲」
レオンハルト兄上が去った後も、俺はしばらく書庫の奥で立ち尽くしていた。手には、先ほどまで書き殴っていた魔力増幅炉の理論図が握られている。
(レオンハルト兄上……なぜ彼が、あの極秘資料に興味を?)
第一王子であるレオンハルトは、軍事的な才能には恵まれていると聞く。だが、魔力工学のような専門的な分野にまで踏み込んでいるとは、アルフレート王子の記憶にはなかった。これは、俺が知る未来の歴史にはない、新たな変数だ。
俺は、再び書棚の陰に身を潜め、レオンハルトが去った方向を警戒した。幸い、もう人の気配はない。
拾い上げた魔力増幅炉の資料を改めて確認する。それは、宮廷魔導院の奥深くで進められている、エミリオ・ヴァイスハルトの研究に関するものだった。資料には、まだ基礎的な理論と、いくつかの実験データが記されているだけだ。だが、この資料がレオンハルトの手に渡った意味は大きい。
(もし、レオンハルトがこの技術を理解し、利用しようとすれば……)
彼は、次期皇帝の座を盤石にするために、軍事力を強化しようとするだろう。それは、帝国の力を早めることにはなるが、同時に、俺が知る未来とは異なる形で、日本との衝突を引き起こす可能性もある。
俺は、自分の書いた理論図と、レオンハルトが持っていた資料を重ねてみた。俺の知識があれば、この技術をさらに加速させることができる。
だが、それは同時に、未来の自衛隊が直面する脅威を、より強大なものにするということだ。
(俺は、この国を救うのか? それとも、滅ぼすのか?)
この問いが、再び俺の脳裏をよぎる。
如月マサルとして、俺は日本を守るためにグレイル帝国を滅ぼした。
アルフレート王子として、俺は今、この帝国の未来を背負っている。
この二つの顔が、俺の中で激しくぶつかり合う。
翌日、俺はゼノン先生との学習時間を利用して、レオンハルトに関する情報を探った。
「先生、レオンハルト兄上は、最近、どのようなことにご興味をお持ちなのでしょうか?」
俺は、あくまで無邪気な弟を装って質問した。
ゼノン先生は、少し考えてから答えた。
「レオンハルト殿下は、最近、軍事戦略だけでなく、魔導技術にも強い関心を示しておられます。特に、新型兵器の開発について、私にも度々質問をなさいますな」
やはり、そうか。レオンハルトは、ただの野心家ではない。彼は、帝国の未来を見据え、自らの手でそれを掴もうとしている。
「それは、素晴らしいことですね。兄上も、帝国の未来を真剣に考えていらっしゃるのですね」
俺は、表面上は賛同の意を示しながら、内心では警戒を強めた。
ゼノン先生は、満足そうに頷いた。
「ええ、その通りです。レオンハルト殿下は、将来、この帝国を背負うに相応しいお方でしょう」
(もし、俺がこの帝国を救う道を選んだとして、レオンハルトとどう向き合うべきか?)
彼は、俺の知識を欲しがるだろう。そして、俺の存在が、彼の野心をさらに煽る可能性もある。
俺は、未来の知識をどこまで開示し、どこまで隠すべきか、慎重に判断しなければならない。
その日の夜、俺は再び書庫に忍び込んだ。今度は、レオンハルトが持っていた資料と同じものを探す。
数時間後、俺は目的の資料を見つけ出した。それは、エミリオ・ヴァイスハルトの研究室から流出した可能性のある、魔力増幅炉の初期設計図だった。
(これは……!)
設計図を広げると、そこには未来の自衛隊が分析した「魔力増幅炉」の原型が描かれていた。しかし、まだ多くの問題点が残されている。
俺は、ペンを手に取り、その設計図に修正を加えていく。魔力結晶の安定供給を可能にする触媒の配置、出力の安定化を図る魔導回路の改良……。
俺の知識と経験が、この時代の技術に、未来の光を灯していく。
数時間後、俺は完成した改良設計図を眺めた。これがあれば、魔力増幅炉の実用化は大幅に早まるだろう。
だが、その時、俺の脳裏に、未来の自衛隊の姿がフラッシュバックした。
無数の魔導砲が火を噴き、日本の都市を焼き尽くす光景。
仲間たちが、次々と倒れていく姿。
そして、最後に、俺が銃を向けた皇帝の顔。
(俺は、何をしているんだ……?)
俺は、自分が未来の敵を、自らの手で強化しているという事実に、吐き気を覚えた。
この設計図を帝国に提供すれば、彼らはより強大な力を手に入れるだろう。
そして、その力は、未来の日本に向けられるかもしれない。
俺は、この国を救うために、未来の日本を犠牲にするのか?
それとも、未来の日本を守るために、この国を滅ぼすのか?
俺は、改良設計図を握りしめ、震える手でそれを破り捨てようとした。
だが、その手が、止まった。
(いや……まだだ)
俺は、まだどちらの道を選ぶか、決めていない。
この設計図は、俺がこの帝国を救うと決めた時の、最後の切り札だ。
そして、もし俺がこの国を救う道を選んだとしたら、この技術は不可欠となる。
俺は、破りかけた設計図を丁寧に畳み、隠し場所にしまう。
窓の外は、すでに夜が明け始めていた。
東の空が、ゆっくりと白んでいく。
これから始まる一日が、俺を、そしてこの帝国を、どこへ導くのか。
未来を知る男の、孤独な戦いは、パラドクスへの序曲を奏で始めたばかりだ。