第4話:「老学者と情報将校の攻防」
「殿下、本日は教育係のゼノン先生がいらっしゃいます」
メイドの声に促され、俺は書庫の奥にある学習室へと向かった。病弱な王子という設定は、書庫にこもるには都合が良かったが、教育という名目で「外部」と接触する機会は、俺にとって貴重な情報収集の場となる。
学習室の扉を開けると、そこにいたのは白髪交じりの老紳士だった。背筋はピンと伸び、知的な光を宿した瞳が、俺をまっすぐに見つめる。ゼノン・クレメンス。帝国の歴史と文化、そして軍事戦略を教える老学者であり、情報部員時代の俺が分析した重要人物の一人だ。彼は帝国の軍事顧問も兼ねており、その知識は膨大だった。
「アルフレート殿下、ご機嫌麗しく」
ゼノン先生は、優雅に一礼した。
「ゼノン先生、ご足労いただき、ありがとうございます」
俺は、アルフレート王子としての記憶をたどり、たどたどしいながらも丁寧に返答した。この幼い口から出る敬語は、どうにも慣れない。
ゼノン先生は、俺の顔色をじっと見つめた。
「殿下、まだご病気が完治されたわけではございません。本日は無理のない範囲で、基礎的な内容に留めましょう」
その言葉に、俺は内心で舌打ちした。基礎的な内容では、俺が欲しい情報は手に入らない。
「いえ、先生。わたくしはもう大丈夫です。むしろ、先生の深い知識に触れる機会を、心待ちにしておりました」
俺は、精一杯の王子スマイルを浮かべた。病弱な王子が勉学に意欲を見せる。これならば、ゼノン先生も邪険にはしないだろう。
ゼノン先生は、少し驚いたような顔をしたが、やがて満足そうに頷いた。
「ほう、殿下も随分と意欲的になられましたな。よろしいでしょう。では、本日は帝国の軍事組織について、概略をお話ししましょうか」
俺の思惑通りだ。
ゼノン先生は、帝国の軍事組織図を広げ、各部隊の役割や指揮系統について説明を始めた。俺は、まるで初めて聞くかのように熱心に耳を傾けながら、脳内で未来の知識と照合していく。
(陸軍は歩兵師団と騎兵師団が主力。空軍は魔導飛行艇が中心。海軍は……この時代にはまだ、大型艦艇は少ないな)
俺が滅ぼした未来のグレイル帝国は、空を覆う巨大な浮遊要塞や、海を制圧する魔導戦艦を擁していた。この時代の技術レベルは、まだそこまで達していない。
「先生、質問がよろしいでしょうか?」
俺は、最もらしいタイミングで手を挙げた。
「何でしょう、殿下」
「帝国の軍事技術は、他国と比較して、どの程度の水準にあるのでしょうか? 特に、魔力兵器の分野において、何か画期的な研究は進められているのでしょうか?」
俺は、未来の知識を匂わせないよう、あくまで「幼い王子の純粋な疑問」を装って質問した。
ゼノン先生は、少し考え込むような仕草を見せた。
「ふむ……殿下は、そのようなことにもご興味がおありですか。帝国の魔力兵器は、確かに他国を凌駕しております。特に、魔力結晶の精製技術と、それを兵器に転用する技術は、世界でも類を見ないでしょう」
彼はそう言って、一枚の図面を広げた。そこには、魔力結晶を動力源とする、試作段階の兵器が描かれていた。
(これは……! 未来の「魔導砲」の原型じゃないか!)
俺は内心で興奮した。この魔導砲は、未来の自衛隊を大いに苦しめた兵器の一つだ。この時点ですでに開発が進められているとは。
「しかし、まだ実用化には至っておりません。魔力結晶の安定供給、そして兵器としての出力の安定化が課題となっております」
ゼノン先生は、そう言ってため息をついた。
俺は、その言葉に、未来の知識を重ね合わせた。魔力結晶の安定供給は、後に帝国の植民地拡大の原動力となる。そして、出力の安定化は、ある天才魔導技術者の登場によって解決されるはずだ。
「先生、その課題を解決するために、何か特別な研究機関や、人材の育成は行われているのでしょうか?」
俺は、さらに深く踏み込んだ。その天才魔導技術者の存在を、この時点で確認しておきたかった。
ゼノン先生は、俺の質問に目を細めた。
「殿下は、随分と鋭いご質問をなさいますな。確かに、宮廷魔導院の奥深くで、極秘の研究が進められております。そして、その研究を牽引しているのは、若き天才魔導師、エミリオ・ヴァイスハルト。彼は、まだ若いながらも、魔力工学の分野では帝国随一の頭脳を持つと評判です」
エミリオ・ヴァイスハルト。その名前を聞いた瞬間、俺の脳裏に、未来の自衛隊の報告書が蘇った。
『グレイル帝国の魔導技術の飛躍的発展は、エミリオ・ヴァイスハルトの功績が大きい。彼の開発した「魔力増幅炉」は、従来の魔力兵器の出力を桁違いに向上させた』
やはり、こいつが鍵だったか。
「エミリオ・ヴァイスハルト……」
俺は、その名前を反芻した。この男をどうするか。未来の日本の脅威となる存在を、この時点でどうにかするべきか?
しかし、もし彼を排除すれば、歴史はさらに大きく歪むだろう。そして、俺がこの帝国を救うという選択をした場合、彼の力は不可欠となる。
ゼノン先生は、俺の様子を不思議そうに見ていた。
「殿下、何か気になることでも?」
「いえ、ただ、帝国の未来を考えると、そのような優れた人材がいることに、安堵いたしました」
俺は、精一杯の笑顔で誤魔化した。
ゼノン先生は、満足そうに頷いた。
「殿下も、いずれはこの帝国の未来を背負うお方。今のうちから、そのような視点を持たれるのは、誠に素晴らしいことです」
俺は、ゼノン先生の言葉を聞きながら、冷や汗をかいていた。
(素晴らしいこと、だと? 俺がやっているのは、未来の日本を裏切る行為かもしれないんだぞ)
俺は、この帝国を救うために、未来の自衛隊と戦うことになるのか?
そして、かつての俺自身と、銃を向け合うことになるのか?
その時、学習室の窓から、遠くで訓練を行う兵士たちの声が聞こえてきた。
彼らは、この国の未来を信じ、日々鍛錬に励んでいる。
そして、その未来に、俺が滅ぼしたはずの自衛隊が、再び現れることを、彼らはまだ知らない。
俺は、この矛盾を抱えながら、どこまで行けるのだろうか。
老学者との攻防は、まだ始まったばかりだ。