第2話:「王子様(10歳)、帝国の未来を憂う」
「……おい、これ俺が滅ぼした国じゃねえか!」
俺の絶叫は、豪華な部屋に虚しく響いた。メイドは驚いた顔で俺を見つめている。
「殿下、どうなさいました? まだ熱が……」
メイドが心配そうに近づいてくるが、それどころではない。俺は窓の外の景色から目を離せない。
瓦礫一つない首都ヴァルハラ。そびえ立つ天蓋宮。そして、俺が知るよりも遥かに活気に満ちた街並み。
これは間違いなく、数年前のグレイル帝国だ。
そして、俺は今、この国の王子。
「信じられねぇ……」
俺は自分の細い腕を掴み、何度も強く握りしめた。幻覚ではない。夢でもない。この幼い体も、目の前の現実も、すべてが本物だ。
「殿下、そろそろ陛下がいらっしゃいます。お着替えをなさいませんか?」
メイドが、丁寧に畳まれた豪華な衣装を差し出す。
陛下。つまり、あの皇帝。俺が、いや、俺たちが滅ぼした男。
その男が、今から俺の「父親」として、この部屋にやってくるというのか。
吐き気がした。
「……いい。このままでいい」
俺はメイドの手を押し返し、ベッドに腰掛けた。
メイドは困惑した表情を浮かべたが、それ以上は何も言わなかった。おそらく、高熱でうなされていた俺の奇行だとでも思ったのだろう。
俺は頭を抱えた。
情報部員として、グレイル帝国の歴史、文化、政治体制、そして主要人物のプロフィールは徹底的に叩き込まれていた。
グレイル帝国には、複数の王子と王女がいた。皇帝ヴァルハラ・グレイルには正室と側室がおり、俺が転生したこの体は、第三王子『アルフレート・グレイル』というらしい。
アルフレート王子は、病弱で内向的な性格で知られていた。それが、俺が高熱でうなされていたというメイドの言葉と合致する。
つまり、俺は如月マサルとして死に、アルフレート王子としてこの過去に転生した。
だが、なぜ?
あの光は何だったんだ?
皇帝が最後に言った「未来を、頼む」という言葉。あれは、俺にこの未来を託したという意味だったのか?
俺は、この国を滅ぼした張本人だぞ。
そんな俺に、何を頼むというんだ。
いや、待て。
もし、あの光が、皇帝の最後の「魔力」を使ったものだとしたら?
グレイル帝国の「魔力」は、科学技術と融合して兵器にも転用されていたが、その本質は、時間や空間、そして生命に干渉する力だと分析されていた。
もし、皇帝が、自らの命と引き換えに、俺をこの過去に送り込んだのだとしたら……。
彼は、未来の敗北を知っていたのか?
そして、俺に、その未来を変えろと?
「ふざけるな……」
俺は思わず呟いた。
俺は、自衛官だ。日本のために戦い、この国を滅ぼした。
なのに、今度はその滅ぼした国の王子として、この国を救えと?
そんなこと、できるわけがない。
いや、そもそも、俺が介入すれば、歴史はどうなる?
時間SFの知識が、俺の頭の中で警鐘を鳴らす。
歴史に介入すれば、必ずパラドクスが発生する。
小さな変化が、やがて大きなうねりとなり、予測不能な未来を生み出す。
もし俺がこの帝国を救えば、未来の日本はどうなる?
自衛隊は、異世界からの侵略を食い止めることができず、壊滅するかもしれない。
俺が守ろうとしたものが、俺の行動によって失われる可能性もある。
そして、何よりも恐ろしいのは、**未来の『俺』**だ。
自衛隊の如月マサルは、このグレイル帝国を滅ぼすために戦った。
もし俺がこの帝国を救えば、未来の如月マサルは、俺と敵対することになる。
過去の俺と、未来の俺が、戦う。
そんな、悪夢のような状況が、本当に起こりうるのか?
俺は、頭を振った。今は、考えるべきではない。
まずは、この状況を把握する。
アルフレート王子として、この帝国でどう振る舞うべきか。
そして、この世界の情報を、徹底的に集める。
自衛隊の情報部で培った知識と経験が、こんな形で役立つとは皮肉なものだ。
その時、部屋の扉がノックされた。
「殿下、陛下がお見えになりました」
メイドの声に、俺は息を呑んだ。
ついに、あの男と対峙する時が来た。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
幼い体ではあるが、その瞳には、かつて戦場で培われた情報部員の鋭い光が宿っていた。
扉が開き、白髪の老人が部屋に入ってきた。
グレイル帝国の皇帝、ヴァルハラ・グレイル。
俺が、数時間前に銃を向けた男。
彼は、俺の顔を見て、優しく微笑んだ。
「アルフレート。目が覚めたか。心配したぞ」
その声は、俺が知る、威厳に満ちた皇帝の声とは、どこか違っていた。
そこにあったのは、ただの父親としての、温かい愛情だった。
俺は、その声に、何も答えることができなかった。
目の前の男は、未来で俺が滅ぼすことになる国の皇帝であり、そして、今この瞬間の俺の「父親」だ。
俺は、この矛盾を抱えながら、生きていかなければならないのか。
俺は、この国を救うのか、それとも、再び滅ぼすのか。
未来を知る男の、新たな戦いが、今、始まった。