第七十八話 「終焉を斬る者」
異界の空に穿たれた王宮の天井は、既に元の姿を取り戻していた。
紅蓮に染まった空も、ねじれた空間も、あの仮面の男も──何もかもが消え去り、まるで“最初から何もなかった”かのように。
けれど。
(……何も終わっていない)
足元の床に刻まれた亀裂。
漂う残り香のような魔力の“焦げた匂い”。
そして、まだ燃え尽きていない……私の中の“火種”。
「……お嬢様」
ミレーヌが私の隣に立つ。
その表情には、先ほどまでの恐怖はなかった。ただ、静かな決意があった。
「異界の門は閉じました。ですが、あれは──“中断された”だけです」
「ええ。アレクシス……“仮面の王”は、また現れますわ」
「もう一度、同じ場所で?」
「いえ」
口を閉じていたエルが、窓辺から空を見上げたまま答えた。
「奴は“場所”に縛られた存在じゃない。問題は……“門を開く条件”の方だ」
「条件?」
「魔力、地脈、儀式。それに──」
エルの視線が、私を射抜く。
「……“火種”。お前だよ、リリアナ」
言葉が刺さる。でも、もう目を背けるつもりはなかった。
「私が……“鍵”だと言われた……つまりあの空間を“開いた存在”ってことですのね。
なら、私が……“閉じなければ”いけないですわね」
剣を見た。
焔銀の刃は、まだ赤く染まったままだった。
「王宮の地下を調べるべきです」
ミレーヌが言った。
「地脈の交差点……“中央の魔力井戸”が、先ほどの儀式の中心に位置していた可能性があります。
そしてそこには、かつての──“神の祭壇”が眠っていると、古文書にあります」
「そこが、“決戦の地”か」
エルが肩を鳴らした。
「……いいじゃねえか。ならそこで、全部終わらせよう」
「ええ。終わらせましょう。アレクシスの物語を。
そして、私の中にある“火種”の意味も──すべて」
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夜。
王宮の私室。
窓の外に広がる空は、どこまでも静かで、どこまでも冷たい。
剣は傍らに置いてある。
けれど、目を閉じると、今でも“あの剣”の重さが肩に残っている気がした。
(あれが、アレクシスの選んだ“力”)
(私が選んだ“強さ”は……正しかったの?)
「……迷ってるのか?」
扉もノックせず、エルが入ってきた。
「……人の部屋に入る時は、ノックを」
「今さらだ」
勝手に椅子に座ると、彼は片足を組み、真面目な顔で私を見た。
「リリアナ、お前は明日……本当に、決着をつけるつもりなんだな」
「ええ。もう、逃げませんわ。
このまま終わらせなければ、きっとまた誰かがアレクシスに巻き込まれる。
それがアレクシスであっても、もう止める理由にはならない」
「……そっか」
エルが少しだけ笑った。
「なら、俺も最後まで付き合う」
「エル」
「言ったろ。壊すにしろ守るにしろ、どっちに転んでも一緒にやるって」
私は何も言えなかった。
ただ、頷くことしかできなかった。
「……ありがとう」
「礼は終わってからにしろ。……俺もミカが心配だからな」
そう言って立ち上がると、彼は片手を軽く振って出て行った。
扉が閉まった部屋の中。
私はそっと、焔銀の剣に触れた。
(明日、終わらせる。絶対に)
(……もう、“誰も”失わない)
─そして夜が明けた。
それは、まるで何事もなかったかのような、“いつも通りの朝”。
鳥の声。遠くの鐘の音。澄んだ空気。
(終わらせる)
今日こそ、終わらせる。
“魔王”と、“仮面の王”の物語を。
そして、私という存在の意味を。
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王宮・地下第零層──封印区画。
私たちが降り立ったその場所は、かつて“神の祭壇”が祀られていたという場所。
王族の記録からも削除され、地下図面にも存在しない“忌みの階層”。
冷たい石の階段を、ひとつ、またひとつと降りるたび。
肌に刺さる空気は鋭さを増し、足元を這う魔力は、黒く、重く、濁っていった。
「ここが……」
ミレーヌが息を呑む。
「中央の魔力井戸。すべての地脈が交差する、“始まりの座”」
そこにあったのは、ただの広間ではなかった。
大理石の床には、巨大な円が描かれていた。
複雑な文様と、古代文字──それらは“扉”を描いていた。
(これは……儀式陣?)
「おい、見ろ。中央」
エルの指差す先。
黒く、割れ目のように開いた空間。
──異界の“門”だった。
「奴はここを通って、また現れる」
「ええ。待っている……私たちを」
私は一歩、祭壇の中心へと足を進めた。
重い。空気が肌にまとわりつく。
この場に立つだけで、意識が持っていかれそうなほどの“重さ”がある。
けれど、それでも進む。
だって、これは──
「“私が選んだ道”ですわ」
私は、焔銀の剣を抜いた。
刹那。剣が、燃えた。
魔力を注いだわけじゃない。
けれど、刃の奥から紅蓮の火が揺れた。
まるで“意思を持つ”かのように──剣が、震えた。
「来ますわ」
異界の門が、蠢いた。
赤黒い瘴気が漏れ出し、空間が泡立つように揺れる。
「お嬢様、魔力干渉、急激に上昇──」
「来るぞ……!」
空間が裂ける音。
耳鳴り。鼓膜を破るような衝撃。
そして──
「──お出迎えありがとう、リリアナ」
現れたのは、仮面の王。
……いや、アレクシスだった。
再び現れた仮面の奥に、“かつての声”が宿っていた。
だが、それはもう誰のものでもない。
“人”ではない何かが宿った、深く深く……堕ちた声。
「ようこそ、“終焉”へ。さぁここで、すべてを終わらせよう」
私は剣を構えた。
「終わらせるのは、あなたですわ。アレクシス」
彼の剣も、静かに、燃え上がる。
──二つの刃が、火を灯す。
「始めよう、“最後の儀式”を」
そして、すべてが、動き出す。




