第七十六話 「呪われた血の証明」
──王宮・最上階。
重厚な扉の奥、蝋燭の灯りが揺れる室内。
祭壇のように設えられた床の中心で、“それ”は待っていた。
その男は──椅子に腰を下ろしたまま、仮面越しにこちらを見つめている。
仮面は、白ではなかった。
黒でも、灰でもない。
それは、深紅。
血の色の仮面。
──そして、静かに立ち上がる。
「……やはり来たか、“魔王の娘”よ」
低く、艶めいた声。
一瞬で空気が変わった。
仮面の男の背後で、空間が“歪んだ”。
まるで何か“異質なもの”が、この場所に染み込んでいるような──空間そのものが“壊れかけている”感覚。
「……誰?」
私の声は、震えていなかった。
けれど、その奥で心臓が強く打ち鳴っている。
警告している。──この存在は、危険だと。
「仮面の王。いや、君の言葉で言うなら──“アレクシス”」
「……!」
空気が止まった。
「そうだ。愛しき令嬢よ。私が、“君の元婚約者”だ」
仮面の下で、声が笑っていた。
だがそれは、愛情の笑みではない。
まるで、地獄の底で“狂気”に浸った者が浮かべる、痛ましい微笑。
「……どうしてあなたは生きて」
「……死んだと思ったかい?ああ、確かに“あの夜”、私は一度、死んだ。
剣に貫かれ、名を奪われ、地位も捨てられた──そのすべてを、君が壊した」
「っ……!」
「だが、君は知らなかったろう? 私が“罪塔”の深奥で拾われたことを」
「拾われた……?」
「“彼”にだよ。──私を“仮面の王”へと導いた、あの方に」
アレクシスはゆっくりと、仮面に指をかけた。
そして、外した。
──そこに現れた顔は。
かつての彼と、同じだった。
けれど、違っていた。
左目が──黒く爛れていた。
瞳孔が歪み、まるで呪いのような模様が刻まれている。
そして、左手。確かに“失われた”はずのその腕が、漆黒の“異質な肢体”として再生されていた。
「これは“代償”だよリリアナ。神秘の血を継ぐ者が、目覚めるための……ね」
「あなたは……一体、何を望んでいるの?」
「君だよ、リリアナ。僕はずっと昔から君しかみていない」
アレクシスは一歩、前に出た。
「君を迎えに来た、リリアナ。
君が“選ばれた存在”だと知った時、私は確信した。
この国を導くのは、貴族でも王でもなく──君のような“魔王”なのだと」
「私は……っ、魔王なんかじゃ……!」
「なれるさ。君の中には、“神の血”が混ざっている。
私が目覚めた夜、“彼”はこう言った。
──“彼女は火種。その力に触れた者こそ、新たな王となる”──と」
「だから……“私を使って”、この国を乗っ取る気?」
「違う」
アレクシスは、再び仮面を手に取った。
「私は、君と世界を壊し、直すつもりだ」
(……壊し……直す?)
「君も気づいているだろう? この国の腐敗を。
民を見下し、名誉にすがり、真実を隠す偽りの王家の姿を。
だから私は、再び“正統”を生み出す。
君と共に、真の意味で──“選ばれた王国”を、築こう」
「あなたの言う“選ばれた王国”に……民はいるの?」
その一言で、アレクシスの表情がわずかに歪んだ。
「……民など、“いずれ選ばれる”者にすぎない」
「……やっぱり、あなたは壊れてる」
「そうだとも」
仮面が、彼の顔に戻る。
その瞬間、部屋の温度が──落ちた。
アレクシスの瞳は、もう見えなかった。
仮面の奥で、静かに、狂気が笑っていた。
「さあ、“儀式”を始めよう。
君が私の隣に立つのなら、“終焉”は救済になる。
拒むのなら──“焚き火”の薪になってくれ」
──その声は、まるで“神託”だった。
(来る)
私もまた、剣に手をかける。
「……いいでしょう」
「リリアナ……?」
エルが背後から呼びかける声。
ミレーヌの震える気配。
「あなたが何を語ろうと、私の意思は変わらない。この国を守ると決めたのは、“私”ですわ。私の運命は私のものですわ」
「ならば証明してみせろ」
アレクシスの仮面が、こちらを見た。
「君が“魔王”ではないことを──その剣でな」
──終焉の幕が、上がった。




