第七十三話「踊る骸と仮面の微笑」
──どうも。エルだ。
今日は……いや、今夜は、あいつが“過去”と向き合う夜だ。
それは俺の居場所をくれた人間が、“本当の意味で誰かになる”ための戦いでもある。
舞踏なんて柄じゃねぇが──踊りながらでも、心は切り結べるらしい。
なら見ていよう。刃を交える代わりに、言葉と瞳で殺し合う、二人のやりとりを。
第七十三話《踊る骸と仮面の微笑》。始めるぞ。
音楽が流れる。
旋律は穏やかで、優雅で、優しく人を包み込むはずのもの。
なのに──私には、まるで“鎮魂歌”のように聞こえた。
それほどまでに、彼の視線は重く、冷たく、熱いものだった。
「随分と綺麗になった。……いや、元からかな」
アレクシスの指先が、私の背へと回る。
ダンスの姿勢を取る、それだけの動きなのに──背筋が粟立った。
「私のドレスの色、お気に召したかしら?」
「ああ、完璧だ。……ずつに完璧だとも」
彼は、笑った。
やわらかく、心底愉しそうに。
「君はいつだって、僕の想像の斜め上をいく」
「ええ。だからこそ、あなたの王妃に私は向きませんの」
「違うよ、リリアナ。君は“僕だけの王妃”だった。初めから僕らはそういう運命だったのさ」
リズムが一拍、狂ったように感じた。
「死者が語るには饒舌すぎますわね」
「だって、生きてるから。君が“望まなかった”僕として」
彼の瞳が、ゆらりと揺れる。
そこには、激情も、怨念も、復讐も──すべてが静かに沈んでいた。
「……あの夜、君が僕の手を振り払ったあの日。僕は死んだんだ。でもね、死ぬ時に誓ったんだ。“君を迎えに行く”って」
「私を迎える? 地獄へ?」
「君が望むなら天国でもいい。だが──君が選んだのは僕ではなくその腰に携える剣だろう?だから僕は“地獄”を選んだ。君を連れていけるように」
「……」
私は一度、視線を逸らした。
けれど──次の瞬間には、真っ直ぐに彼の瞳を見返した。
「勘違いなさらないで。私は剣を選んだのではなく、“私自身”を選んだの」
「君が君を選んだというのなら、僕は“君に選ばれなかった僕”として存在し続けるしかない」
音楽が緩やかに高まり、会場が私たちを囲う。
視線はまだ集まっている。
でももう、誰の目も気にならなかった。
今この瞬間、私と彼の世界は“言葉”で張り詰めた戦場となっていた。
「君は、僕を捨てたくせに。今更になって……僕が恐ろしいのかい?」
「恐れるべきは、あなたではありません。あなたが傷つける誰かの未来ですわ」
「ふふ……やっぱり、好きだよ。君のそういう、綺麗で、醜いところ」
「ええ。綺麗で、醜くて、恐ろしくて、優しい。──それが私ですもの」
視線が交錯する。
仮面のような笑顔の奥で、互いの刃が密かにぶつかり合う。
アレクシスの目が、僅かに笑った。
「なら、この舞踏会を──君との“結婚式”にしてもいいかい?」
その瞬間──会場の温度が変わった。
「け、けっこんしき……?」
「まさか……求婚……?この場で?」
「冗談、では……ないのか?」
貴族たちの囁きが波のように広がっていく。
誰もが笑って受け流せない空気を、そこに感じ取っていた。
アレクシスの言葉はあまりに穏やかで、けれどあまりに重たかった。
「……ずいぶんと、ロマンチストですのね」
私は小さく、しかし確かに口角を上げてみせた。
「でも、勘違いなさらないで。“結婚”は二人で誓うもの。私一人が“否”と言えば、それは成立しませんわ」
「なら、“君が頷くまで”やめない。それだけさ」
「……それが、貴族としての振る舞い?冗談じゃありませんわ」
「僕はもう、“王子”でも“貴族”でもない。ただリリアナ、君だけを求める男だ」
その言葉には、飾りも虚勢もなかった。
むしろ──だからこそ、狂気だった。
「それとも……誰か他に、君を奪いに来てくれる“王子様”でもいるのかい?」
「……」
私は答えなかった。いや、答えるべきではないと思った。
誰かの名前を出せば、それが標的になる。
(エル、ミカ、レオン、シエラ、ミレーヌ──もう誰一人として巻き込ませはしない)
「……残念ですが、私は“誰かのもの”になるつもりなどございませんわ。誰かの所有物でいるくらいなら──私は、“魔王”にでもなってみせます」
その瞬間、アレクシスの目が細められた。
「君は“王妃”でなく、“魔王”を選ぶと言うのか……」
「ええ、私は自分の王国を築く女です。あなたの隣には立ちません」
「ふふ……」
アレクシスは、笑った。
だが──それは、“楽しそうな笑み”ではなかった。
その唇の端には、微かに“裂けるような歪み”が浮かび、目はどこか“虚”を映していた。
「なら……壊すしかないか、君の王国も。君の剣も。君の──」
「止めてください、アレクシス様」
私の声が、彼の言葉を遮った。
「ここは舞踏会です。あなたの“私物”ではない」
「……分かってるよ。でもね、リリアナ。僕は“分かり合う”ために来たんじゃない。
“取り戻す”ために来たんだ」
(やはりこの男は、もう戻ってこない)
かつての王子は、もうどこにもいなかった。
いるのは──私に執着し、“愛”と“憎しみ”を同一に語る、狂った亡霊。
──けれど。
「なら、私もあなたに“返して”もらいたいものがありますわ」
「……ほう?」
「かつての私を否定した感情ですわ」
(叶ではない。この体、リリアナのことだ)
「それはできない。 だって君は“今も”僕の中にいる。過去も、現在も、未来も──全部、君で埋まってる」
「なら、あなたの“未来”ごと──斬り落とすだけですわね」
私の声は、もう震えていなかった。
音楽は止まり、踊りも止まり。周囲の貴族達から注目を浴びる二人。
けれど、この空間に緊張が消えることはなかった。
アレクシスの手が、私の腰から静かに離れた。
「──ではまた、夜が深まる頃に」
そう告げて、彼はゆっくりと身を引く。
視線だけは、私から逸らすことなく。
私はその背に、一礼を返すことなく、ただ見下ろした。
(さあ、始まったわ。もう後には戻れない)
今夜は“戦場”──私は、勝つつもりで来ている。
「……負けるつもりなんてありませんわ」




