第七十話「歪んだ筆跡、封じられた声」
──ごきげんよう。今回は、私じゃなくて妾が書いてやるぞ!
え? いきなり妾でびっくりしたか? そうじゃろ、そうじゃろ~!
でもな、今日はちょっと“変な手紙”が来たんじゃ。
妾でも分かるくらい、怖くて変で……なんか、壊れかけた心の音が聞こえるような──そんな感じのやつ。
だからな、今日は妾がちゃんと見張っててやるんじゃ。
ちゃんと最後まで見ておけよな!
朝の光は穏やかだった。
昨日と変わらない時間。
エルは静かに本を開き、ミカはパンを齧り、私は朝食の準備をしていた。
何も変わらない。
……そのはずだった。
「お嬢様、外から“差出人不明”の封書が届きました……」
ミレーヌが声を振るわせながら、手渡してきた。
「差出人不明……?」
珍しい。というより、私宛ての手紙自体がそう多くはない。
(まさか──また王城関係?)
そう思いながら受け取った封筒は──古びた羊皮紙に、赤い蝋封。
まるで中世の呪詛でも閉じ込められていそうな、禍々しい印象。
「……嫌な予感がしますわね」
封を割る。
中から現れたのは、綺麗とは言い難い筆跡で綴られた一枚の手紙。
だが──その一行目を見た瞬間、私の心臓が跳ねた。
──そこには、こう書かれていた。
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愛しのリリアナへ
君は、今も変わらず美しいのだろうか。
あの夜、星の瞬きを見つめながら、僕に背を向けた君。
白いドレスの裾が、まるで罪の証のように揺れていた。
忘れたか? 君が振り上げたその剣が、僕の全てを切り裂いた夜を。
君の目が、僕の“王子”という仮面を剥ぎ取り、ただの“男”として見捨てたあの瞬間を。
リリアナ。ねぇ、リリアナ。
どうして君は僕を置いて行ったの?
どうして君は“強く”なってしまったの?
どうして僕じゃ、君を縛ることができなかったんだ?
君が笑えば、世界が輝いた。
君が泣けば、雨が降った。
君が怒れば、空が裂けた。
君がいれば、僕は“存在”できた。
君がいない世界で、僕は何者にもなれなかった。
あれから、君はどれだけ眠った?
どれだけの血を見た?
どれだけの人間を、自分の力でねじ伏せた?
君の手のひらに宿ったその力は、誰のためのもの?
君が願う“普通”は、誰と交わした約束?
ねぇ、答えてよ、リリアナ。
君は本当に、幸せだったの?
僕を切り捨てて、本当に……幸せだったの?
僕はね、君を呪った。何度も。何百回も。
君の名前を紙に刻んで、燃やして、飲み込んで、血で書き直して、壁に叩きつけて──
それでも、忘れられなかったんだ。
君の瞳。
君の声。
君の、剣。
君の背中。
君の、温度。
君の……否定。
僕を王子からただの男にしたのは君だった。
そして今、僕を“怪物”に変えたのも、また君だった。
ありがとう、リリアナ。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
君がすべてを壊してくれたおかげで、僕はようやく生きられる。
愛してるよ。
心の底から。君以外、いらない。いらなかった。いらないんだ。
──だからさ。
もう一度、君を手に入れるためなら、僕はこの国ごと飲み込んでもいい。
舞踏会、覚えてるかい?
今度は、そこで待ってる。
誰のためでもない。
君のための舞踏会だ。
君と、僕の、最後の舞台だ。
来なければ、壊すよ。
来ても、壊すよ。
君の心を、君の未来を、君の夢を、君が守ろうとしている“なにか”を──
全部、全部、君の目の前で、壊してみせる。
愛してる。
愛してる。
愛してる。
だから殺したい。
だから壊したい。
だから、君だけが欲しい。
この手紙が届いた時、君がまだ“普通”を望んでいるなら……
僕は君を、普通に戻してあげる。
永遠に、壊れたままの“普通”に。
君だけが僕の王妃であり、処刑台の生贄であり、最愛のリリアナであり、罪そのもの。
──アレクシス・フォン・エルフェルト
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「……っ」
手紙を持つ手が、震えていた。
声が出せない。
脳が理解を拒んでいた。
(死んだ……はずじゃ……)
あのアレクシスが──死んだと思っていた、あの男が──
「……知ってたのか」
エルの低い声が、沈黙を裂いた。
「な、何が……」
「その名前。アレクシス。まさか……お前の──」
私は、首を振った。
何度も、何度も、振った。
「違う……違いますわ。あの人は……もう死んだんですの……」
でも、手の中の文字は消えない。
滲んで、滲んで、けれど鮮やかにそこにあった。
「リリアナ?」
ミカがのぞき込む。
私の顔を見て──初めて“沈黙”を覚えたかのように、黙った。
「……妾、誰にでも笑えるけど、今のリリアナには、何も言えんのう」
(笑って……なんて言わないで)
私は手紙を胸に抱き、深く、深く、息を吐いた。
──来る。あの人が、この国に。




