第六十六話「焼け跡からの目覚め」
──ごきげんよう、リリアナ・フォン・エルフェルトですわ。
誰にでも“名前”はありますわよね。でも、それが与えられたものじゃなく、“生まれ直すように得た”名前だったとしたら──そこには、想像もできないような、痛みが宿っているのかもしれませんわ。
今、私がそばにいる二人は……まさにそう。
彼らが背負ってきたものに、私がどこまで近づけるかは分かりません。でも、少なくとも、知りたいと思った。その気持ちだけは、嘘じゃありませんわ。
第六十六話《焼け跡からの目覚め》。始めますわね。
「それで……二人の名前もまた、この世界で決まったものなの?」
私は、何気ないふりをして訊いた。けれど、内心では、鼓動が速くなっていた。
“名前”というものに、どれほどの意味があるのか──それを知ってしまった今、軽々しく口にするのが怖かった。
エルは短く答えた。
「ああ」
それだけ。
だからこそ、私はもう一歩踏み込んでしまった。
「それって……聞いてもいいの?」
一瞬、彼の目が私を射抜いた。まるで、“試されている”ような視線。
「なぜ言わないといけない」
その冷たさに、私は反射的に身を縮めた。
「い、いえ。別に……言いたくなければ、大丈夫だけど」
(やっぱり……軽率だったかしら)
けれど、その時の私は、知らなかった。
“その名前”が、どれだけの痛みの上に成り立っているのかを。
「……俺たちは、この世界で生まれ直した。エルとミカとして」
その言葉が、重く沈んだ。
「前の記憶は──思い出したくはない」
目を伏せることなく、まっすぐそう言った彼に、私は何も返せなかった。
(生まれ直した……)
その表現が、あまりに静かで、あまりに重くて。
まるで、それ以外に選べる言葉がなかったかのように感じられた。
「二人がこの世界に来たのは、いつ?」
私は恐る恐る尋ねる。
今度は、少し間を置いてからの返答だった。
「……三年前、だったか」
三年。たった三年。でも──
(私はまだ一年も経っていないのに)
私の転生は、比較的“穏やか”だった。気づいた時にはベッドの上で、使用人がいて、家族がいて、屋敷があって。
でも、彼らは違う。
(彼らは……本当に、焼け跡から生まれてきたんだ)
気づけば、ミカはまだ団子を頬張っていた。
その無邪気な笑顔が、今はどこか“痛々しく”見える。
「エル?」
「何だ」
「ミカの話し方って……その……」
あの独特な、どこか浮世離れした言葉遣い。ずっと不思議だったけれど、ふと思い出したように訊いてしまった。
「……あいつは記憶がない」
「え──」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「それって……」
「言ったろ。俺が先に死んだ。あいつがその後どう殺されたかは知らない。だが──スキルが“破壊”なんて物騒な名前だ。それに記憶を失ってるときた」
(……破壊神)
あの圧倒的な力。その根底にあるのが、“記憶の喪失”だなんて。
「俺も初めは驚いたさ。でもな、思い出させるのも酷だろ。……あいつにとっては、知らないままでいる方が、幸せかもしれない」
「……そう、ですわね」
私は、それ以上、何も言えなかった。
ミカの“明るさ”は──無邪気なのではなく、“無垢”だった。
過去を知らないという残酷な祝福。それが、あの子を笑顔にしていた。
「リリアナーー!こっちの団子も美味いぞーー!」
ミカの明るい声が響いた。
私の方に向かって手を振る彼女の姿は、まるで何も知らない少女。
けれど──私は、もう“そのまま”では見られなくなってしまった。
(何も知らずに笑えるって……本当はすごく、尊いことなのかもしれない)
「ええ、後でいただきますわ〜」
そう返すのが精一杯だった。
私の声が、少しだけ掠れていたのに……誰も気づかないふりをしてくれた。
第六十六話《焼け跡からの目覚め》②
「……俺がこの世界で目覚めた時、辺りは炎に包まれていた」
ぽつりと、エルが呟いた。
それは、風に流れるような自然な一言だったけれど──私の背筋には冷たいものが走った。
「炎に……!?」
信じられなかった。というより、想像が追いつかなかった。
目覚めた時が“炎の中”──そんな目覚め方があるなんて。
「ああ。後から聞いた話だが、あそこは結構栄えていた国だったようだな」
エルは視線を遠くに向けた。
今、この王都とはまるで違う空の色を思い出しているように、言葉を続ける。
「だが、目を覚ました俺が見たのは──炎に、破壊され尽くされた街の光景だった」
(破壊……)
その言葉だけで、私は察してしまった。
その破壊が、誰によってもたらされたものかを。
「炎の中から現れたのが、ミカだった」
一瞬、息が詰まった。
「俺はこいつが妹だと、確信した。姿は違えど──兄である俺には分かった。不思議なことにな」
(家族……なんですのね)
生まれ変わっても、姿が変わっても、記憶が曖昧でも──それでも、血の繋がりは“感覚”として残っていたというの?
「兄妹ですものね」
そう口にした瞬間、エルがピクリと眉を動かした。
「……口調うざいって言ったろ」
「他の目もありますの!!」
私は小声で、必死に抗議する。
(いちいち真顔で指摘しないでくださる!?)
「なら仕方ないか」
──妙に真剣な納得をしないでいただきたい。
その、変にテンポのずれたやりとりに、少しだけ緊張がほぐれる。
(ほんの少しだけ、ね)
「で、どこまで話しましたっけ?」
私は話を戻すように問う。
エルは首をひと振りして、短く答えた。
「終わりだ」
「え、もう?」
「これ以上は同じだ。二人が暮らせる国を探して、否定されて、壊して。……その繰り返しだった」
(……)
その言葉に、私は何も返せなかった。
繰り返された“拒絶”と“破壊”。それが彼らの三年間だった。
笑ってる場合じゃなかった。アイスなんて食べてる場合でも。団子で浮かれてる場合でも──
「……ごめんなさい」
自然と、そんな言葉が漏れていた。
エルがこちらを見る。
「何故謝る」
「私は……一人で空回りして、自業自得で死んだんですの。だからあなた達二人の気持ちを、簡単に“分かる”なんて言ってあげられない。大人として」
言いながら、自分の言葉が妙に空々しく感じた。
私の“死”なんて、比べ物にならない。仕事が辛くて、何となく投げやりになって、トラックに轢かれた。
それだけで、この世界に転生して、力を得て、今ではこうして人と関わっている。
それがどれほど……恵まれていたかを、ようやく実感した。
「……同情なんていらん」
エルは、静かにそう言った。
「そう言っていただけると、助かりますわ」
(それでも、きっと私は──ずっと、気にし続ける)
一人だけ“痛み”を通っていない自分に、劣等感すら覚える。
──ただ、目を背けてはいけない。
「にしても……ミカのやつ、遅いな」
エルが辺りを見回す。
「ですわね。ちょっと見に行ってみましょう」
そう言った瞬間、背中に冷たい感覚が走った。
(何……今の)
風が吹いているわけでもないのに、背筋にぞわりと冷気が這う。
街は明るい。人もいる。喧騒もあって、安心していいはずなのに──
(……何だろう。この感じ)
「……嫌な予感が、しますわ」
本能が、告げていた。
──この“穏やかさ”は、長くは続かないと。




