第六十五話「異端者共」
「で、ここがアイス屋さんで──」
「待て」
エルの冷たい声が、私の言葉を遮った。
「何ですの?」
「なぜ俺たちは観光しているんだ」
眉を寄せて、心底困惑しているような顔。
私が差し出した木のスプーンに盛られたアイスが、空気の中で少しずつ溶けていく。あの圧倒的な戦いのあととは思えない、穏やかな昼下がり。空は雲一つなく、道行く人々は笑顔に満ちていて──
「新しくなったお父様の国を案内しようと思って……いやですの?」
私は、少しだけ俯いてそう言った。
(だって……あなたたち、あのときの顔が、あまりに悲しかったから)
「……はぁ。違う。嫌ではない」
「じゃあ──」
「ただ、俺たちが転生した国とは違うなって思っただけだ。……ここは何だ。なぜみんな笑顔なんだ。俺たちの国は誰も笑っていなかった。聞こえてくるのは……悲鳴だけだった」
その一言で、風景が変わった気がした。
まるで、今まで明るかった街が、一瞬で色褪せていくような。
(……そんな場所で、生きていたの?)
「そう、でしたの……」
私の声は、震えていた。
エルはふと、遠くを見た。その視線の先には、何もなかった。けれど、彼の目には“過去”が見えている気がした。
──そして、唐突に。
「ミカは、俺の妹だ」
「えっ」
思わず声を漏らした。
(兄妹!? 二人揃って転生者!?)
驚きと困惑が一気に押し寄せる。でも、すぐに私は──自分の無知を恥じた。
「……あとその話し方、俺の前ではうざいからやめてくれ。吐き気がする」
そう言って、エルは顔を引き攣らせた。いつもの冷静な仮面が、微かに歪んでいた。
(私……また、何か無神経なことを……)
ふと視線を移せば、ミカがひとりで露店の串団子を頬張っていた。
陽気な顔で、目を輝かせて。まるで……ただの子どもみたいに。
でも──
「俺とミカは、家で強盗にあった」
その言葉で、世界が凍った。
アイスの甘さも、風の心地よさも、すべてが遠ざかっていく。
「年齢は俺が十八で、妹が十二だ。俺は強盗に腹を刺された。ただ、自分の命がこぼれ落ちていくのを待つしかなかった。……それでも俺は兄として、妹に逃げろと叫んだ」
声が、しんと響いた。
誰もいない空間で、ただ物語だけが残されているような、そんな錯覚に陥る。
「だが、妹は逃げきれず……男の玩具にされた」
その言葉が落ちた瞬間、私は呼吸を忘れた。
「俺は何度も辞めろと叫んだ。でも誰も助けになんてこない。親が居ない時間を狙った、計画的犯行ってやつだ。俺は助けを求める妹の声に応えることが出来ず、力尽きた。──その後、妹がどんな目に遭ったのか。俺は知らない」
「……」
言葉が、出なかった。
(そんな……あの子が……)
「だが、スキルにあんな力が宿るくらいだ。相当思い出したくもないことをされたんだろう」
淡々と語るその声は、諦めでも憎しみでもない。感情を剥ぎ取られたような、ただの報告のようだった。
だけど、その静けさが……誰よりも深い傷を物語っていた。
私は拳を握ることしかできなかった。
(私は……この人たちの“痛み”に、触れようとしていた? そんなつもりじゃ──)
「……」
何も言えない。何も、返せない。
その沈黙を切り裂くように、エルは口を開いた。
「さぁ、お前も言えよ」
エルの言葉は、まっすぐだった。
問いかけというよりも──命令に近かった。
(……“言え”って、そんな簡単に……)
私は躊躇った。言うべきか、言わないべきか。
でも、その迷いの奥にあるのは、恥だった。
(だって──)
「私は……トラックに轢かれて死んだ。それだけ」
沈黙が、降りた。
空気が、ふっと冷たくなった気がした。
エルがわずかに眉を動かした。
「……それだけで、あそこまで強いスキルをもらえるのか?」
責めているわけじゃない。ただ、真っ直ぐに聞いてきただけ。でも、その無垢さが、余計に心を抉る。
「スキルが、そもそも何かは分からないけどね」
そう返すのが精一杯だった。
胸の奥が、ざらついていた。あのとき、私が最後に感じたもの。今も、はっきりと思い出せる。
あれは──
「俺は、スキルは“死ぬ間際の感情”から生まれるもんだと思っていた」
エルはポツリと呟く。
「なら、俺たちのスキルにも納得がいく。俺は妹を“守りたい”と思った。だから、“守り抜く力”を得た。ミカは……“壊したい”と思った。だから、“壊す力”を持って生まれた」
私は、何も言えなかった。
(じゃあ……私は)
考える。
思い出す。
あの交差点。忙しさに疲れ切って、思考も止まっていた通勤の朝。
突然のクラクション。真っ白に染まった視界。冷たいアスファルト。
(何を……思ってたっけ)
もっと仕事頑張らないと……。
明日も早いんだよなぁ……。
つらいなぁ……。
たぶん、その程度のことしか考えてなかった。
(そんな程度のことで、私はこの世界に転生して、“剣聖”や“武神”なんて……)
罪悪感が、じわじわと胸を満たしていく。
重い。苦しい。何より恥ずかしい。
(私は、この人たちのような深い“怒り”も、“守るべき存在”もなかったのに)
ただ──偶然。偶然、あのとき死んだだけ。
そのくせ、この世界ではすべてを“持って”いる。
力も、地位も、美貌も。
そして今では、誰かを守る“理由”すら。
(私は……何を思っていたの?)
ただ、“死にたくなかった”だけ?
(……本当にそれだけだったのかな?)
私は、唇を噛んだ。
誰かに否定されたわけじゃない。でも、自分の存在が、まるで空っぽの器みたいに感じられた。
それでも──
それでも、ここにいる意味を見つけたかった。
だって、今の私は、あのときとは違うから。
「私は──」
声を出そうとしたそのとき。
「リリアナ様ー!ミカ様が、団子屋の串まで食べてしまっております!」
兵士が駆けてくる。妙に切羽詰まった声。
「お、おいミカァ!それは木だ!木は食べ物じゃない!」
「え、でもこれも味するぞ?カリカリしておる!」
(ああ、もう……)
とてつもなく深くて、重たい話をしていた空気が、一瞬で崩壊した。
……思わず、笑いそうになる。
「ふふ……」
エルが、驚いたように私の顔を見た。
「なに笑って──」
「あなたの妹様、とても愛らしいですわね」
私は、そっと目を細めて言った。
ミカが走ってくる。口の端に団子のタレをつけたまま、串をまだ握って。
「団子って、あんなにうまいものだったんじゃな!この世界、悪くないのう!」
エルがため息をつく。その顔は、ほんの少しだけ……柔らかく見えた。
(私たちは──異端かもしれない。でも)
同じ世界で、同じ空を見ている。
それはきっと、意味があることだ。
──後書きだ。
……後書きって、何を話せばいいんだっけか?
正直こういうのは、慣れていない。話すのも、語るのも、苦手だ。
でもまあ、妹が楽しそうに団子を口にしてたし……あれが“普通”ってやつなら、少しくらい真似してみてもいいのかもしれない。
今回は俺たちの過去を話す回だった。気分のいいもんじゃないが、必要だった。
誰かに“理解される”ってのが、こんなに難しくて、でもほんの少し……心が軽くなるとはな。
リリアナ。お前は多分、俺たちとは違う場所から来た。
でも、お前が言った「守りたい」という言葉には、力があった。あの言葉がなければ、きっと──まだ俺たちは心を閉ざしていた。
次回、俺たちがこの国でどう生きていくか。異端者がどう“共にある”のか。
……見せてやるさ、俺たちなりの答えを。
じゃあな。また次の話で。




