第四十九話「忘却されし力」
(……え?)
私の脳が、現実を受け入れるのを拒絶した。
だって、そんなはずがない。
あの父が、王国最強の騎士が、誰よりも強いはずのこの人が……!?
けれど、現実は私の願望を容赦なく打ち砕く。
「……ぐっ……!!」
父は震える手で剣を支え、なんとか崩れ落ちるのを耐えている。
だが、その姿は"耐えているだけ"だった。
さっきまでの威厳も、気迫も、すべてが霧散し、ただ必死に身体を支えている"弱者"の姿。
「お、お父様……?」
声が震える。
いや、震えないわけがない。
さっき父と戦ったばかりだ。でも、それ以上の存在が出てきたのだ。
「おいおい、どうした王様ァ?まさか、俺の"怒気"に耐えられなくなったのか?」
ダイルが嗤う。
その笑みは、まるで自分の"勝ち"を確信したかのような、それでいて"期待"するような、そんな歪な感情が入り混じっているように見える。
「……っ、お前……何をした……!」
父が歯を食いしばりながら問いかける。
その問いに、ダイルは愉快そうに肩をすくめた。
「言ったろ?俺の怒りに晒されれば、誰でも萎縮しちまう。王国最強?そんなの関係ねぇ。誰だろうが、俺の前では等しく泣き喚くガキに過ぎねぇ」
(……そんな、そんなのおかしい……!)
父は、まだ戦ってもいない。
剣を交えてもいないのに、ただそこにいるだけでまるでもう敗者のような扱いを受けている。
そんなの、そんなのって……!!
「……くっ!」
私は、剣を強く握りしめる。
私だって、本当は動きたくない。
足がすくんでいる。
でも……!
(ここで私が戦わなかったら、本当に終わる)
父が敗れるなら、次は私がやられる。
ここで"逃げる"なんて、絶対に許されない。
「……お父様、下がっていてくださいませ」
「なっ……!?」
「今度は、私がやりますわ」
私は、剣を振るう。
そして、ダイルに向かって駆け出した──!
──駆ける。
恐怖が足を絡め取る。
理性が「やめろ」と警鐘を鳴らす。
それでも、私は止まらない。
(ここで止まったら、本当に終わる……!)
《剣聖》の力を最大限に解放する。
視界が鮮明になる。
世界の動きがスローモーションに感じられるほど、神経が研ぎ澄まされる。
──なのに、ダイルの姿だけが何故か"通常通りに"見える。
(……なんで!?)
速すぎる。
私の反応速度を上回っている?
いや、違う──"視認できない"のだ。
どれだけ集中しても、彼の動きだけが捉えられない。
「お嬢ちゃん、そんなスピードで俺に届くと本気で思ってんのか?」
声がする。
目の前じゃない。横?いや、後ろ……?
「──遅い」
「っ……!?」
次の瞬間、背後から強烈な衝撃を受ける。
「ぐっ……ぁ!!」
意識が跳ねる。
地面を転がる。
肺から空気が押し出され、まともに息ができない。
(い、いつの間に後ろに……!?)
確かに正面にいたはず。
なのに、彼は"いつの間にか"背後にいた。
見えなかった。
察知もできなかった。
「ちょっとは楽しめると思ったけど、拍子抜けだなぁ?」
ダイルが、余裕の笑みを浮かべながらこちらを見下ろす。
「……ふざけないでくださいませ!!」
私は咄嗟に跳び上がる。
残された力を振り絞り、剣を振るう。
──だが。
「それじゃあ、ダメなんだよなぁ……」
軽く拳を振るっただけで、私の剣が"逸らされた"。
「なっ……!?」
何が起きたのか分からない。
ただ、私の攻撃はまるで風に流されるように無効化された。
「確かに強い。でもよ、お嬢ちゃん。力ってのはよ、"使いこなせなきゃ"意味ねぇんだよ」
(……っ!)
その言葉に、全身の血が冷たくなる。
(……こいつ……使い……こなす……)
その言葉に言い返す言葉が出てこない。
私は前世で剣なんて握った事がないし、スポーツが得意だったわけでもない。むしろその逆。教室の隅で本を読むようなそんな子供だった。大人になってからも結局変わらなかった。どこまでも私は一人だった。
でも、この世界では違う。
「じゃ、そろそろ終わりにしようか」
ダイルの拳が、再び振るわれる。
今度こそ、本当に──"殺される"。
──死ぬ。
私の脳が、理性が、本能が、一斉に警鐘を鳴らした。
この一撃を受けたら、確実に終わる。
今までの攻撃とは違う。これは──"殺しにきた一撃"だ。
(動け……!避けないと……!!)
身体が悲鳴を上げる。
肺がまだ酸素を求めている。
足が思うように動かない。
でも、それでも──
「リリアナッ!!」
父の叫びが聞こえた。
同時に、私の視界が真っ赤に染まる。
(……え?)
次の瞬間、世界が"止まった"。
いや、違う。
周囲の時間の流れが、まるで"ゆっくり"になったように感じる。
ダイルの拳が、ゆっくりと私へと迫っている。
私の目の前まで、ほんのわずかの距離。
──この拳が当たれば、終わる。
(……まだ終わらせない)
私の身体が、勝手に動いた。
剣を振るう。
これまでのどの一撃よりも速く、鋭く。
そして──ダイルの拳よりも"先に"、私の刃が彼の腕を捉えた。
「……は?」
ダイルの顔に、初めて"驚愕"の色が浮かぶ。
そして、私の刃が彼の腕を"斬った"。
「ぐっ……!」
ダイルが、後退する。
彼の腕から、一筋の血が流れた。
「……っ、てめぇ……!」
(……な、何が……?)
私は、震える手で自分の剣を見る。
今まで一切攻撃が通らなかったこの男に、"初めて傷を負わせた"。
自分でも何が起こったのか分からない。
でも──
(今、私……何を)
確かに、ダイルの拳が"遅く"なったように見えた。
いや、違う。"私の時間だけ"が、加速した……?
「……なぁ、お嬢ちゃん」
ダイルが、険しい表情で私を見つめる。
「お前、今の……"狙って"やったのか?」
「……え?」
「違うなら……てめぇ、何者だ?」
その問いに、私は答えられなかった。
ただ、手の中の剣を、強く握ることしかできなかった。
(……これは、一体……?)
この異変が、何を意味するのかも分からないまま、私はただ次の瞬間に備えていた。
──戦いは、まだ終わらない。




