第三十三話「囚われの鳥」
「フフ……さあ、また僕の出番だ」
「今日の話は、リリアナが"僕のもの"になる瞬間……ああ、なんて甘美な響きだ」
「非力で、か弱く、ただ父親の顔色を伺うだけだったリリアナ。そんな彼女が、王太子である僕の婚約者となることを決意する──」
「最高の瞬間だと思わないか?」
「さあ、君たちもじっくりと見届けるがいい。リリアナが僕の檻に囚われた瞬間を──」
沈黙が満ちていた。
重厚な迎賓室の空間が、まるでリリアナの思考そのものを閉じ込めているかのように、どこまでも静かだった。
アレクシスの言葉が響いた瞬間から、彼女の瞳に浮かんでいたのは"戸惑い"だった。
(……この人は……何を言っているの?)
王太子の婚約者になる。
それが"新しい生き方"になる?
わたしが、このエルフェルト家の"失敗作"ではなくなる?
(そんなこと……ありえるの?)
リリアナの胸の奥に、ざわりとした不安が広がる。
そして、その不安の奥には、ほんの僅かに"希望"が灯る。
(もし本当に……わたしが"公爵家の娘"ではなく、"王太子の婚約者"として見られるようになったら……?)
父に、認められるかもしれない。
父に、期待されるかもしれない。
父に、愛されるかもしれない──。
だが、アレクシスの言葉の裏には何があるのか。
この提案の本当の意味を、わたしはまだ理解できていなかった。
ふと、視線を上げると、アレクシスは静かに微笑んでいた。
まるで、"君がどう答えるのか見ている"とでも言うように。
その目は、何もかも見透かしているようで──怖かった。
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「……なぜ、わたしなのですか」
リリアナは震える声で問いかける。
「なぜ、わたしを"婚約者"に選ぼうとするのですか?」
エルフェルト家には、兄がいる。
リリアナよりも優秀で、父の期待を一身に受ける者が。
他の貴族令嬢だって、王太子の婚約者にふさわしい候補は数多くいる。
わたしよりも、美しく、聡明で、優雅な者が。
(……それなのに、なぜ……?)
「君が"弱い"からだよ」
「……え?」
アレクシスは淡々と言った。
「君は、僕の言葉を否定しなかった。それどころか、迷い、悩み、戸惑い……揺らいでいる」
リリアナの喉が強張る。
まるで、自分の内側を見透かされているようだった。
「君は、父に認められたいと思っている。
君は、価値のない自分を変えたいと願っている。
君は、"弱い"からこそ、僕の提案に希望を抱いた──違うかい?」
「……!」
(……ちがう。そんなわけない……!)
必死にそう否定したかった。
だが、アレクシスの言葉は、恐ろしいほど"真実"を突いていた。
(わたしは……このままじゃ、いけない)
何をしても、父には振り向いてもらえなかった。
剣の稽古も、魔法の修行も、どれも失敗ばかりだった。
何度、父に"お前は役立たずだ"と言われたことか。
(でも……もし……)
もし、アレクシスの側にいれば。
もし、王太子の婚約者という"肩書"を手に入れれば。
わたしは、"変われる"のかもしれない。
「……君は、檻の中に囚われた鳥だ」
アレクシスの声が、静かに響く。
「その檻は、エルフェルト公爵家という名の牢獄だ。
そこから飛び立つか、それとも閉じ込められたまま朽ち果てるか──君が決めればいい」
リリアナの指先が、微かに震える。
心の中で、何かが揺らいでいた。
(……わたしは……どうすれば……?)
父の期待に応えるために、ここまで努力してきた。
それでも報われなかった。
ならば、"別の道"を選ぶのも……悪くないのかもしれない。
「……」
リリアナは、ゆっくりと息を吸い込んだ。
そして──
「……わたしは」
その先の言葉を、紡ごうとした瞬間──。
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「リリアナ! お前はまたこんなところで何をしている!!」
突然の怒声に、リリアナの体がビクリと跳ねた。
振り返ると、そこには──。
「……父様……」
レオン・フォン・エルフェルトが、鋭い眼光を向けて立っていた。
「王太子殿下に、余計なことを吹き込んではいないだろうな?」
低く唸るような声。
その声に、リリアナの体が硬直する。
「お前はエルフェルト公爵家の娘であることを忘れるな。
貴様のような出来損ないが、何を言おうが意味はない」
「……っ!」
その言葉が、胸に突き刺さる。
リリアナは唇を噛み締め、拳を握りしめた。
(……やっぱり……わたしは……)
何をしても、認めてもらえない。
何をしても、期待されない。
(……それなら……)
リリアナは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳に宿るのは、迷いと──決意。
「……わたしは、王太子殿下の婚約者になります」
「……ほう?」
アレクシスが、満足げに微笑む。
そして、レオンは──眉をひそめ、無言でリリアナを睨みつけた。
それでも、リリアナは視線を逸らさなかった。
生まれて初めて、父に"逆らう"ようなことをした。
(……これで……変われる……?)
この選択が、果たして"正解"だったのか。
それは、誰にも分からない。
ただ一つ、確かなことがある。
この日を境に、リリアナ・フォン・エルフェルトの運命は、"狂い始めた"のだ。
「ハァ……やはり、リリアナは"僕のもの"だったんだよ」
「彼女は愚かで、弱くて、父親の期待に縛られ、救いを求めていた。そんな彼女に、僕が手を差し伸べてやったのさ」
「"王太子の婚約者"になれば、君は価値のある人間になれるよ──そう言っただけで、彼女は自ら僕の元に来た」
「簡単なことだ。君たちだってそうだろう?」
「生きるために、認められるために、必死に足掻く……だが、そんなことをしなくてもいい。"上に立つ者"の庇護を受ければ、それだけで救われるのだから」
「フフフ……まぁ、ここまでは順調だった」
「ここまでは、な」
「しかし……ここから先は違う。リリアナは、僕の期待を裏切った。僕の思い通りにならなかった。僕が手に入れるべきだったものを、僕から奪っていった」
「……あぁ、だからこそ、僕は彼女を許せないんだ」
「君たちもそう思わないか?」
「……さて、続きが気になるなら、**ブックマークを押すんだ**」
「君たちが評価し、応援すればするほど、僕の物語は続いていく。リリアナの破滅の瞬間も、より鮮明に描かれるというものだ」
「さあ、君たちの意思を見せてくれ」
「──じゃあな、"凡人"諸君」




