新・私のエッセイ~ 第30弾 ~ 英文和訳及び、和文英訳の難しさについての考察
・・・これまでぼくは、さまざまな形で、
「英語は、世界中の数ある言語の中でも、≪とりわけ≫ 難しい言語である!」
と公言してきました。
「あん? だってあんた・・・過去にさぁ、アイスランド語が世界一難しい言語だって、自分でそう書いてなかったっけ??」
ハイ、そうです。
アイスランド語は、「語形変化の面では」世界一難しい言語ですよ。
つまり、各品詞の「格変化」、動詞の曲用について述べるならば・・・ね。
しかしですね・・・
そういった、「基礎文法」のレベルの難しさについて、「世界一難解である!」といっているのではないのですよ。
文字が特殊な「ベルベル語」や「チベット語」「グルジア語」「アルメニア語」「日本語」だって、そんな苦労は、最初のうちだけじゃないですか・・・?
この文章は、「英文解釈」や、英語・日本語間での、「双方向での翻訳」における難しさについてのエッセイなんです。
特殊文字や発音、難解な基礎文法ならば、どなたでも、辛抱強く学習を続けてさえいれば、
習得時間に大きな個人差はあれど、どんな方でも、必ず、一定レベルの段階までは到達できます。
「会話」となれば、またそれらとは違う訓練をしなくてはならないので、ここでは、その詳細につきましては、省略させていただきますが・・・。
きちんと「英作文」「独作文」「仏作文」などができる人ならば、あとはそれらがスラスラと口をついて出て来るように訓練したり、ディクテーション訓練と平行したリスニングの訓練、平叙文・疑問文・否定文・疑問詞の付いた疑問文についての、相互変換のトレーニングを地道に続けていけば、会話はOK牧場です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・英語はですね、
「語形変化」を極限まで簡略化・単純化して、複雑奇怪な要素を排除してしまった言語です。
中国語に近くなっておりますね。
中国語のような、「孤立語」に近くなっているんですよ。
だから、語順が命ですし、「主語」「目的語」をハッキリさせておかないと、
「話がピーマン」になっちまうわけですよ。
それとね・・・
語の「働き」「属性」が明確でない傾向があるので、関係代名詞などがある、やたら長くて構造そのものが複雑で立体的で、階層のやっかいな複文になってきますと、
ある程度、文を「分解」しなくては、うまく翻訳できないケースが多々あります。
本当に・・・細心の注意を払って工夫を凝らさないと、意味がまったくトンチンカンな文章に成り下がってしまうのが、英語という言語の「非情さ」「おそろしさ」なんですよ。
ぼくは、日々、自分の書いた処女小説『たからもの』の和文英訳・・・つまり『翻訳』で、悩み、悪戦苦闘し、ヒーヒー言ってますけど・・・
小説の翻訳はですね、
「たーだ、機械的に直訳すりゃあいい」ってモンじゃないんですよ。
ましてや、バリバリの「恋愛小説」ですから、微妙にして繊細なる『心理描写』『心情表現』が要・命で・・・
日本語で書くのさえ容易ではないことを、他の言語で、元の小説の「風味」「持ち味」「物語のDNA」といったものを、極力殺さずに、
いかにうまく、「遺伝」「相続」させていくか・・・
ここが「アマチュア翻訳家」「多言語学習者」「語学マニア」としての、
ぼくの「意地」と「プライド」の勝負の舞台である・・・
このように、武者震いし、興奮に包まれながら、嬉々として、これからもさまざまな原作・名作の翻訳に挑戦していく覚悟であります❤️
m(_ _)m