3 電車
「カナコさん?」
いつも通り下校して、電車に乗ると、見覚えのある顔がいた。
なぜ彼女がこの電車に乗っているのだろう。
驚きと共に彼女の名前を呼んでしまった。彼女はすぐに僕に気付いた。
「あ、徳川家の」
「坂崎家です」
カナコさんのボケにすかさず突っ込んでしまう。
ほとんど人のいない車両の中、わざわざ彼女の隣に座るのはなんだか気が引ける。
あ、でもクラスメイトだから別に変なことではないか。
席も隣同士だし。電車でたまたま居合わせて、隣に座ることぐらいなんともない。
僕は彼女の許可を得る前にカナコさんの隣に腰を下ろした。
「同じ電車だったんだね」
「私は知ってたよ」
「え、知ってたんだ!?」
思わず大きな声を出してしまった。
「そりゃ、同じクラスの男の子のことぐらい覚えてるでしょ」
「いや、けどさ……」
「もしかして、今の今まで私の存在に気付いてなかった? 私、坂崎くんの一個前の駅から乗ってるよ」
ほぼ地元じゃないか。
まさかカナコさんとそんなに家が近かったとは思いもしなかった。
なんだか少し気分が上がった。
「ちょっと話聞いてくれる?」
「うん」
カナコさんから僕に「話聞いてくれる?」なんて言われると思っていなかった。
ちゃんと会話するのはこれが3回目なのに……。
ずっと前からお互いを知っている幼馴染みたいな感覚になる。
「店長が嫌いなんだ。だから、嫌がらせで今月分の給料取りに行ってやんなーい! って思ってたら、さっき電話かかってきてめっちゃ怒られた」
「それは、カナコさんの度胸がすごいよ。…………って、まって、バイトしてるの?」
軽く話を聞いていたけど、店長とか給料とか僕らの会話であまり聞いたことのない単語が聞こえた。
「そ!」
そんな明るい口調で答えられても。
「うちの学校バイト禁止じゃない?」
「バレなきゃ、やってないのと一緒でしょ」
「じゃあ、僕に言っちゃダメでしょ」
「だよね」
これはこのままバイトの話を聞いたほうがいいのか?
それとも、バイトの話を深掘りしないほうがいいのだろうか。
僕が心の中でそう葛藤していると、カナコさんの方から「んでね、その店長がさ」と話を続けてきた。
「ほっっっんとに陰湿なんだ。心に余裕がないっていうの? 私がしてしまったミスとかさ、もう謝って解決してるのに、いつまでも引っ張り出してきてぐちぐち言ってくんの〜」
めっちゃギャル味高い。
カナコさんってこんな感じだったっけ? どんどんギャルになってない?
物静かな優等生の面影はどこに行ったのだろう。
「だるすぎて、もういっそのこと迷惑かけちゃえ〜って」
「すごいね、メンタル」
「大馬鹿者かめちゃくちゃ図太いか。‥‥私は後者でありたいなぁ」
「きっと後者だよ」
蒟蒻メンタルとかじゃない、もはやカナコさんはペースト状系のメンタルだと思う。
きな粉メンタルみたいな感じ。
「あ、でも、悪いのは私なんだよね。音信不通になりがちだから。報連相が苦手なんだ。典型的な社不」
「それはカナコさんが悪い。めちゃくちゃ悪い」
「アイノーウェル」
不服そうな表情を浮かべるカナコさんに「雇われるの向いてないね」と呟いた。
「けど、店長も60%は水でできるんだって思うとさ、まぁ、そんなけ水でできてりゃ脳みそ使えなくてもしょうがないってなる」
「うわ〜、口悪っ。てか、カナコさんも水60%でできてるんだよ?」
「そだよ。だから、私もこんな最低なのはしょうがないってなる」
カナコさんは自分のことを棚に上げて話さない。
いや、棚に上げて話しているのかとしれいけど、それでも別に嫌いになれない。
世の不満を言語化してくれている気がする。
鬱憤が溜まるといつか潰れてしまう。それなら潰れる前に吐き出した方が断然良い。
「坂崎くんは? なんか嫌なことないの?」
「う〜〜ん、ないかな。言ったところで解決しないし」
「言ったところで解決するしないが重要じゃなくて、心が軽くなるからいうんだよ」
ごもっとも。
普通電車だから、すべての駅で電車は止まる。まだ話す時間はある。
僕は少しだけ考えて口を開いた。