2 名前
とてつもなく隣の席から圧を感じる。
何故か僕は今、カナコさんにガンを飛ばされている。
……なにか悪いことしたっけ?
昨日は結局シャーペンは見つからなかった。それなのに、カナコさんは上機嫌で教室へと戻って行った。
彼女が言った通り、「美月のシャーペンを探した」という行為が、好感度アップに繋がっていた。
カナコさんは自分主義と言っていたけど、他者からの好感度や評価を求めてしまっている時点で少し違うような気もする。
ただ、評価は絶対にされるものだし、人生において必要不可欠だ。
「何?」
朝のチャイムが鳴り全員席に着いているのを確認した後、僕はカナコさんの方へと視線を向けた。
「坂崎くんって下の名前何?」
「綱吉」
「徳川の?」
絶対言われると思った。
自分の名前が大嫌いだ。生まれてこのかた一度も好きになれたことがない。
「そう。生類憐れみの令を出した徳川綱吉」
「え、まじで?」
まさか本当に名前の由来がそこからだと思わなかったのか、カナコさんは目を丸くした。
まじで、って言葉とか使わないと思ってたな。
カナコさんは掘れば掘るほど面白い人種なのかもしれない。
彼女は机に肘をつきながら僕のことをじっと見つめてくる。
なんだその偉そうな態度は……。
「親がすっごい犬好きとか?」
「ご名答」
僕より犬の方が好きなんじゃないかってぐらい犬のことを愛している。
「犬って可愛いけど可哀想だよね」
「なんで?」
「人間の都合で可愛い可愛いって言われて、勝手に飼われて……。かと思えば、狂犬病になるリスクを避けるために殺処分されてさ」
「殺処分反対派なんだ?」
僕のこの言葉に彼女は笑いながら「まさか」と答えた。
「人間がそこまで勝手に生きてるのなら、犬を生かすも殺すも人間の手で決めて何が悪い?って思う。人間が生きるために今までだって残酷なこと沢山してきたくせにって」
「世の中は弱肉強食の世界だもんね」
だから、僕は動物愛護団体を好きになれない。
けど、彼らを見ていると人間らしさを感じることができる。
なんて我儘で自分勝手な生き物なのだろう。
「豚、牛、鶏は食べるのに、なんで犬は食べてはいけないのって考えたことない?」
「あ〜、あるかも」
「中国とかには犬食文化があるじゃん。けど、世界は犬を食べる文化を卑下する。意味わかんなくない?」
彼女は眉間に皺を寄せながら僕の方を見つめた。
たしかに言われてみればそうかもしれない。
文化を尊重しろなんて言うわりに、どこかで軽蔑心がある。けど、みんなそんなものだろう。
言葉を胸にしまっておくか、口に出すか……。
口に出せば大体争いが生まれる。
ヒンドゥー教では神聖な牛を食べることは禁止されている。彼らから見た僕らはとんでもないことをしているのだろう。
だけど、それを咎めないし、強要しない。
それなら、僕らが犬を食べるのを咎められる理由は存在しない。
「なんか、朝から難しい話題だね」
「けど、ちゃんと考えてくれる坂崎くんは優しいね」
「僕もどちらかというと考えがカナコさん寄りなのかも」
「お〜、同志だ」
彼女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
こんな風に無邪気に笑うんだと少し驚いた。
「これはあくまで個人的な意見なんだけど、私はね、ペットにされてる犬の方が可哀想だと思う。自由に生きることを奪われてるんだから。人間の心を満たすために飼われてるんだよ」
「ペットは癒しだもんな」
徳川綱吉には僕はなれない。
「人間が利己的な生き物だと分かっているからこそ、私はとことん自分勝手に生きてやる」
彼女の言葉がはっきりと耳の中で響いた。