第一章7 『嘘をつくな』
「きみひとりしかここにいないと思うけど、親方はどこにいるの?」
「え、いやあ……気にしないでくれ」
ショートカットの金髪に前髪を上げたポンパドール。黒を基調とした服装。何より気になる、背から生えた翼。
「夜中に忍び込む翼の生えた女の子。まさかサキュバス!?俺、あんなことやこんなことされちゃうの!?」
サキュバス?は立ち上がりアキラの方に歩く。身長は百六十センチくらいだろうか。
「サキュバスじゃないわよ。この翼は私が竜人だから。私はティオ・レース。この屋敷の上空を通り過ぎようとしたら、何故か魔力切れを起こして落っこちちゃったのよ」
ティオは翼を背中にしまう。完全に翼は背に取り込まれた。
「すげえ。翼しまうと普通の綺麗な女の子って感じだな」
アキラは率直に感想を述べる。
「どうもありがとう。さて、この屋敷から出ないと」
ティオは辺りを見回す。
「ん、翼で飛んでるのに魔力切れで落っこちるってどういうことだ?」
ふと湧いた疑問を口にするアキラ。
「う、私の翼はちょっと特殊なの。魔力を流さないと耐えられないっていうか」
「何に?」
アキラは純真な子どものように問う。その様子にティオは圧され、小声で答える。
「自重によ」
目線を下に向けるティオ。
「なんだそういうことか」
「なによそのあっけらかんととした態度は!乙女のプライバシーに踏み込んでおいて!」
ティオは顔をほんのり赤くし、グッとアキラに詰め寄る。
近い近い近い。いま背中を誰かに押されたらキスしてしまいそうな距離だ。アキラは少し慌てる。
「ご、ごめん」
両手を顔の前にやって振る。
コンコン。
ドアをノックする音が聞こえた。
「やばい!ティオ、隠れろ!」
アキラはティオをベッドに突き飛ばし、布団をかける。
「な、なんで――」
「説明してる暇はない!静かにしてろよ!」
アキラは部屋のドアを開ける。
「マリンか。何の用?」
「先ほど大きな音がお客さまの部屋から聞こえましたので、確認に参りました。……なんですかあの穴は?」
マリンは即座に天井の穴を見つけた。
穴に気を取られてベッドの妙な膨らみには気づいていない、と思いたい。
「あ、ああ。寝ぼけて魔法を使っちゃって。ごめんなさい」
「……。替えの部屋をご用意します。しばらくお待ちください」
マリンは部屋をあとにする。
セーフ。人の家に女の子を連れ込んだ変態と思われるところだった。
アキラはふうーと胸をなでおろす。
「ティオ、屋敷の外まで案内するよ」
アキラは布団をベッドから剥がす。
ティオは丸くなっている。
「もう、なんなのよ」
ティオは不満げだ。
「悪い。俺にも色々事情があって……。さあ、早く行こう」
「わかったわ、よろしく。あなた名前は?」
「アキラだ」
アキラはドアを開け、左右の廊下に誰もいないことを確認し部屋を出る。
ティオはアキラの後ろをついていく。
廊下には明かりがついていない。窓から差し込む月?の光だけが廊下を照らす。
アキラはティオとはぐれないように、何かに引っかかって転ばないように慎重にそれでいて迅速に屋敷の玄関までティオを連れていく。
「そういえば、何でこの辺りに来たんだ? それも夜に」
「妹を探しにきたの、もう二年も村に戻ってこないから。王都に行くって置手紙を残して。」
大変なんだな、とアキラは閉口する。
玄関についた。
「じゃあここで」
「ありがとうアキラ。何かお礼をしたいところだけど、こんな夜じゃね。じゃあね。」
ティオは手を身体の前に出す。
それを受けてアキラも手を前に出す。
握手。
ティオは去っていった。
部屋に戻るアキラ。
「ふう。魔力切れって、感覚で切れる前にわかるものじゃないのか?」
ふと気になる疑問が生まれたが、尋ねる相手はもういない。
コンコン。
ドアが鳴る。
「はーい」
アキラはドアを開けた。マリンが無表情で立っている。
「替えの部屋がご用意できましたのでご案内いたします」
アキラは、マリンに連れられひとつ隣の部屋に移る。
隣の部屋にいたのか、ティオを見られなくて良かった……と、ふうと息を吐くアキラ。
バッグを机に置き、ベッドにダイブするアキラ。
「いま何時くらいだろ」
見回すが時計らしきものはない。眠気をアキラが襲う。
「俺が異世界転移した理由ってあるんだろうか」
サニーから聞く話によれば、魔王という存在はいない。
世界を救うためってわけではなさそうだ。
これから何を目標に生きていけばいいのか。アキラは考える。
考えているうちに、寝た。
「おはようございます。エル様からお話があります。ご同行ください」
マリンの声で目が覚める。
そういえば寝ぼけてドアのノックに返事をしたような。
何の用だろう? アキラは目を擦り、ベッドからゆっくりと起きる。
「よろしく、マリン」
マリンは返事もせず、アキラの前を歩く。
やってきたのは、執務室らしき部屋。
奥に机を挟んでエルが座っている。
「疲れはとれたかい? 早速だけどきみに聞きたいことがあってね」
「は、はい。何ですか?」
「この屋敷には万が一のために魔力妨害の結界が張ってあるんだけど、これは失礼ながらアキラくんも対象になっている。なのに、不可解なことが昨夜起きた」
アキラは緊張感に包まれる部屋の雰囲気にゴクリと唾を飲む。エルは続ける。
「魔法で天井を破壊したらしいね。……本当かいそれは」
「え、あ」
エルの声の圧で胃が冷たくなりしどろもどろになるアキラ。
「本当なら、いまここで、指の先に火を灯す魔法でも使ってみてくれたまえ」
「部屋の穴は――」
瞬間、アキラの目の前首元にマリンが手刀を伸ばす。
「正直にお答えくださいますようお願いします。お客さま」
伸びた爪はアキラの皮膚を鋭利に切り裂くだろう。冷ややかな目でこちらを見るマリン。
アキラは、もう正直に話す他この状況を脱する方法はないと悟る。
「もしやきみは、天教聖者団の聖者なのかな」
アキラが口を開かなければ、この状況はますます悪化する。
「て、天井から女の子が落ちてきたんだ! 竜人って言ってた! 空を飛んでいたら魔力切れになって落っこちたって!」
震える声でそう弁明するアキラ。
「それは、魔力切れではなくて魔力妨害の結界に引っかかったんだね。うん、ありがとう。もういいよ」
アキラの首元から手を戻すマリン。エルはにこりとしている。
「いいかい。ひとつだけ守ってほしいことがある。ここでは嘘はつかないでね」
「は、はい」
「じゃあ朝食にしようか」
エルは席を立つ。マリンはエルについていく。アキラもそのあとに続く。
大きいテーブルがある部屋に入る。テーブルには食事が乗っている。メルザが椅子に座っていた。
「あ、おはようアキラ」
笑顔のメルザ。先ほどのことで気が重くなっているアキラの心中を吹き飛ばすかのような女神を思わせる声。
「おはようメルザ」
アキラは多少ぎこちなく口角を上げ挨拶し返し、エル、マリンとともに椅子に座る。
「では、いただきます」
パンとスープ、そしてサラダ。屋敷の規模に比べれば質素な食事だなと感じながらアキラは朝食を食す。
「あの、天教聖者団ってなんなんですか?」
アキラはエルの方を見る。
「知らなかったのかい。そうだね、活動内容も目的も不明。怪しい宗教団体とでも思ってくれればいいよ。七人の聖者と多数の信者で構成されていて、世界の何処かに降り立ったといわれる七種の天の使徒というのをを崇めている団体さ。聖者は天の使徒から恩寵なるものを受けていて特殊な異能力を使うらしい。きみが出会った重責のグラブも、何か異能力を使ってなかったかい」
「そういえば、空気を操ってたな……」
「倒したのは奇跡と言っても過言ではないと私は思うよ。今度聖者なるものと邂逅したら、逃げることを最優先にすべきだね。無駄な争いはしないという教義があるから、戦闘になるとは考えにくいがね」
「それって無駄じゃない争いはするってことですよね。つまり――」
アキラが言い切る前にエルが続ける。
「メルザを襲ったのは無駄じゃないということ。だね」
メルザはサラダを頬張りつつ、目をぱちくりさせながらエルと目を合わせる。
「この子の出生に何か原因があるのだろうね」
出生? それってどういう――。
アキラが口を開く前にエルが喋り出す。
「ごちそうさま。さあ、今日はアキラくんの仕事探しだ。メルザも一緒に行くんだね。今度はペンダントを盗まれないように気をつけて行ってらっしゃい」
ふとメルザの首元を見る。ペンダントはかけているものの、服の内にしまっているようだ。
「ごちそうさま。じゃあアキラ、行きましょうか。部屋に戻って準備してて。迎えに行くわ」
「ああ」
仕事探し。俺、この世界の文字の読み書き出来ないけど大丈夫か? 一抹の不安を抱きながら、アキラは部屋に戻った。