黒の囁き その2
「そもそもさ、ドキュメンタリーって言っても何を撮るの」
歩きながら、わたしはニコに聞いてみた。何度断ってもすがりついてくるニコの執念にほとんど屈してしまって、もはやカメラに撮られることを許しちゃってるのがよく考えたら気に入らないけれど、とにかくいざ撮られるとなると当然湧いてくる疑問だ。
「さっき話したとおり、わたしはもう魔女なんてやめちゃって、今はただの学生なんだから、わたしのこと撮ったってつまんないだけだと思うんだけどな」
「それは取材してみないとわからないですよ~??」
半歩先をズンズン歩くニコは、何が嬉しいのか浮き足立つ感じで、今にもスキップしてしまいそうだ。
「まあでも、言いたいこともわかります! 二年くらい知世先輩の後輩してますけど、知世先輩が魔女っぽいことしてるのこれまで一度も見たことないですからね。先輩が元魔女だっていうのも、あのニュースの動画を見つけるまでは全然知らなかったですし。だからって、いつもの先輩みたいな普通の女子大生に密着しても、そんなドキュメンタリーはマニアックすぎますし!!」
「なんだか失礼なやつだな~。それじゃあ何を撮ろうっていうんだよ」
早速疲れてきたわたしだけれど、それでも健気について行く。
「着けばわかりますよ! こっちです!!」
見るからにはやる気持ちを抑えきれていないニコは、ついに堪らずスキップしだした。テンション上がるとスキップする大学生なんているんだ…。このご機嫌な後輩についていくのに、小柄なわたしは必死に小走りしなければならなかった。
辿り着いた先は、広い講堂だった。たくさんの学生を一度に集めて、教授が眠たくてつまんない講義を繰り広げるような、学生にとってはいつもの見慣れた場所。今はお昼休みで講義の時間ではないので、誰もいないがらんどうの部屋は静けさに満ちていた。窓から漏れる正午の日差しが眩しくて、つい目を細める。
「…ここがどうかしたの?」
お目当ての場所に着いても事情が何もわからないわたしは、とりあえずニコに聞いてみた。
「待ち合わせしてるんですけどね~、お昼食べてるのかな? すぐくると思いますけど…」
ニコが時計を気にした時、わたしたちの背後で講堂のドアを開く音がした。そして同時に声が聞こえる。
「ごめん、遅れたかな?」
この声の主には覚えがあった。わたしとニコの共通の知り合い、つまりは同じ映研サークルに在籍する…
「ハルミ先輩! 遅いですよ!!!」
久瀬晴海くんだ。わたしと同学年で、ニコにとっては先輩に当たる。こざっぱりした服装にシンプルメガネの、チャラチャラでもナードでもないスタンダードな学生にしてサークル随一の映画オタク。お酒には激弱のくせに飲みの席は大好きな、憎むべきところなど特にない兄ちゃんだ。
「わたしたちだって今来たばかりじゃんか」
人のできてるわたしは晴海くんにフォローを入れつつ、しかし事情がまだ掴めない。
「久瀬くんがきたところで、結局どういう話なのかわからないよ。ちゃんと説明して?」
わたしは文句を垂れるみたいに説明を求めた。説明を受けるのもなんだか嫌な予感がしたけれど。
「もちろん! 順を追ってお話ししますね!!!」
ニコが張り切った様子で語り始める。
「知世先輩は、最近この講堂で起こる、とある不思議な現象の噂をご存知ですか???」
全然知らなかったので、わたしは首を横にふる。
「この講堂のとある席、ちょうどそこですね! そこに座った時にだけ、聞こえるはずのない囁き声が、どこからともなく聞こえるのです。座った人にしか聞こえないし、他の人にはわかるはずのない内容の囁き声が…!!」
ニコは講堂の一番はしの列のとある席を指差しながらそう言った。ぱっと見は特に他の席との違いはない、普通の座席だ。
「半年ほど前から、すでにたくさんの人がこの怪異現象に遭遇して、精神的な被害を受けているんです! 何を隠そう、ハルミ先輩もその被害者のひとり!!」
「ふ~ん?」
わたしは適当な相槌を打った。なんだかわかったような、わからないような。
「久瀬くん、具体的になにがあったのか教えてくれない? ニコの説明は大雑把すぎてわかんないや」
久瀬くんは品よく苦笑し、ニコはひどいですとむくれた。おそらく久瀬くんの方がわかりやすい説明をしてくれそう。
「まあほとんどニコちゃんが話してくれたとおりなんだけど、講義とかでこの席に座ると、座った人にだけ囁き声が聞こえるんだ。小さく、他の人には聞こえないくらいの音量でね。まあそれだけならまだいいんだけど、その内容が問題でさ…」
「内容ってどんな?」
わたしは聞いた。当然浮かぶ疑問。
「脅迫めいた内容なんだ。お前の秘密を知ってるぞ、っていう感じの」
久瀬くんはなんだか深刻そうな表情をし、心なしか声のトーンを落とした。
「不自然なんだ。自分以外誰も知らないはずのことを、バラしてやるぞって脅されてるのかも。たしかに、結構不気味なんだよね…」
「ハッタリなんじゃないの? 秘密知ってるぞって言ってるだけで。だってすでにたくさんの人が被害に遭ってるんでしょ? 全員分の秘密を押さえるなんて無理だよ」
わたしはそう言ったが、久瀬くんもニコも同じように首を振る。
「ひとつひとつ、ちゃんと具体例をあげるんですって。どれだけたくさんあっても、漏らさず全部…!!」
「そうなんだ。俺もその声に秘密を全部囁かれた。耐えられなくて体調を崩しちゃって、講義を途中で抜けて保健センターで寝込んだよ…」
二人はそら恐ろしげな表情をする。まだいまいち腑に落ちないわたしは、首を捻ったままだった。
「わたしが思うに、こんな不思議な事件には、きっと悪質な魔法使いが関わっているはずなんです!! そこで、日本最後の魔女である知世先輩にズバッと解決してもらいたいってことなんです!! その魔法探偵の活躍を、バッチリ撮らせてくださいね!!!」
なるほど、ニコの狙いはそれか。わたしはしっかり苦虫を噛み潰したような顔をしてみせて、一応ちゃんとツッコミを入れておく。
「魔法使いが関わってると思うんだったら、まず最初にわたしを疑うべきだったんじゃない?」
ニコの表情がみるみる驚愕の色に染まっていく。
「いや、わたしはやってないけどね…?」
ニコの表情に安堵が広がる。表情筋の忙しいやつだな。
「それじゃあ、調査してくれますよね!!?」
「まあ、たしかになんとなく魔法っぽいのはわかったし、困ってる人もいるしね…」
そう言って一応了承すると、ニコは大きく歓声をあげ、久瀬くんも嬉しそうにした。ニコはともかく久瀬くんにはなんの罪もないのだから、助けてあげるのもやぶさかではないぞ。
「でも、ところでさ」
わたしは最後に残っていた疑問をひとつ、久瀬くんに聞いてみることにした。
「バラされるとそんなに精神的なダメージが大きくて、しかもみんな持ってる秘密って、いったい何なの?」
久瀬くんの表情が途端に曇る。
「その、ちょっと言いにくいんだけど…」
「聞いちゃ悪かったかな」
「いや、そういうわけでもないんだ…」
「うん」
どうにも歯切れが悪いけれど、無理に急かさず久瀬くんが言葉を続けるのを待ってみる。
「つまりその、囁き声は…」
久瀬くんは、自分を落ち着けるようにして一度深呼吸をした。
「…人の黒歴史を暴くんだ」
「黒歴史…」
その単語を、わたしはつい繰り返す。
心の深奥、人なら誰もが抱えてる、誰にも触れられたくない赤っ恥の記憶。ひとたび思い出すだけで、顔を両手で覆って裸足で逃げ出したくなるような、あの黒歴史を暴かれる…?
「あ~、そっか~、なるほど~…」
わたしはここにきてようやく、事態の深刻さを理解したのだ。
「これは、テロだね」