黒の囁き その1
「ねえねえ知世先輩! 先輩はここの卒業生って本当!? ですか!?」
なんてものすごい剣幕で迫られたので、わたし(真木知世です)は絶対にうどんをすするのをやめないようにしながら、視線だけ寄越して、この騒がしい声の主を睨んだ。
まだランチには少し早い時間で、午前の講義も終わっていないはずだったから、学食のテーブルにはたくさんの空きがある。それなのに、このめんどくさいテンションの後輩はわざわざわたしの隣にすっかり腰を下ろして、スマホに映し出した古いニュースの動画を見せつけてきた。ボリュームがやたらでかい。そもそもこいつ、今日は午前の講義取ってなかったっけ? サボりかな?
睨みつけながら、うどんの出汁をまたひとくちすすった。
「無視ですか!!?」という悲痛な叫びにもなお応答を控えつつ、わたしにはなんとなくこいつの用件が予想できていた。
いかにもめんどくさそうに、しぶしぶと、といった態度と表情をアピールしながら、差し出されたスマホをのぞきこんでみる。
ニュース映像のテロップには、『日本最後の魔法学校 廃校に』とある。そして映っているのは、見覚えのある古びた校舎。わたしの母校、オリヴ山記念魔法高校の風景だった。こうして映像で見るとちょっと違う気もするけれど、一目見ただけですぐにわかるものだ。やっぱり少なからずノスタルジックな感情が込み上げてくる。ああ懐かしいな、こんなふうにニュースになっていたなんて知らなかった。あの学校を卒業してからもう何年経ったんだろう、四年くらいかな。先生、元気にしてるかな…。
思い出に浸るわたしをよそに、後輩はなぜか知らないけれどめちゃくちゃ嬉しそうで、ニタニタと期待に輝く粘着質な眼差しをこちらに向けている。
「ねえ知世先輩!? オリ魔の卒業生なんでしょう!!?」
すぐに答えてあげるのは、なんだかとってもシャクだった。それに、母校に変な略称をつけられて微妙にイラッときていた。そうは言っても嘘をつくのは良くないので、うどんをしっかり二十回は噛んでからゆっくり飲み込み、たっぷりもったいぶって、
「…うん」とだけ答えた。
「スマホの音小さくしてよ、うるさいから」とも言った。
「まじすかすっごい!! じゃあ知世先輩は日本最後の魔女ってことですよね!!? こんな身近にいたなんてすっご!!?」
なんて、興奮した後輩が騒ぎ出したので、わたしは「すっご!!?」の時点で「うるさい」と遮った。そしてスマホを奪いとって動画を止め、ボリュームをゼロにしてマナーモードをオンにして、ついでに電源まで切ろうかと思ったがやめといてあげた。イラッときていたわりに、わたしはやさしい。
……いつかこの話題がこいつから出ることはわかっていたのだ。この元気な後輩、青柳仁子(ニコって呼ぶ)が、ある日突然に自主制作映画を作ろうなんて言い出したことがそもそもの問題のはじまりだった。
わたしやニコが所属している映画研究会は、好きな映画作品を鑑賞しつつお酒を飲んだり、映画論を語り合いながらお酒を飲んだり、なにもないけれどとりあえずお酒を飲んだりする、大学きってのゆるふわサークルだ。活動内容は主にお酒。
そんな素敵なサークルの、いつもの楽しい飲み会の席で、ニコは何を思ったのか急に立ち上がると、空になったジョッキを振って泡を飛ばしながら、声高らかにこう言った。
「入ってからずっと忘れてたんですけど、ここのサークルの名前って『映画研究会』だったんですね!!? せっかく映研なんだから、私たち映画を撮るべきなんじゃないですか!!? 作りましょうよ、全米が涙に沈むような感動巨編を!!!」
元気いっぱい純粋無垢な、みんなのかわいい後輩ニコちゃんの鋭気溢れる決意表明だ。べろべろに酔っ払って浮かれたへべれけサークルメンバーは、口々にテキトーな歓声をあげる。わたしだって、その時はただなんとなくおもしろそうだったから、「いいぞ~! ニコちゃ~ん!」なんて囃し立てたような気がする。
それに気を良くしたのかもしれない。その日からニコは映画の構想を練り始めた。テーマを考えあぐねて、それでもめげずに何日もうんうんうなって、サークルの誰もが話を忘れた頃になってやっと、
「日本国内の魔法使いの行方を追う、リアルドキュメンタリー映画を撮ります!!!」
とニコは宣言した。そして、ハンディカム片手に身近な魔法っぽい話題を追い回しながら、はた迷惑な創作活動を開始したのだ。
わたしはものすごく困った。『魔法の営みに無関係な一般人が首をつっこむ時、必ずとんでもなくめんどくさい事態が起きる』というのは有名な格言だ。百年も昔から何度も繰り返されてきた、しっちゃかめっちゃかな魔法界の歴史に裏打ちされている。ましてや、暇とエネルギーを持て余した大学生なんて厄介な連中はもってのほかだ。絶対に巻き込まれたくない。
実際にはわたしはもう魔女をやめた身で、既にただの一般人なんだから、巻き込まれたりはしないはず…。という希望的観測もしたけれど、好奇心の塊と化したあの後輩に一度出自を知られれば最後、きっとただでは済まなさそうだ。まあなんでもいいけど面倒ごとは断固おことわりです。
とにかくその時から、それまでは後輩としてかわいがってさえいたニコが、わたしにとって面倒なトラブルを引き起こしかねない時限爆弾と化したのだ。わたしはなんとかニコの目をかいくぐって自分の生い立ちを隠し通そうと心に決めた。
しかし、その想いはむなしく潰えた…。
「さあ知世先輩!!! 日本最後の魔女である先輩に、聞きたいことが山ほどあるんです!!!」
ニコはカメラを構えてずいと身を乗り出し、爛々と輝く瞳で詰め寄った。もはや事ここに至っては言い逃れする余地もなく、わたしはニコの無邪気な追及から逃げることはできないのだった。
わたしは途方に暮れて天を仰いだ。
ああ、わたしの穏やかな学生生活。あなたにお別れを告げるべきかも…。