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学園ミステリ 空き机の祥子さん  作者: 長曽禰ロボ子
あなたのキスを数えましょう
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あなたのキスを数えましょう 解決編(後編)

 朝、その家の玄関から出てきたのは、パジャマ姿の少女だった。

 ああ、彼女だと思った。

 肩までのボブがよく似合う。

 彼女は、ぼくが置いた手紙とルービックキューブに顔を輝かせた。小躍りしている。やった。よかった。だいじょうぶだ。夕方に新幹線に飛び乗り、本当なら最終便で帰るつもりだった。すねかじりの高校生の身ではホテル代まではきつい。受験の学年だというのに高校をサボるのも両親に言い訳がつかない。

 だけど気になった。

 怖かった。

 ぼくの早とちりならまだいい。だけどもし彼女が本当に――。

 でも、だいじょうぶ。

 彼女なら、だいじょうぶ。

 あの笑顔なら、きっと。

 帰ろう。今から帰れば午後の授業には出られるだろう。夜は深夜営業の喫茶店で、カセットテープに録音した受験講座をイヤホンで聴いて過ごした。眠いが新幹線で仮眠をとればなんとかなる。

 背を向けたとき、すごい音がした。

 振り返ると彼女が怒り狂っていた。ぼくが残したルービックキューブを地面に叩きつけ、なんども踏みつけている。

 なんで!?

 いや、でも、だいじょうぶ。

 あれだけの元気あるなら、だいじょうぶ。



 でも、なんで!?



 校長先生によると。

 三年後に二人は再会したらしい。東京の大学で。

 サークルの入会申し込みに校長先生が書いた名前を見て驚いている上級生がいた。それが彼だった。「わあ、すごくきれいになったね!」とも言ったらしい。そのいいぐさと甦る屈辱の記憶に、その時にはひっぱたいてしまったのだという。その後、誤解は解けたとはいえ、校長先生は彼を避け続けた。それでも彼はへこたれなかった。

「空き机の祥子さんに聞くまでもなかったのにね」

 校長先生は微笑んだ。

「あのキスは夫のもの。出会う前からそう決まっていたのに」

 藤森(ふじもり)先生とクラスのみんなに邪魔をしたことを謝罪して校長先生は教室を出て行った。そっと教室を抜け出してあとを追ったのは、教室の最後列である裕美(ゆみ)の二つ前の席の工藤(くどう)志津子(しづこ)さんだ。藤森先生もそれに気づいていたがなにも言わなかった。

 クラスはロマンチックな話に酔っている。



「校長先生」

 工藤さんの声に、廊下を行く校長先生が振り返った。

「なんでしょう、工藤志津子さん」

 本当に全員の名前を覚えているんだ。工藤さんは少しひるんでしまった。

 だけど言わなきゃ。

 さっきは名乗り出ることができなかった。今度は言わなきゃ。

「校長先生、あの――書き込みは――ほんとうは私が――」

「工藤志津子さん」

 校長先生が言った。

「私の話に嘘はひとつもありません」

「――」

「さきほどの話は本当に私の物語です。ちょっとだけ隠していることがありますけどね。そうですね、それは南野(みなみの)陽向(ひなた)さんと佐々木(ささき)裕美(ゆみ)さんに聞いてごらんなさい。空き机のふたりが、私が伏せた部分もあなたに教えてくれるでしょう」

「……」

「工藤志津子さん。あなたの物語はだれも肩代わりできませんよ」

 校長先生は廊下を歩いていった。



「あれ」

 お昼休みの一年三組。お弁当を手に声をあげたのは、少し小動物が入った女生徒だ。なにやらせわしなくてオカメインコぽい。

「南野(うじ)と佐々木(うじ)がいませんね、空き机に」

「佐々木さんはお弁当箱を持って、工藤さんと教室を出て行ったみたい」

 そう言ったのはすらりとした長身でメガネの女生徒だ。

「南野さんは例によって授業が終わると同時に購買に走っていったし、どこかで合流するのかな。南野さんと佐々木さんが別々にお昼を食べるとは思えない」

「ですよねー。ですよねー」

 オカメインコさんが忙しそうに笑った。



「また、卵サンドがなかった……」

 全力疾走で教室を飛び出し、全力疾走で購買から戻ってきた陽向だ。

 いつもなら空き机に戻ってくるのだけど、このお昼は校庭の桜の下だ。校長先生に言われたことを工藤さんが伝えると、「それじゃ」と、陽向がここをお昼の場所に指定したのだ。「空き机でのおれと裕美の会話は、クラスの連中、ダンボで聞いているし」。

 桜の下と聞いて工藤さんはドキッとした。

 もしかして覚えていてくれているのだろうか。

「それで、校長先生は嘘はひとつもないって言ったんだね」

 どかっとあぐらをかいて座り、陽向が言った。

 この人、手が塞がってなくても片手で器用に牛乳パックにストローを入れるんだな。工藤さんは思った。

「でも、小さな嘘はひとつついちゃったよね」

「あの書き込みは自分のだと言ったことですか?」

 お弁当箱のハンカチをほどきながら裕美が言った。

「校長先生は、空き机に()()()()()()()自分だと言ったのです」

「あ、そうなんだ。じゃあやっぱり嘘はついていないんだ。そうなると文面もそのままだってことか」

「気になることがあるのですか、陽向ちゃん」

 うーーん。

 陽向は考え込み、眼を閉じたまま牛乳のストローを咥えた。ほんとに器用だなと工藤さんは思った。

「『私にキスをしたのはだれですか』。そんな言葉で心配でやってくる男なんている? 下心たっぷりとかならわかるけどさ。つまりさ」

 つまり。

 ルービックキューブの人には心配する理由があったんだ。

 その手紙の前からあったのかもしれない微妙な変化。なんとなく嗅ぎ取れる危険性。もしかしたら校長先生はあることを仄めかしていたのかもしれない。

「1986年」

 と、裕美が言った。

「なに?」

「校長先生がその手紙を出した年です。藤森先生も気付いてました。きっと重要な年なんです。1986年、春。人気絶頂だったアイドルが飛び降り自殺しちゃったんです。社会現象になったそうです。後追い自殺をする中学生や高校生が出てしまったのです」

 陽向と工藤さんは眼を見開いた。


 あと一歩。

 もう一歩。

 あのとき、私を止めてくれたのはだれ。後から私を抱きしめてキスしてくれた風はいったいだれ。


「そうか、まさか生徒の前で自殺しようと思ったことがあるなんて話をするわけにはいかないものな……」

「はい」

 と裕美はうなずき、工藤さんに顔を向けた。

「空き机のふたりが伏せた部分も教えてくれると校長先生が言ったのですね。だから裕美さんは工藤さんに伝えました」

「……」

 ぎゅっと、工藤さんはスカートを握り締めた。

「私、誰にも言いません……」

「はい」

 にっこりと裕美が笑った。

「私、わたし――南野さん――!」

「はいっ!?」

「覚えていますか、入学式の日――!!」

 急に迫られて驚いていた陽向の顔が柔らかくなった。

「え、あれか。そりゃ覚えてるよ。たしか」

 陽向は首を回して桜を見上げた。

「この桜の下だったよね」

 覚えていてくれた。この人は私を覚えていてくれた。


 入学式が終わり、ああ、誰にも知られず、誰の目にも留まらず過ごす3年間がまた始まるんだ。そんなことを思って歩いていた。そして見つけたのだ。桜の木の下に。

 まだ咲き始めの千本桜。

 その下でくるくるとまわっている少女がいる。

 長い髪、そしてたぶんすごく背が高いんだ。すらりとしている。

 きれい。

 純粋にそう思った。

「ほんとうにあそこにいるのかな」

 思わず口にしていた。

「なんだかきれいすぎる幻みたい」

「ほんとうだ」

 はっと振り返った。誰かに聞かれていたとは思わなかった。

「すごいな、素敵な表現だね」

 その人はにっこりと微笑んでくれた。

 誰も聞いてくれた事がない私の言葉をその人は聞いてくれた。そして微笑んでくれた。この時だって私は脇役だ。主役は桜の下で舞う幻のようにきれいな子なのだから。

 でも。

 嬉しかった。


「そういえば、あの子、見かけないよね。上級生なのかな」

 陽向はそう言って、ぎょっと工藤さんを見た。工藤さんの目に涙がたまっていたのだ。

「あ、ごめんなさい!」

 あわてて工藤さんは両手で目を擦った。

「ごめんなさい、なんでもないんです、ごめんなさい!」


 南野さんは私を覚えていてくれた。

 校長先生は大切な秘密を教えてくれた。

 誰にも知られず、誰の目にも留まらず過ごす3年間?

 とんでもないわ。まだ桜が散らないうちにこんなにも私のまわりは事件だらけじゃない。


 ごめんなさい。

 私、嘘をつきました。南野さん、あなたは夢の中にも出てきてくれません。キスなんかして貰った事ありません。

 南野陽向さん。あなたはだれですか。

 突然私の前に現れた、あなたはだれですか。


 工藤さんが歩いて行く。

 その後ろ姿を見送りながら陽向が言った。

「ねえ、裕美」

「はい、陽向ちゃん」

 裕美はまだ手間暇かかった玉手箱のようなお弁当をつついている。

「裕美さんはまだ隠していることがありますね」

「はい。さすがに工藤さんにそこまで言うわけにはいかなかったので」

「素直でよろしいです、裕美さん。裕美さんは校長先生がホームルームに来ることを知っていましたね」

「藤森先生の宿題の相談をしたら、じゃあ私が行きましょうと返事が来たのです」

「メル友!?」

「正確にはネット囲碁友達です。ゆうべ対戦したときにチャットで『夢キス』の話をしたらきゃあきゃあ喜んでくれまして。なにそれ私の高校時代!?マジ受けるんだけど!!とか対局そっちのけで盛り上がっちゃいまして。1986年とかまさかそんなことまでは知りませんでしたが」

「え、じゃあ校長先生の話って本当だったのか」

「だから嘘は言ってないって言ってたでしょう」

「それじゃあ、『夢キス』。あれを書いたのは工藤さんだってなんでわかったの?」

「知りませんでしたよ?」

「え?」

「しょうこさんが教えてくれたんです。あれは工藤さんが書いたものだと。そしてたぶんヒントをくれたのです。『彼女はなぜそんな事を書いたのか?』。結局、推理するより先に話が進んでしまいましたけど」

「……」

 お弁当を食べている裕美の横で、陽向は呆然と眼を見開いている。


■登場人物

佐々木裕美 (ささき ゆみ)

県立五十嵐浜高校一年三組。小動物。


南野陽向 (みなみの ひなた)

県立五十嵐浜高校一年三組。態度はふてぶてしいがかわいいものが好き。裕美の保護者。


藤森真実先生 (ふじもり まさみ)

県立五十嵐浜高校教師。二八歳独身。


森岡祥子 (もりおか しょうこ)

裕美や陽向のクラスメートなのだが、一度も登校してこない。そして裕美と陽向にとっては知っている名前でもあるらしい。謎の存在。


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