空き机の祥子さん 4
「彼女の身長はどれくらいでしたか」
姉妹のように育ったからと聖子の葬式に呼んでもらった私。姉妹のように育った子が死んで、質問がそれなのかと上遠野のおじさまも驚いたことだろう。
「……ああ。そういえば今の君くらいだったよ。中学に入ってからずいぶん伸びてね」
「そうですか」
「君たちはほんとうに、いくつになってもそっくりな2人だったね」
「そうですか」
憔悴した上遠野のおじさまは、ハンカチでまた目を押さえた。
私はその場を離れ、両親が座る席に戻った。
あの小5の夏。
聖子と喧嘩別れした私は、もう聖子が入れ替わりを提案してくることができなくなるように牛乳を飲み素麺を食べた。身長が違えば入れ替わりなんかできない。中学生になる頃には、私は女の子では学年で1番背が高くなっていた。でも、どうやらそれも聖子にバレていたようだ。
彼女もひたすら牛乳を飲み素麺を食べたのだろうか。
彼女というゲームの達人からは逃れられない。
彼女がいなくなっても、私は彼女のゲームの中で踊るしかない。
葬式が終わり、しばらくして上遠野家から荷物が送られてきた。
ただのUSBメモリがひとつ。
聖子が自分のPCに鍵をかけて隠していたファイルなのだそうだ。業者に開封してもらい、おじさまたちも少しは読んだのかもしれない。
でも量があまりに膨大すぎた。
死んだ娘の秘密に触れるのがつらかったのかもしれない。
多くのファイルはほぼ開かれず、私の元に届けられた。ほとんどが入れ替わりのための情報ファイルだ。こんなにも私たちはやりとりしていたのか。アイデンティティーが不安定になるわけだ。
あのゲームのファイルもあった。
そして私はぎくりとしてしまった。
「裕美と陽向」
そのフォルダがあったのだ。
頭に血が上ってしまった。
端的に言えば、あったまに来てしまった。
葬式の時にちらっとPCを弄った時には見つけられなかった。やっぱりあいつはあの2人のフォルダを作って私にも隠していたのだ! だけど、あったまに来たままファイルを読みはじめた私は、やがてその視線が彼女らしくもなく優しいことに気づいた。
「陽向が剣道を始めた かっこいい」
「裕美、かわいい」
「まずい、なぜだろう、バレちゃいそうだ」
「しばらく見ているだけにしよう」
「どうしよう、裕美がいじめられている」
なんだって。
「どうしたらいい。どうすれば裕美を救える? こんな時どうしていいのかわからない。しょうこ、あなたならわかるかしら。助けて。ねえ、おねがい。助けて、しょうこ」
それが最後の書き込み。交通事故の当日の日付だ。
裕美がいじめられている?
私は父に確認した。聖子の四十九日の日程を。
もうすぐだ。
「聖子の四十九日に出たい。一周忌じゃないんだからパパとママは来なくていい。私ひとりで行く。大丈夫。今まで何度もひとりで行ったことがあるでしょう。聖子が暮らした町を確かめたい。1週間、向こうにいたい。ホテルも予約して欲しい」
葬式の日にも泣かなかった娘が泣いている。
両親は私のわがままを許してくれた。上遠野家との交渉もしてくれた。
ごめんね、聖子。私は忘れていた。あなたは、ただゲームの達人なだけじゃなかった。
ひとつのベッドで。
眠りに落ちるまで。
私たちは人を出し抜くことばかり語っていたわけじゃなかった。どう勝つかばかり語っていたわけじゃなかった。
ねえ、祥子。私は五十嵐浜高校に通うのよ。
あそこは4月になれば桜がすごいのよ。私は、あきれかえるほどの桜の下を歩くのよ。
そうだ。私と彼女は、あこがれや夢を語りあったこともあった。
上遠野家に着いた私は、「聖子と語りたい」とひとりで聖子の部屋に入った。確かめたのは聖子のワードローブだ。それは、当然のようにそこにあった。
聖子。あなたの最後の望み。
叶えてあげる。
聖子が通っていた中学のセーラー服とは違うブレザーの制服。私はそれをバッグに詰め込み、ホテルで着換えると青山浜中に乗り込んだ。
陽向がいる。
裕美がいる。
2人ともさらに美味しそうになった。そうじゃない、今はその性癖を封印しろ、祥子。裕美の机を確認し、教室移動で誰もいない時間に忍び込んでスマホで天板の裏を撮影した。
しにたい
さみしい
たすけて しょうこさん
はやくたすけにきて しょうこさん
涙が出た。
月曜日。日曜日には聖子の四十九日。私に与えられた時間は1週間だ。
陽向はあれっと振り返った。
だれかにささやかれた気がしたのだ。
「裕美の机の天板の裏を見ろ」
いったいなんだろう。
裕美はスマホで机の中を撮影してみた。
どうせ今日も返事なんかない。もう何ヶ月もない。
裕美の顔が輝いた。
「またせたな 裕美 さあ しょうこがきたぞ」
裕美はぎゅうっと両手を胸で握り締め、泣いた。
陽向が水飲み場で吐いていた。
近くにいながら裕美を守れなかったんだ。それくらいの罰は受けろ。でもこれで、私が東京に戻っても陽向がいてくれる。それにしても同じ制服でも172センチの私では少し目立つ。なにか特殊な撮影のようですらある。双眼鏡を持ち込んで、空き教室や給水タンクの陰から観察することにする。
うん、これはちょっとクセになりそうだ。
「裕美 私のかきこみをよんだら消せ 私も 君のかきこみをよんだら消す 裕美はいじめられているのか?」
「わかりました しょうこさん いいえ だいじょうぶです ひなたちゃんがいてくれるし しょうこさんもきてくれました しあわせです」
泣かせるなよ。
観察しているとわかる。
裕美は無視されている。特に女子に。彼女たちが顔色を窺っているのはびっくりするほどかわいい子だ。やはり日本は一婦多妻制を導入すべきなのだ。
笈川真咲。
私は彼女を追うことにした。
おかしい。
笈川真咲は裕美がいないようにふるまっている。だけどいつも見ている。放課後、取り巻きたちの誘いを全部断り、彼女が向かったのは図書室だ。
おかしい。
そこにも裕美がいるのだ。
部活が終わると、陽向が図書室に裕美を迎えにやってくる。裕美がいじめられているの知ってから、陽向がそうさせているのだ。
2人が図書室を出て行くと、笈川真咲も図書室を出る。
もしかしたら2人は気づいていないのかもしれない。それくらい、あの目立つ少女が密やかに行動している。
「笈川真咲」
私は声をかけることにした。時間がないのだ。単刀直入にいくしかない。
笈川真咲が振り返った。
やだ近くで見るともっとかわいい。だから今は我慢しろ、祥子。彼女の住所は調べてある。彼女は自分の家とは違う路地を歩いている。裕美のあとを追ってきたのだ。なんなんだ、このストーカー娘は。
「どうして裕美をいじめる」
「誰」
「私は佐々木裕美の夫だ」
怒った顔もまたかわいすぎて、私としたことがおかしなことを口走ってしまったようだ。
「だったら、ちゃんとつなぎ止めておきなさいよ!」
そして始まってしまったのだ。
私に訂正の間も与えてくれずに笈川真咲のマシンガントークが。
「あんたがしっかりしていれば、私だってこんな思いしなくていいのよ! あいつがかわいいのが好きだっていうから一生懸命かわいくして、リボンが好きだからと聞いたから面倒くさいのにリボンして! でもなんであいつはいつも裕美と一緒なのよ! 裕美なんていつものほほんとして! リボンだってつけたとこ見た事ない! おかしい! あいつ、あたまおかしい!」
……。
……。
「だいたい――」
いや、待ってください。ごめんなさい、待ってください。いまちょっと頭の中がテンペスト状態なのです。
あのですね。
つまりそれは。
「あなたの本当の目的は陽向?」
「――」
「裕美をいじめたのは……つまり、嫉妬――」
「いじめてなんかない!」
「でも、無視したんだろう」
「仲良くなんかできない!」
そして、大きな目で笈川真咲は泣き出してしまったのだ。
「仲良くなんかできるわけないじゃない……。笑いかけることなんかできるわけないじゃない……。でもいじめてない……。まわりが勝手にやってることで……私そんなの望んでない……止めようにも、どうすればいいのかわからない……」
私は笈川真咲を抱きしめた。
「理科実験が好きだと聞いて、私も一生懸命覚えたのに……」
「裕美とばかり話をして……」
「大嫌い……悔しい……悔しい……」
笈川真咲はしばらく泣き続けた。
一週間が終わる。
裕美の独特の笑顔が戻ってきた。あれから陽向も張り付いている。笈川真咲も不器用だけど悪い子じゃないみたいだ。
きっと、大丈夫だろう。
もう、大丈夫だろう。
あしたの四十九日に参列し、エクセルで作成したこの一週間のレポートを聖子のPCに残し、私は東京に帰る。
「裕美は高校をどこにするか きめているか」
「まだきめていないのなら 五十嵐浜にこいよ」
「あそこの千本桜はすごいって ほめてた子がいるんだ 私はその子のかわりに五十嵐浜にかようんだ 裕美もこい 陽向もさそって ふたりでこい」
「春になったらまた会おう 裕美」
裕美、陽向。そして、しょうこ。
みんなで桜の下を歩かないか。
■登場人物
佐々木裕美 (ささき ゆみ)
県立五十嵐浜高校一年三組。小動物。安楽椅子探偵。
南野陽向 (みなみの ひなた)
県立五十嵐浜高校一年三組。態度はふてぶてしいがかわいいものが好き。裕美の保護者。
森岡祥子 (もりおか しょうこ)
裕美や陽向のクラスメートなのだが、一度も登校してこない。そして裕美と陽向にとっては知っている名前でもあるらしい。謎の存在。
林原詩織 (はやしばら しおり)
一年三組暫定委員長。裕美や陽向と同じ中学出身。中学時代には成績トップだった。
高橋菜々緖 (たかはし ななお)
裕美や陽向と同じ中学出身。本を読むのが好きでおとなしかったのだが…。
笈川真咲 (おいかわ まさき)
裕美や陽向と同じ中学出身。華やかで美人で、ヒエラルキーのトップに君臨した女王。
太刀川琴絵 (たちかわ ことえ)
五十嵐浜高二年生。中学生の頃から県大会常連の剣士。生徒会副会長だが立候補した覚えはない。
小宮山睦美 (こみやま むつみ)
上遠野という少女を知る生徒。
藤森真実先生 (ふじもり まさみ)
県立五十嵐浜高校教師。二八歳独身。
南野太陽 (みなみの たいよう)
陽向の兄。ハンサムだが変人。
林原伊織 (はやしばら いおり)
林原詩織の兄。ハンサムだが変人でシスコン。




