鏡屋敷の謎 5
「エクセルは届いた、祥子?」
「届いた」
「ちゃんと目を通しておいてちょうだい。あとであなたのママとパパになにを訊かれても大丈夫なように」
「わかってる」
「あなたのほうのエクセルは貧相ね」
「だって、暑くてなにもする気になれないのだもの」
「そうね、私も暑さに弱いからちょうどいいかもね。図鑑が多いのも助かる。ざっと見ればいいだけだし、ほとんど今までの知識でも答えられるし。でも毎日家か図書館で読書って、私なら退屈で死んじゃいそう」
「じゃあね」
「じゃあね」
森岡祥子は通話を切った。
「あいつ、言外に私を馬鹿と言ったな」
そして溜息をつく。
深く、深く。
「これは冒険だ」
祥子が言った。
「思ったより危険な冒険だぞ、祥子」
1日目。
第12の場所は児童公園。ブランコの板の裏にパスワード
第11の場所はイレブンセブン。店の前の植え込みに認識票でパスワード。
第10の場所は屋根に十字架を掲げた教会。駐車場の塀の雑草の陰にパスワード。
第9の場所は「ナインボール」という名のビリヤード場。階段のイタズラ書きのひとつにパスワード。
ここで日没前サスペンデット。1日目は終わり。
2日目。
第8の場所はスタジアム。愛称ともなっている所在地が八五郎。駐車場の灯りのひとつにパスワード。実はこれが自転車では距離的に厳しく、時間がかかった。
第7の場所は「七軒」という名の駅。ホームの駅名標の下の両隣の駅名を一繋ぎにして「見たまま」をひらがなで入力せよ。地図で簡単に調べることができそうだが、実は現場で確認しなければ風化による劣化で「さ」が「こ」になっていることがわからない。駅名をどうならべてもパスワードとして受け付けて貰えず、「見たまま」に裕美が気づいて駅まで行くことに。スタジアムよりさらに遠く、自転車移動を断念し電車移動。そういうわけで、2日目――陽向に裕美、祥子の3人が知り合ってからは3日目だが、この日は2つしか回れず。
そして3日目(4日目)。
◇◇第6の場所◇◇
ものを集め売る場所なり。家事をするものが集う。西隣に薬屋。街道を挟み北に本屋。なお、その地の入り口に立ち大きな声で――。
「今日のおすすめ特売はなんですかーー!」
スーパーロクウオ神宮寺店、朝9時。
野球帽の子がただでさえ大きな声を仁王立ちで張り上げた。
お客さんや店員さんがぎょっと動きを止めて見つめる中、野球帽の子の後で陽向と裕美がスマホの画面のを覗き込んで続きを読み上げている。
「今日のおすすめの特売はなんですか、と」
「叫ばなくてもよい」
念のため陽向が繰り返した。
「叫ばなくてもよい」
「そのあとも『アルビレックスでも代表でもないサッカーを探せ』とか。なんだか意味不明な言葉を入れるようになりましたね、ゲームマスターさん」
「12個も考えて飽きてきたのかな、ゲームマスターさん」
ぶるぶると体を震わせていた野球帽の子がダッシュで店を飛び出していった。お店の中のざわめきは戻ってきたが、クスクス笑いが多い。
「おーい、高笑い」
「ありましたよー、袋詰めする台に置かれたメモ帳の一番下。パスワードです」
ちなみに、袋詰めする台の正式名称を「サッカー台」という。指示に書かれていたとおりサッカー(soccer)ではなく「袋詰め係|(sacker)」であるらしい。
野球帽の子は、駐輪場のMTBの陰で顔を伏せ膝を抱えている。
「それがどうした、私は死ぬ」
「まあまあ。第5の場所がわかったよ」
「陽向と裕美で行ってくれ。こんな恥をさらしてもう生きていけない。私は死ぬ」
「五十嵐浜高校のようです」
「……」
裕美の言葉に、びくりと野球帽の子の肩が動いた。
◇◇第5の場所◇◇
学び舎なり。春には千本桜が美しい。校庭の初代校長の歌碑を調べよ。
「おまえの地元じゃないか、高笑い」
「その呼び方は気に入らない」
のっそりと野球帽の子が立ち上がった。
そうか。
五十嵐浜が出てきたか。数字巡りだからありうるとは思っていたけど、そうか、出ちゃったか。
「やっぱり、そこには陽向と裕美だけで行ってくれ」
野球帽の子が言った。
「え?」
「やめちゃうのか?」
「そういうことになってしまうなら、それでいい」
そうなってしまうだろう。
私の顔を知っている人に見つかれば、どうしたって隠せなくなる。余所でなら似た子がいたのだろうさとごまかせるが、五十嵐浜ではそうもいかないだろう。
あいつに内緒ではじめた私だけの冒険。
エクセルであいつに送信しなきゃいけなくなるくらいなら、このまま終わりでいい。
「まだ気にしてるのか。スーパーに知り合いでもいたのか?」
「五十嵐浜高校に行きたくないなら、裕美さんと陽向ちゃんだけで行きましょうか。しょうこさんはここで待っていればいいです」
「だめだよ」
陽向が言った。
「これは3人ではじめた冒険なんだ。3人で謎を探すんだ。ゴールまで行くんだ」
「陽向……」
「陽向が高笑いを隠してやる。陽向は大きいから、おまえくらい隠してやるよ。さあ、まだお昼前だ。3人で五十嵐浜高校に行こう」
わっと陽向は思った。野球帽の子が笑ったのだ。
きれいだ。
こいつ、変な子なのに本当にきれいだ。口でかいけど。
そして陽向にとっては更に衝撃的なことが起きた。この頃、陽向はまだ剣道をしていなかった。だから剣道云々とはさすがにこの時には思わなかった。
野球帽の子は両手で陽向の顔をつかんだ。
そして唇を押しつけてきたのだ。陽向の唇に。
スーパーの駐車場で起きたこの小さな事件に気づいた人は少ない。母親に手を引かれた幼い子が指を差してきたくらいだ。
陽向はその場に崩れ落ちた。
裕美は嬉しそうに手を合わせている。
「なんだおまえ、その様子だと初めてのキスだな、陽向!」
野球帽の子は勝ち誇っている。
高笑いまであげている。
「喜べ、私も初めてだ!」
引き留めなきゃよかった。
腰が抜けるという現象を生まれて初めて体験した陽向は思った。
これは冒険だ。
思ったより危険な冒険だ。
だけどこの2人とならゴールまで行ける。きっと行ける。
第5の場所、五十嵐浜高等学校。
桜の名所としても有名だし、そしてなによりこの3人が数年後に通うことになる高校だ。夏休みでも部活動や講習が行われているようで、高校生がけっこう歩いている。小学生から見るとものすごく大人で、颯爽としているように見える。
「ねえねえ、陽向ちゃん。カルピスの味でしたか」
「レモネードの味でしたか。うふふ。ねえねえ。裕美さんには教えてください」
しつこく裕美が聞いてくる。
「はやくパスワードを見つけろよ、陽向に裕美」
サングラスに口にはタオル。アンポフンサイとか声をあげそうな姿で野球帽の子は繁みの陰に潜んでいる。
このがきゃあ……。
ふらりと立ち上がり、しかし陽向はにまっと笑った。
「なんだ、陽向。気持ち悪い顔で笑うな」
「ふふん、高笑い、おまえ、五十嵐浜高校で開かれてる勉強会かなんかに参加させられてるんだろ。でも逃げ回ってるんだろ。見つかったらまずいんだ」
「あーあー、それでいいよ」
「あたりです!」
歌碑の文字の幾つかにチョークで色がつけられている。それをスマホに入力していた裕美が歓声を上げた。
◇◇第4の場所◇◇
小麦粉をこねて焼く店なり。朝には行列ができる。四ツ角といいながら四つ角にはあらず。確かに昔は四つ角にあったらしい。ショーケースの右から3列目、上から2つ目のパンが私は好きだ。店を出て道を挟んだ向かいの公園に第4の場所。パンでも食べながら探せ。
「本格的に飽きてきたようだな、自分で答を書いているじゃないか」
「でも陽向ちゃん。四ツ角ベーカリーさんと第4の場所は違うみたいですよ」
「あ、ほんとだ。ややこしい」
「もうすぐお昼ですね」
校舎の時計を見て裕美が言った。
お昼にはそれぞれが家に戻って昼食をとる。
思ったより冒険が長引いているのはこれも理由のひとつだ。
これに関してはむしろ野球帽の子がこだわった。時間がもったいないからどこかで食べようとか主張しそうなのに。「冒険以外は特別のことをしたくない」らしい。まあ、陽向と裕美もそのほうが親に心配かけなくて済むし、何よりお小遣いを気にしなくていい。
「じゃあ、また午後ね」
「ああ、迎えに行くよ」
「あの『ひーなーたーちゃんっ!』はやめてよ」
「あれくらいいいだろう、気持ちいいんだ」
陽向と裕美が自転車で校庭から出て行った。
もう顔を隠す必要はない。野球帽の子もサングラスとタオルをしまった。学校を出てからにしたほうがよかったかな。ちょっと思った。
家で昼ご飯を食べて野球帽の子が玄関から出ると、隣のおばさんが声をかけてきた。
「こんにちは、しょうこちゃん。おでかけ?」
いつ見ても庭掃除をしている。
庭掃除が好きなおばさんだ。
MTBを押して門扉を開け、野球帽の子はぎくりと立ち止まった。しょうこは友達が少ない。そのほとんど一人きりの友達がそこにいる。
「小宮山……」
「どこか行くの」
その少女は、門扉にも表示されている名で野球帽の子を呼んだ。
「上遠野」
■登場人物
佐々木裕美 (ささき ゆみ)
県立五十嵐浜高校一年三組。小動物。安楽椅子探偵。
南野陽向 (みなみの ひなた)
県立五十嵐浜高校一年三組。態度はふてぶてしいがかわいいものが好き。裕美の保護者。
森岡祥子 (もりおか しょうこ)
裕美や陽向のクラスメートなのだが、一度も登校してこない。そして裕美と陽向にとっては知っている名前でもあるらしい。謎の存在。
林原詩織 (はやしばら しおり)
一年三組暫定委員長。裕美や陽向と同じ中学出身。中学時代には成績トップだった。
高橋菜々緖 (たかはし ななお)
裕美や陽向と同じ中学出身。本を読むのが好きでおとなしかったのだが…。
笈川真咲 (おいかわ まさき)
裕美や陽向と同じ中学出身。華やかで美人で、ヒエラルキーのトップに君臨した女王。
太刀川琴絵 (たちかわ ことえ)
五十嵐浜高二年生。中学生の頃から県大会常連の剣士。生徒会副会長だが立候補した覚えはない。
小宮山睦美 (こみやま むつみ)
上遠野という少女を知る生徒。
藤森真実先生 (ふじもり まさみ)
県立五十嵐浜高校教師。二八歳独身。
南野太陽 (みなみの たいよう)
陽向の兄。ハンサムだが変人。
林原伊織 (はやしばら いおり)
林原詩織の兄。ハンサムだが変人でシスコン。




