鏡屋敷の謎 2
「裏掲示板?」
「誰が作って誰が管理してるのかわかりませんが、うちの小学校の子しか知らない掲示板なのです。検索にはヒットしないし、校内で口コミだけで広まっているパスワードを使わないと入れないのです」
「なんだか人の悪口ばかり書かれてそうで、陽向はそういうのやだなー」
「そういう面もありますが、無視すればいいのです。それより、陽向ちゃん」
モニターの画面を大量の文字が流れていく。
スクロールを止めて裕美が指したのは「あなたへの挑戦状」の文字だ。陽向はぱちぱちと大きな目をしばたたかせた。
「ね、わくわくしませんか、陽向ちゃん!」
輝く笑顔で裕美が言った。
陽向、10歳。
裕美、11歳。
窓の外には入道雲。
小学1年生で迎えた初めての夏休みは永遠だった。
真っ青な空。
夏草にセイタカアワダチソウ。いつまでたっても夏休みで、ずうっとこのまま夏休みな感じがして、それなのに。
「なあ、おまえら。夏休みは今日で終わりなんだぜ」
近所のガキ大将が児童公園にみんなを集めて宣言して、夏休みはその日に突然終わってしまった。一緒に夏までどこかに行ってしまった。
悲しくて。
さみしくてせつなくて、陽向と裕美はわんわん泣いた。
2度目の夏休みははじめから終わりがくることを陽向は知っていたし、三度目、四度目にもなればずいぶん慣れてきて、ヒグラシの声より先に夏休みの終わりを感じ取ることができるようになっていた。
夏祭りに、花火に、やり残した宿題に。
お盆に行くおじいさんとおばあさんの家に。
ああ、夏休みはもうすぐ終わるんだと、陽向にはわかるようになった。
そして5度目の夏休み。
3日間を過ごした祖父母の家から戻ると、陽向の夏休みはそれ以前と同じ毎日に戻った。
朝ごはんを食べると、冷房の効いた裕美の部屋に転がり込む。こう暑いと親も外で遊べとはあまり言ってこない。それに裕美の家にはカルピスとアイスが常備されているのだ。全巻そろったクリスティー文庫をはじめとするたくさんの本に、陽向が大好きな図鑑に、そして裕美専用のPC。
「あなたへの挑戦状」
24インチモニターにその文字が表示されている。
「毎日定期的に、この掲示板に書き込まれてます」
裕美が言った。
「その下のアドレスをコピーして、「h」を足してアドレスバーに貼り付けて……それで、こうなのです」
裕美がエンターを押すと、どこか別のサイトに飛ばされたようだ。
「だいじょうぶなの?」
「ウィルスソフトさんもこのリンクは安全って言ってるし、だいじょうぶなのです」
モニターに暗い配色のページが表示された。
「あなたへの挑戦状」のタイトル画像と、6文字×6行に36文字のひらがなが配置された画像、そしてテキストバー。たったそれだけのシンプルなページだ。
「陽向ちゃん、わかりますか」
「え、え?」
どうやら、テキストバーにパスワードを打ち込めば次のページに進むことができるらしい。でもとっかかりがない。36文字のひらがなの画像が暗号になっているのだろうとはわかるが、縦に読んでも横に読んでも斜めに読んでも意味が通る言葉にならない。
「ヒント」
椅子を後に滑らせて裕美が言った。
「吉備真備」
誰っすか!
とりあえず「きびのまきび」とテキストバーに入れてみたが変化がない。
「陽向ちゃんは素直なのです」
「だって陽向は裕美ちゃんみたいに頭良くない!」
裕美は小さい頃から物知りで頭が良くて学級委員をしてて、陽向はといえば背が高いだけでいつもぼーっとしていると言われ続けてて、生まれた時からの幼なじみでもすっかり上下関係ができあがってしまっている。今だって裕美の家のソーダアイスを舐めているわけだし。
裕美は5月生まれで、陽向は3月生まれ。
一年ちかく違うんだからしょうがないんだ。
しかもこの頃、陽向はすでにクラス一のノッポだけど裕美はまだ小柄というほどではない。まあ、この小学5年生で成長が止まってしまうのだけど。
「蜘蛛の経路と言う暗号なのです」
裕美の手にもソーダアイス。
「文字がでたらめに置かれているようで、あらかじめ決められた順番、蜘蛛の経路の順番で読めば意味のある言葉になるのです。遣唐使の吉備真備が中国の皇帝に命じられて解いた暗号が蜘蛛の経路だといわれているのです。このサイトの蜘蛛の経路は文字の表も経路も毎日変化しているのです。むしろそれがヒントにもなっているのです。はじめはわからなくても、毎日通えばそのうち気づいちゃうんじゃないでしょうか」
なにを言っているのか難しすぎて陽向にはよくわからないけど、つまり裕美も毎日通って解いたんじゃないか。ぼーっとしていてもそれくらいは推理できる陽向なのだ。
「裕美さんは初見で解いちゃったのです」
うう。
「じゃあ、次のヒント。陽向ちゃんはすでに蜘蛛の経路をずうっと見ているのです」
「――あっ!」
モニターとにらめっこしていた陽向は、アルビレックス新潟の選手の名前をひらがなで打ち込んだ。
正解だ。
画面が次のページに移動した。
薄暗い印象のトップページ、その雰囲気を作っているのは背景だ。2色のブロックが組み合わされているだけ。しかもそのやや大きい画像が無限にリピートされているだけ。しかしその2色のブロックの組み合わせが「蜘蛛の経路」になっていたのだ。その画像だけひとつポツンと置かれていればすぐに蜘蛛の経路だとわかるだろうが、背景になっていて無限にリピートされているので気づきにくくなっている。
「はい、正解です」
にっこりと裕美が笑った。
「それでは次の暗号もちゃっちゃと解いちゃいましょう。陽向ちゃんもミステリをいっぱい読んでるから簡単ですよね!」
CG ED H ACI A BE
蜘蛛の経路の暗号を解いた次のページに置かれていたのは、こんな文字列の画像だ。その画像の下に「次のパスワードは この地点で手に入れよ」と書かれている。そしてテキストバー。
「暗号の答をテキストバーに入れても反応しません。実際にそこに行ってパスワードを手に入れるしかないようです」
そもそもその「暗号の答」が陽向にはわからない。
このアルファベットをそのまま入力しちゃだめなんだろうか。
「……」
ただ、ちょっとだけ陽向にはわかった。
裕美はとっくにここまでの謎を解いていたんだ。でも、おじいさんとおばあさんの家に行っていた陽向が帰ってくるまで、我慢して待っていてくれたんだ。
「わくわくしませんか」と言った裕美のように、陽向も輝く笑顔になった。
「わあ、すごい!」
裕美が言った。
「もうわかっちゃいましたか、陽向ちゃん! 天文ファンさんだから、裕美さんよりすぐにわかっちゃうかもって予想はしてましたけども!」
「ううんっ、ぜんぜんわかんないっ!」
「はあ」
裕美は目をパチパチさせている。
陽向の輝く笑顔は変わらない。
うれしい!
うれしい!
裕美ちゃん、好き! だーーい好き!
結局、陽向がこの謎を解くのにソーダアイスをもう一本必要とした。
お昼を食べに家に戻り、今日もまたいつも通りの茗荷と揚げ玉にたっぷりの七味入りのそうめんを食べ、陽向は物置から自分の自転車を出してまたがった。裕美も自分の自転車にまたがって陽向を待っていた。
「じゃあ、冒険に出発ですっ!」
「うんっ!」
自転車で国道を走るのはダメと言われているし、実際に車が多くて怖いから裏道を走る。ナビは裕美のスマホだ。こんな遠くまで行くなんて初めてだ。お父さんの車や遠足以外で行くなんて初めてだ。
二人の自転車が行く。
ぐんぐん走る。
ぐんぐん。
ぐんぐん。
ぐんぐん。
「このあたりですよ、陽向ちゃん」
自転車を止めてスマホを確認していた裕美が言った。
うらやましい。陽向はまだキッズ携帯だ。
自転車から降りて、ふたりで周りを見渡した。郊外の比較的新しい住宅街のようだ。土地はまだけっこう空いている。
「なにを見つければいいんだろう……」
「わかりませんねえ……まさかと思いますが……」
「?」
「私たちの推理があさってだったのかも……」
「う」
見ると、同じようにスマホを手にキョロキョロしながらMTBを押して歩いている女の子がいる。同い年か少し上? 被っている黒い野球帽から流れる髪が長い。
「……」
向こうも気づいたらしい。
「……」
「……」
「……」
意識しながらも互いに目を逸らし、三人はすれ違った。
「あっ!」
と声をあげたのは陽向だ。
「裕美ちゃん、あれ!」
住宅地の一角に建つ一軒家。手入れが行き届いた庭に、黄色くてかわいい車。そして玄関先には黒板が置かれたイーゼル。
「37度54分8秒 139度1分25秒」
「ここだーー!」
「ここだーー!」
「ここだーー!」
三人が同時に叫んだ。
ジロリと裕美と陽向をにらんできたのは、後に学校をキャンプ地にしてしまう自由少女だ。
森岡祥子、10歳。
■登場人物
佐々木裕美 (ささき ゆみ)
県立五十嵐浜高校一年三組。小動物。安楽椅子探偵。
南野陽向 (みなみの ひなた)
県立五十嵐浜高校一年三組。態度はふてぶてしいがかわいいものが好き。裕美の保護者。
森岡祥子 (もりおか しょうこ)
裕美や陽向のクラスメートなのだが、一度も登校してこない。そして裕美と陽向にとっては知っている名前でもあるらしい。謎の存在。
林原詩織 (はやしばら しおり)
一年三組暫定委員長。裕美や陽向と同じ中学出身。中学時代には成績トップだった。
高橋菜々緖 (たかはし ななお)
裕美や陽向と同じ中学出身。本を読むのが好きでおとなしかったのだが…。
笈川真咲 (おいかわ まさき)
裕美や陽向と同じ中学出身。華やかで美人で、ヒエラルキーのトップに君臨した女王。
太刀川琴絵 (たちかわ ことえ)
五十嵐浜高二年生。中学生の頃から県大会常連の剣士。生徒会副会長だが立候補した覚えはない。
小宮山睦美 (こみやま むつみ)
上遠野という少女を知る生徒。
藤森真実先生 (ふじもり まさみ)
県立五十嵐浜高校教師。二八歳独身。
南野太陽 (みなみの たいよう)
陽向の兄。ハンサムだが変人。
林原伊織 (はやしばら いおり)
林原詩織の兄。ハンサムだが変人でシスコン。