あなたのキスを数えましょう 2
県立五十嵐浜高等学校。
放課後の1年3組、噂の空き机を囲んで座るのは、南野陽向、佐々木裕美。そしてカチューシャがチャームポイントの。ええと……。
「広木菜穂子です」
クラスメイトの名前と顔もまだ一致しない。
「うっかりしてしまいました」
裕美が囁いた。
「だから目に留まっても、空き机の書き込みは読み上げちゃいけないって」
陽向が囁いた。
そもそも常にクラスメイトの注目を集めている空き机になんか座りたくないんだ。おれたちは、まだ――。
「それで私の相談はですね」
広木さんが言った。
「いやちょっと待った」
陽向が言った。
「おれたちはこの机をよく利用してるわけだけど、でも利用の仕方がみんなと違うわけで、なんというのか、この机の眷族みたいにされちゃうのは迷惑というか。ていうか同じ高校1年なんだし相談されたって、おれたちにわかるわきゃないっていうか」
「あのですね、南野さん」
「はい」
「中学が違うからわかんないのですが、南野さんと佐々木さんってつきあっているのです?」
がばっと陽向が立ち上がった。
「なにを言い出すんだーー! おれと裕美はーー! 清く正しく美しくーー!」
「ふたりでいつも謎を解いてくれるじゃないですかーー! 知らない事とか教えてくれるしーー!」
「聞かれりゃ答えるだけでーー! いや、その前におれと裕美はーー!」
「だから私、聞いてるんです、答えてくださいーー! 私、私、傷ついてるんです、理由もわからず姪に嫌われて、めっちゃ傷ついているんですーー!」
「ーー!」
「座って、陽向ちゃん」
と、裕美が陽向の制服を引っぱった。
「広木菜穂子さん。期待に沿えられるかどうかわかりませんが、一生懸命考えてみます」
「裕美っ!」
「それでいいでしょうか、広木菜穂子さん」
そう。
願い事を聞いてくれる「空き机の祥子さん」。その伝説を支えているのは南野陽向、佐々木裕美。この二人の存在なのだ。
広木菜穂子さんは日和浜中学出身。
毎日替えてくるカチューシャが素敵だ。そして彼女にはかわいい盛りの真央ちゃんという姪がいる。……。
「へえ、高校1年生なのにもう叔母さんなのですかー」
そんな感想を漏らしたのは裕美でも陽向でもない。というか感想と言うには微妙に悪意の響きすらある。
28歳独身。
担任の藤森先生が教室を漂っている。
「一番上の姉とは12歳離れているんです」
「12歳年上。ずいぶん離れていますねー。あれ、でも、そんなに離れているのに、それなのに、お姉さんは私より年下なのですね! おかしいよね。変だよね。許せないよね! 私も空き机の祥子さんに聞いちゃおうかな!」
「お断りします」
「お断りです」
激しく眉をひそめた裕美と陽向が言った。
やっぱり眷族なんじゃん。広木さんと28歳独身は思った。
真央ちゃんは3歳になったばかり。
三姉妹の末っ子である広木さんにとって、妹ができたようでむちゃくちゃ嬉しい。真央ちゃんも広木さんによく懐いてくれている。
「でも、突然嫌われちゃったんです。私の顔を見ると逃げ出しちゃうんです。私、なにもしてません。なのに」
「あなた、オバさんと呼ぶなって怒ったんでしょう」
「違います」
「わかる、わかるわー。はじめはなんだか大人になったような気分で、少しこそばゆくて。でもある年齢を超えると突然腹が立つようになるのよねー。どこ見てんだ、誰がオバさんだーーって。ふざけんじゃねえぞ、こんなかわいいお姉さんだろうがよおおおーーって。わかる、わかるわー」
「ですから、真央ははじめから私をお姉ちゃんって呼んでるんですけど」
「ごふっ」
「ああ、そうか! 姉が気を回してくれたんですね。私や真ん中の姉のことはお姉ちゃんと呼ぶのよって。そうか、なんで真央は私を叔母ちゃんって呼ばないんだろうって不思議だったんです。なるほどー!」
「ばばあの気持ちはばばあが知る……ぐふ……っ」
28歳独身が直撃弾をくらって崩れ落ちたようである。
静かになっていい。
「やだ、不思議だったことひとつ解決しちゃった。さすが空き机の祥子さん!」
広木さんは椅子に座ったままぴょんぴょんと弾んで喜んでいる。
「では、これで一件落着という事で」
すっと、陽向が立ち上がった。
「座って、陽向ちゃん。なにも解決していない」
すっと、陽向が座った。
広木さんがカバンからカチューシャを取り出した。濃いブルーのリボンがいくつも重ねられている。広木さんがいまつけているカチューシャと同じだ。
「でも少し小さいのですね」
裕美が言った。
「うん。私のとお揃いのカチューシャを集めはじめたの。でも、つけてあげようと真央に見せたら真央がわあっと泣き出しちゃって……。真央、カチューシャが嫌いなのかな。それとも私とお揃いなのがいやなのかな……」
広木さんはさみしそうだ。
「あ、姉からです。保育園で真央を拾って学校まで来てくれるそうです」
メールを確認して広木さんが言った。
それが校内であっても南野陽向が歩くと視線が集まる。
スラリとのびた手足。ほどよくきつくない切れ長の目。ナチュラルに形のよい唇。どこからどう見たってとびきりの美少年なのだ。
「でも、本人がそれを意識していない」
隣を歩く裕美は溜息をついてしまう。
「ねえ、陽向ちゃん」
「なに?」
「中島みゆきさんに『銀の龍の背に乗って』て歌があるのです。素敵な曲なのですけど、途中で『最高だぜ!』って言葉がはいるんです。裕美さんは不思議でした。なんで突然浜田省吾さんになるのだろうって。ロケンロールになるんだろうって。歌詞を確認したら『さあ、行こうぜ!』だったのです」
「はあ」
わけがわからない。
裕美はときどきよくわからないことを口にする。まあ、それより。
「ねえ、なんで先生までついてくるんです?」
陽向が言った。
「暇だもん」
業務に忙殺される令和の全国の教師さんを敵に回す28歳独身である。
「こんにちわー」
広木さんのお姉さんはクリーム色の軽に乗ってやってきた。
「あら、先生ですか」
「はい、ぱっと見クラスメイトと思われがちなのですが、たしかに担任の藤森でございます」
無茶振りするなよ。
「あら、イケメン」
「お姉ちゃん、うち、五十嵐浜だよ」
「う!?」
注目の真央ちゃんは車に残ったままだ。広木さんの姿を見つけて降りてこないのだ。広木さんとお姉さんは顔を合わせて苦笑いを交わした。
裕美が車に近づいた。
手には例の少し小さいカチューシャだ。
「あっ」
広木さんとお姉さんが思わず声を上げてしまったのは、前にそれを見せたときには真央ちゃんが泣きだしてしまったからだろう。だけど、今日は泣かない。
「かわいい髪飾りでしょう。きっと似合うよ」
裕美は真央ちゃんの髪にカチューシャをつけてあげた。
嫌がるどころか、真央ちゃんはサイドミラーに得意そうに自分を映している。
「え……どうして。私の時にはあんなに泣いたのに……」
広木さんは泣き出しそうだ。
「やっぱり、私だから嫌だったの……?」
「そうじゃないと思います」
裕美は車から離れ、皆に近づきそっと囁いた。
「これはただの私の想像ですけど、広木さんはカチューシャを渡すときにこんなふうに言ったんじゃありませんか。『カチューシャする?』」
「?」
みなきょとんとしている。
裕美は陽向を見上げた。
手でなにかやっている。中指と人差し指を親指に押しつけるような……。
「――そうか!」
陽向は気づいたようだ。
「『お注射する?』――真央ちゃんは聞き間違えちゃったんだ!」
「あっ」
「あっ!」
カチューシャしない?
カチューシャだよ。
カチューシャしてあげる。
「やだ、そうだった! あの頃、この子立て続けに注射してたのよ。風邪ひいちゃって!」
広木さんのお姉さんが言った。
みんなの視線が集まる中、真央ちゃんは楽しそうだ。
「ありがとう。昨日はあれから三人でファミレス行きました。真央はまだ警戒してるようだったけど、ちょっとずつ距離を縮めていきます。ちょっとずつです」
パン、パン。
翌朝の教室。空き机に二礼二拍手一礼した広木さんが顔を上げ、裕美と陽向に笑顔を向けた。
「広木さん嬉しそうですね、陽向ちゃん」
「うん、良かった。裕美、良く気付いたね」
「あれは陽向ちゃんがはじめに気付いたんじゃないですか」
「えっ、そうだっけ?」
「そうですよ。さすがは陽向ちゃんです」
裕美は鼻歌交じりにいちばん後の自分の席に戻っていった。
陽向は頭をかきながら、空き机に視線を落とした。そして陽向が言った。
「夢で私にキスした人はだれですか」
裕美が時間を止めた。
教室に入ってきた藤森先生が時間を止めた。1年3組が時間を止めた。
――しまった!
陽向も時間を止めている。
■登場人物紹介
佐々木裕美 (ささき ゆみ)
県立五十嵐浜高校一年三組。小動物。安楽椅子探偵。
南野陽向 (みなみの ひなた)
県立五十嵐浜高校一年三組。態度はふてぶてしいがかわいいものが好き。裕美の保護者。
藤森真実先生 (ふじもり まさみ)
県立五十嵐浜高校教師。二八歳独身。
森岡祥子 (もりおか しょうこ)
裕美や陽向のクラスメートなのだが、一度も登校してこない。そして裕美と陽向にとっては知っている名前でもあるらしい。謎の存在。