お弁当はみんなで 6
「はじめまして。そこの南野陽向の兄、太陽です」
「はじめまして。林原詩織の兄貴やってます、伊織です」
高校の近く、とはいっても徒歩で数分のところにある喫茶店スピッツ。
父親が「ギターで食っていきたかった!」とお酒を飲む度に泣く人で、自然、古い曲ばかり子供の頃から聴いてきた陽向にはピンとくるものがあった。入ってみてやっぱりそうだった。外装も内装も明らかに60年代や70年代を意識している。BGMだってさっきからビートルズだ。
カウンターには新聞を立てて読んでいる小柄なマスター。
新聞に隠れて姿が見えない。
頭にジャン・レノや黒沢年雄のようなニット帽イスラムワッチを被ってそうだなと陽向は思った。きっといつもやる気なさそうで、ただナポリタンが注文された時にだけ新聞を放り投げてニヤリと笑うのだ。「おれ、ナポリタンにだけは自信あるんだよね」。そしてご機嫌で作り始めるのだ。
現実には8人をふたつのテーブルに分けて、夕食前だからとクラブサンド2人前がそれぞれ一皿。そして、人数分のコーヒー。ただ、マスターは本当にイスラムワッチを被っていて、陽向は噴き出しそうになった。だけど。
「8人?」
陽向が言った。
ここには高校生が5人に大学生が2人の7人だけだ。
「あとでうちの院生が来る」
「今は駐車場探して流してる」
「いつもは怖えー人なのに、五十嵐浜の名前出したら車出してくれた」
ああ、それで妙にこの二人の登場が早かったのか。
南野太陽。
林原伊織。
林原さんのお兄さんも工学部の学生だと聞いた時にはまさかと思ったが、この二人は同じ研究室の親友同士だったのだ。世間は狭い。
「ていうか」
陽向は思った。
「類は友を呼ぶ」
ここまでそれを体現している二人がいるだろうか。
まず、理系オタク。
陽向の理系好きは遺憾ながら兄の影響が強い。きっと林原さんもそうなのだろう。五十嵐浜高校7不思議事件では、錯覚を利用した目が動くモナリザを制作し、林原さんにプレゼントしたのだという。
見た目もよく似ている。
二人とも長身で、太ってはいないがなぜか妙に筋肉質っぽい。そしてボサボサ頭に無精ヒゲ。さらに。
「うちの兄よりチェックのシャツが似合う人がいるとは思わなかった」
林原さんが言った。
「ああ、林原さんとこも、いつもチェックのシャツなんだ」
陽向が言った。
太陽と伊織は自分のチェックのシャツを引っぱって見ている。
「いや、陽向ちゃん。これは陽向ちゃんのそのブレザーと同じだぜ。制服なんだ。一目で『ああ、あいつ理系大学生だ』『ああ、おれたちと同類だ』とわかるんだ。便利だろ?」
「ちゃん言うのやめろ。全国の理系の学生に叱られてしまえ」
「そうだぞ、詩織。おまえも早くうちの学部に来い。お兄ちゃんとお揃いのチェックのシャツでキャンパスを歩こうじゃないか」
「死んでも嫌」
そして。
「で?」
カップを手に太陽が言った。
「弁当に毒物だって?」
目が鋭い。
そう。
理系オタクだろうがファッションセンスが残念だろうが、「真面目」にジョブチェンジしてしまうとこの二人は無駄にイケメンなのだ。しかも精悍系のシュッとしたイケメンなのだ。ガタイもいいし、ボサボサ頭に無精ヒゲまでもが戦場帰りの二人ような危険な香りを漂わせてしまうのだ。
「ベクトルが違う危険さは確かにあるけどな」
「あぶなさというか。あと香りというより匂い」
相変わらず身内の評価は厳しい。
「まあ、味覚を強烈に刺激するかどうかはともかく、死なない程度に相手を苦しめる薬物ならいくつか思い当たらないこともない」
さらりと言う。
「だけどな、薬物の取り扱いや管理が甘いものだと思ってもらっても困る」
「その辺で採取できるような植物から抽出ってのはできないの?」
陽向が言った。
「できる。というか、抽出する必要もない」
「一般的には毒キノコがあるだろう? 秋になれば大騒ぎだ。歴史的にもソクラテスの毒ニンジンに、聖アントニウスの火と呼ばれた麦角菌がある」
「そもそも毒物ってのは合成のものより自然由来が多い。そして圧倒的に強い」
「ユリの球根にも毒があるといいますね」
これは林原さん。
「ユリの球根に毒ってのはあまり正確じゃない。猫に悪いってのが広まったのだろう」
「細かい事を言えば、梅の実には青酸配糖体があるし、バナナにはカリウムの放射性同位体が多く含まれているので放射線が出ている。毒と言えないこともない。ただ人体には害のないレベルだし、バナナの場合は体外に排出される」
「まあ、とにかくだ」
「ああ、とにかくだ」
無駄にイケメンな上に、無駄になにかのアイドルデュオのような二人である。
「お弁当を食べて実際に健康被害があると言うのなら、こんなところでごちゃごちゃ言ってないで、さっさと医者に診てもらうことだ」
「そういうことだ」
こんなところで悪うございましたね。
イスラムワッチのマスターが、立てた新聞の向こうで拗ねている。
「しかし、その健康被害が出てそうな子がいないじゃないか」
「そこの、オカメインコみたいな無闇にかわいい小動物が妙におびえている以外はな」
びくっと、オカメインコ高橋さんが体を震わせた。
さきほどから顔を伏せて「イケメン怖い……イケメン怖い……」と呪詛のようにつぶやいている。
「ああ、ほんとうだ。裕美ちゃん系の小動物だ。あれ、いつの間にか裕美ちゃん本人までいるじゃないか。やっほー、太陽ちゃんだよ!」
最初からいましたけどね。
ほんと、誰にも名前を覚えて貰えませんし、裕美さんすこしステルスがすぎましたかね。クラブサンドをぱくつきながら気分を悪くしている裕美である。
「オカメインコの君、毒弁当の被害者というのは君か?」
「オカメインコの君、毒弁当の被害者というのは君か?」
「私じゃありませんっ! ごめんなさいっ、ごめんなさいっ! ていうか、そのオカメインコってなんですかっ!」
泣かなくても。
そしてその怯えるオカメインコ高橋さんのとなりでキラキラしているのは広瀬川まゆみさんだ。
「私です」
広瀬川さんが手を上げた。
あの納豆とソースの荒ぶる魔人が、澄ました女子高生の顔になっている。
「私が毒物入りお弁当の被害者、広瀬川まゆみ。15才、乙女座、O型。彼氏募集中です」
「――広瀬川?」
「――広瀬川?」
宇宙人が攻めてきても歓声を上げながら追いかけて宇宙人の技術に根掘り葉掘り質問を浴びせそうなバカ兄二人の顔に、さっとおびえが走ったのを陽向と林原さんは見た。
喫茶店のドアのカウベルが鳴った。
数曲続いたビートルズから、デレク・アンド・ザ・ドミノスの『レイラ』に曲が変わった。
カッ、カッ、カッ!
ヒールを響かせ、女性が店に入ってきた。
街中だというのに白衣。長い黒髪を無造作に結い上げヘアクリップで留めている。白衣の下は洗いざらしのジーンズにトレーナー。そんな姿だがヒールだ。そして美人だ。化粧っ気はないがたしかに美形だ。ただ表情がない。あえて言うなら冷徹に人を査定している、そんな雰囲気を醸す。
形のいいアゴにはホクロ。
太陽と伊織はこの院生に聞いたことがある。なぜいつもそんな格好なのだ。実験に追われてオシャレどころじゃないのはわかる。ならばなぜ足だけはヒールなのだ。
「役に立たねえ学部生の足の甲を踏みつけるためだ」
無表情のまま、彼女はそう答えたらしい。
カッ、カッ、カッ!
カッ、カッ、カッ!
クラプトンのギターが響く中を、艶ぼくろの美女は真っ直ぐに陽向たちのテーブルに向かってくる。ふたりの大学生は振り返りもせず、その大きな図体でおびえている。広瀬川まゆみさんも顔を蒼白にさせている。
「なぜおまえが」
と、艶ぼくろの美女が言った。
「役に立たねえ学部生と一緒にいるんだ、まゆみ」
ふたつのテーブルの間に立ち、広瀬川ひとみさんは顔を伏せて体を震わせている広瀬川まゆみさんを見下ろした。
■登場人物
佐々木裕美 (ささき ゆみ)
県立五十嵐浜高校一年三組。小動物。安楽椅子探偵。
南野陽向 (みなみの ひなた)
県立五十嵐浜高校一年三組。態度はふてぶてしいがかわいいものが好き。裕美の保護者。
藤森真実先生 (ふじもり まさみ)
県立五十嵐浜高校教師。二八歳独身。
美芳千春先生 (みよし ちはる)
保健室の先生。藤森先生の友達。
森岡祥子 (もりおか しょうこ)
裕美や陽向のクラスメートなのだが、一度も登校してこない。そして裕美と陽向にとっては知っている名前でもあるらしい。謎の存在。
林原詩織 (はやしばら しおり)
一年三組暫定委員長。裕美や陽向と同じ中学出身。中学時代には成績トップだった。
高橋菜々緖 (たかはし ななお)
裕美や陽向と同じ中学出身。本を読むのが好きでおとなしかったのだが…。
知久多佳子 (ちく たかこ)
クラスの最後列、裕美の隣の席の子。
広瀬川まゆみ (ひろせがわ まゆみ)
納豆少女。
広瀬川ひとみ (ひろせがわ ひとみ)
納豆少女の姉。
笈川真咲 (おいかわ まさき)
裕美や陽向と同じ中学出身。華やかで美人で、ヒエラルキーのトップに君臨した女王。
太刀川琴絵 (たちかわ ことえ)
五十嵐浜高二年生。中学生の頃から県大会常連の剣士。生徒会副会長だが立候補した覚えはない。
南野太陽 (みなみの たいよう)
陽向の兄。ハンサムだが変人。
林原伊織 (はやしばら いおり)
林原詩織の兄。ハンサムだが変人でシスコン。




