お弁当はみんなで 1
「おい、すげーかわいい子がいる」
朝のバスが騒がしい。
「ついてる、青山浜中の笈川真咲だ」
「知ってるか、あの髪、天然なんだぜ。どこも弄ってないんだって」
「○×△△××」
「△△○×△××○」
喋るな。
言葉を使うな。息を吐くな。気持ち悪く笑うな。いやらしい男なんか一人残らずくたばってしまえ。
「高校前ー、高校前ー」
笈川真咲も他の生徒たちと一緒にバスを降りた。
バス停は校門のすぐ近くだ。家からも駅よりバス停の方が近い。だけど。
電車通学組が長い坂を登ってくる。その中に頭がひとつ抜けて長身の生徒がいる。前はハムスターみたいな子がまとわりついていたけど、なんだか真面目そうな子とオカメインコみたいな子まで増えた。
ぷいっと視線を外し、笈川真咲は校門へと歩きはじめた。
千本桜は満開を迎えている。
「さて、おれもできるところからかたづけていくことにしよう」
一年三組、朝のホームルーム。
南野陽向は手を上げて発言を求めた。
「先生、その机の人はいつ登校するんですか?」
陽向の発言に、一年三組がおおっとざわめいた。
入学式から一度も持ち主が登校してこない空き机。高校生になったばかりの彼らの好奇心ははち切れんばかりになっていたのだ。
担任の藤森先生は苦笑を浮かべた。
「う~~ん、なぜか来ないのよー」
事故とかでも病気とかでもなく、センシティブな話とかでもなく。
「秘密じゃないから、名前も言っちゃおうかー。その席の生徒の名前は森岡祥子さんといいまーす。彼女がやって来たら、仲良くしてあげてねー」
そんなゆるゆるふわふわなことを言って藤森先生は教室を出て行った。
「……」
陽向も困ってしまった。
陽向の真後ろの席と言う事もあって、なんとなくミステリ研の集合場所になってしまっている。今も「7不思議」で使われたモナリザの複製画を立て掛けてある。これからもしばらくは使えるのか、明日にでも席の人が登校してくるかもしれないのか。それを確認したかったのだけど。
ま、しょうがない。あまり追求してセンシティブな話だったら困る。
それより次は教室移動で理科室だ。急がないと。
「……」
あれ、裕美がいない。
廊下側で最後尾が裕美の席なので、いつも立ち上がって待ってくれているのだけど。と思ったら、真下に少し色素が薄いふわふわの髪が目に入った。
「うわっ!」
空き机に裕美が座っている。
「しょうこさんですよ、陽向ちゃん!」
陽向を見上げる顔は輝いている。
「しょうこさんもやっぱり五十嵐浜を受けてたんですよ!」
「はあ」
「しかも同じクラスですよ! すごいです、すごいです!」
「はあ」
「机にいっぱい願い事書くんです! そうすればしょうこさんがきっとかなえてくれるんです!」
「うん。裕美、理科室に行こうか」
「あれっ、これなんですっ?」
お昼休み。
例によってダッシュで教室を飛び出して例によってコロッケパンと牛乳パックを買ってダッシュで戻ってくると、裕美は空き机で陽向を待っていた。そうなるとやっぱりオカメインコ高橋さんもいるし、今日は林原委員長もいる。ほんとう、まるでミステリ研の部室だ。
ん?
これ?
「これですよ。書きみがっ」
高橋さんのお弁当は今日もすごく手が込んでいる。ポークソテーに赤いソース。ケチャップじゃない。紅葉おろしかな。ニンジンかもしれない。彩りもきれいだ。裕美のおばさんが作る手間暇かかったお弁当に負けない。本人か家族が料理好きなのだろう。その高橋さんが箸を置いて天板を指差している。
「『彼氏が欲しい』」
えっと三人の視線が林原さんに集まった。
林原さんもお弁当。でもフタで隠しているからどんなお弁当かわからない。あまり人にお弁当を見せたくないタイプなのかな。ていうか眉間にシワが寄っている気もする。
「えっ?」
伏せていた顔を上げて林原さんが言った。
「なんで私を見るの!?」
いや、そもそも空き机の天板になにか書き込みはじめたのはあなたでしょう。
「あれからなにも書いてません!」
林原さんは、つんと横を向いた。
相変わらずお弁当はフタでガードしている。
「じゃあ、裕美?」
「裕美さんではありません」
「ふうん?」
片手で器用に牛乳パックからストローを取り外して差し、一口飲んで陽向はくすっと笑った。
「なに。彼氏が欲しいなら、おれがなってやろうか」
えっ!?
陽向だけが気付いていない。
自分の言葉の衝撃に。
そもそも「畏れ多いですっ、畏れ多いですっ!」と真っ青になってぶるぶる震えている高橋さんや、昨日の美術室の記憶も生々しく耳まで真っ赤になっている林原さんだけじゃない。教室全体がざわっ!と息を呑んでいる。ひとり拳を振り上げて立ち上がっている女生徒がいるのは、どうやら彼女が書き込んだ犯人なのだろう。
さすがは陽向ちゃん。無自覚でナチュラルボーンな女たらしです。
裕美は溜息をついた。
それで無自覚で周囲に迷惑をかけちゃうのです。
そういえば、裕美さんも余計なことを言っちゃいましたかね。
「机にいっぱい願い事書くんです! そうすればしょうこさんがきっとかなえてくれるんです!」
誰かに聞かれちゃったのかもしれません。
ていうか、未だにキラキラ顔で拳を突き上げてるあそこの人に。
それでも裕美の顔には笑顔が浮かんでしまう。
しょうこさんが本当に五十嵐浜にいるのですね。入学式のクラス名簿では気付きませんでしたが、そうか、そもそも「しょうこ」さんとしか裕美さんも知らなかったのでした。フルネームを漢字で書かれてもピンときません。
うふふ。
じゃあ、裕美さんもさっそく書き込んじゃいましょう。気付いてくれるかな、しょうこさん――。
あっと陽向は思った。裕美が机の中に右手を入れて、なにかをしている。
「ズズッ」
と、陽向はストローの音を立てた。
高橋さんも林原さんも気付いていない。あまり首を動かさないようにして周囲を探ったが、教室内でも気付かれた気配はない。ひとり立ち上がって拳を振り上げている子がいるけど。裕美の肩は動かない。二の腕も動かない。でも、陽向には裕美がなにをしているのかわかる。
やがて机から右手を出し、裕美はまたお弁当をつつきはじめた。陽向は口に含んでいた牛乳をごくりと飲み込んだ。
拳を突き上げている生徒はまだキラキラと立ったままだ。
「マサキ」
呼び止められ、笈川真咲は顔を向けた。
知らない顔じゃない。
でも名前が出てこない。どうでもいい。
その生徒は真咲の手を引いて歩きはじめた。やだな、めんどくさそう。
「私、音楽室に行かなきゃならないのだけど」
「どうしてラインの登録消したの」
うざいから。
とはさすがに真咲でも口にしない。
「あんたがひとりで廊下を歩いているなんて、中学時代じゃ考えられなかった!」
あんた呼ばわりか。
「ねえ、マサキ!」
その生徒は人気のない理科棟で真咲に向き直った。
「あたし、あんたが五十嵐浜を受けるから、こんな僻地の高校受けたんだよ! なのにどうしたの。ライン消して雲隠れするし、ちっとも仲間を作ろうとしないし! なんなのよ、いったい!」
そういうのめんどくさいからなのだけど。
「シホリとかケンタとかシュウとか呼んだから。みんな呼んだから。遊びいこ、街に行こうよ」
「ねえ」
と、真咲が言った。
「いったいなんなの。あなた、誰?」
その生徒は固まってしまった。
「冗談……だよね? あたしリコだよ。ねえ、やめてよ……」
ああ、そうだった。リコ。漢字でどう書くのか知らないけど。カタカナだったかも知れないけど。
「もういい? 私、次の授業は音楽なの」
真咲は歩きはじめた。
呆然としていたリコはぶるっと全身を震わせた。
「ほう」
と、真咲とリコの会話を化学実験室の少しだけ開いた戸で立ち聞きしていたのは髪の長い生徒だ。手にはソーサーと紅茶のカップ。ひらりと髪とスカートをなびかせ、誰もいない教室を踊るように歩いて椅子に座った。
「あの女王さまも来ていたのか。楽しそうじゃないか、五十嵐浜高校は」
長い足を組み、その生徒はふふっと笑った。
■登場人物
佐々木裕美 (ささき ゆみ)
県立五十嵐浜高校一年三組。小動物。安楽椅子探偵。
南野陽向 (みなみの ひなた)
県立五十嵐浜高校一年三組。態度はふてぶてしいがかわいいものが好き。裕美の保護者。
藤森真実先生 (ふじもり まさみ)
県立五十嵐浜高校教師。二八歳独身。
美芳千春先生 (みよし ちはる)
保健室の先生。藤森先生の友達。
森岡祥子 (もりおか しょうこ)
裕美や陽向のクラスメートなのだが、一度も登校してこない。そして裕美と陽向にとっては知っている名前でもあるらしい。謎の存在。
林原詩織 (はやしばら しおり)
一年三組暫定委員長。裕美や陽向と同じ中学出身。中学時代には成績トップだった。
高橋菜々緖 (たかはし ななお)
裕美や陽向と同じ中学出身。本を読むのが好きでおとなしかったのだが…。
知久多佳子 (ちく たかこ)
クラスの最後列、裕美の隣の席の子。
広瀬川まゆみ (ひろせがわ まゆみ)
納豆少女。
広瀬川ひとみ (ひろせがわ ひとみ)
納豆少女の姉。
笈川真咲 (おいかわ まさき)
裕美や陽向と同じ中学出身。華やかで美人で、ヒエラルキーのトップに君臨した女王。
太刀川琴絵 (たちかわ ことえ)
五十嵐浜高二年生。中学生の頃から県大会常連の剣士。生徒会副会長だが立候補した覚えはない。
南野太陽 (みなみの たいよう)
陽向の兄。ハンサムだが変人。
林原伊織 (はやしばら いおり)
林原詩織の兄。ハンサムだが変人でシスコン。




