五十嵐浜高7不思議 解決編
「結局、『死ぬ間際の自分が映る鏡』と『夜に校舎を歩く自殺した生徒』は見つかりませんでしたねえっ」
帰りの電車で、高橋菜々緖さんが言った。
夕日が眩しい。
「まだ準備できなかったのかもしれません」
裕美が言った。
「準備ですかっ?」
「準備なのです」
「あの、南野氏、今日いませんでしたね。もしかして、ミステリ研に飽きちゃったのでしょうかっ」
「心配しないでください。陽向ちゃんには大切な用事をお願いしたのですよ。陽向ちゃんは自覚のない女たらしなのでこの役は陽向ちゃんにしかできないのです」
「そうなのですかっ」
「裕美さんも『死ぬ間際の自分が映る鏡』には少し期待したのですが、大事になる前に幕引きを――ひあっ!?」
裕美がおかしな声をあげたのは、高橋さんが手を握ってきたからだ。
「ああっ! だめですか! まだ早かったですか! 私、まだディスタンス感が――」
高橋さんは顔を真っ赤にして慌てている。裕美も顔を真っ赤にさせていたが、やがて手を握り返した。
差し込む夕日の中、高橋さんは嬉しそうに笑った。
「まず確認したいのは」
二人だけの薄暗い美術室で陽向が言った。
「空き机の書き込みなんだ。最初のは前の時間が体育だったから、みんなが教室をでるまで待って書き込めばいい。だけど掃除時間に文字が変わったのは――おれの推測を言わせて貰えば、机ごと入れ替えた?」
陽向は林原詩織さんに鉛筆を渡した。
空き机に置かれていた鉛筆だ。
「そう。今の『空き机』は、昨日までは私の席だった」
鉛筆を受け取り、林原さんが言った。
「6時間目までに7不思議の構想を考えて、授業中に自分の机に書いたの。それを掃除の時間に入れ替えただけ」
「よくまわりに気づかれなかったね」
「一気に入れ替えたんじゃなくて、机を上げ下げするときに空き机を私の列に入れて、次は私の机を空き机の列に入れたの。なにかやってるぞって気づいた人もいるかもしれないけど、人の事なんてそんなに気にしない。机の上げ下げはほとんど私がやったし」
ああ、それで「真面目な人」ってコメントがついたのか。
「あの時には思いつかなかったよ。まさか現実にミステリのようなトリックを仕込んでくる人がいるなんて想像してなかったからね。わかっていれば、林原さんの机を確認していたのにな。たぶん、最初の書き込みが消されずに残ってたでしょう?」
「そう。人がいなくなるまでバッグを載せて隠してただけ。机に消しゴムをかけるなんて、さすがに目立ちそうだから」
「蛇口は色をつけたセメダイン」
蛇口にセメダインを塗ると、セメダインの膜が水を通さずに膨らんで「ぼこぼこ」「もこもこ」になる。あらかじめ色をつけておくとスライムのようなものが蛇口からでてくるように見える。
「それも正解。あなたも化学実験番組が好きなタイプだったのね」
「うん、今もさ」
「これの」
と、林原さんは床におろしていたモナリザの絵の額縁を、ポンと叩いた。
「説明は必要ないよね」
「うん。林原さんならできればホロウフェイス、ホロウマスク錯視を使って欲しかったな。でも、それはそれですごいと思った」
「だめ。ホロウマスク錯視は動画限定。肉眼では片眼をつむらないと起こらない」
「えっ、そうなの?」
「実験は自分で試してはじめて意味があるのよ」
「わかったよ、ごめん。でもわからないのは、なぜここまで大がかりなイタズラをしたの。林原さんも大変だったでしょう。そのモナリザなんてすごいよ」
「楽しんでもらいたかったのよ」
「え?」
「高橋さんと、そして高橋さんの友達であるあなたたちに楽しんで欲しかったのよ」
雪がちらつく中で、その少女は泣いていた。
目を閉じ、唇を噛み、涙は彼女の頬を落ちていった。
「南野さんは知らなかったみたいだけど、高専合格発表のローカルニュースの映像として、私が泣いている姿が繰り返し流されたの。カメラマンは歓びの涙と思ったのかもしれないけど、普通、表情でわかるよね。私は、新潟で今年一番有名な受験に失敗した子なのよ」
昔から理系が好きだった。
だからいっそのこと高校から浸っちゃえと周囲の反対を押し切って高専を受験することにした。だけど受験の日、問題の一問目がよりによっていちばん苦手な問題だった。そして、両隣の男子がさらさらとよどみなく鉛筆を走らせる音が聞こえてきた。
落ちる!?
この私が男子なんかに負けちゃう!?
かあっと頭に血が上った。女の癖に理数系かと馬鹿にした男たち。県高に行ってくれと哀願し怒鳴りテーブルを叩いた両親。そして先生。
それみたことか。
――。
さんざんだった。
ただそれで自分が人より上がりやすい、思い込みが激しいと分析でき、男子への妙な対抗心があることもわかった。だけど傷は深く、すぐには自信を取り戻せなかったので県高は避け(受験でとなりに男子が座るのはまだ怖かった)、五十嵐浜に決めた。そして合格した。
だけど今でも、囁き声が聞こえてくると全部、受験に失敗した自分を噂しているように思えてしまう。
人の笑い声が全部、自分への嘲笑に聞こえてしまう。
「自分が気にするほど人の事なんて誰も気にしていない。なんど言い聞かせてもだめ」
消えてしまいたい。
そんな時。
駅からの長い坂で、肩を叩いてきた人がいた。
「あっ、私っ、高橋菜々緖といいますっ! 影薄かったから知らないと思うけど、同じ中学出身ですっ! あのっ、そのっ、よろしくお願いしますっ!」
「……」
「同じクラスなんですっ! 一年間、よろしくお願いしますっ! あっ、繰り返しになっちゃったっ!」
林原さんが「よろしく」と返したのは、ただの挨拶だ。深い意味があるわけじゃない。だけど高橋さんは嬉しそうに笑ったのだ。
にっこりと。
天真爛漫に。
ああ、あの笑顔か。陽向には想像できた。
「嬉しかった。私こそ、すごく嬉しかった。ただの私に声をかけてくれた。ハリネズミになっていた私が、本当に嬉しいって思った」
高橋さんが友達を作りたいなら応援したいと思った。
ミステリ研を作りたいのなら協力したいと思った。
「でもやっぱり思い込みの激しい私だから、空回りしちゃったかな?」
林原さんは苦笑を浮かべた。
「ねえ、林原さん」
陽向が言った。
「おれ、こんなでかいけど、でかくてよかったってたまに思うんだ。おれ、林原さんひとりくらい平気だよ」
「なにを言っているの?」
陽向は両腕を開いた。
林原さんはさっと頬を染めた。
「あなた、本当になにを言っているの……!」
「だいじょうぶ。おれ、剣道で鍛えてたからだいじょうぶだよ」
くしゃり、と林原さんの顔が歪んだ。
モナリザの額縁を離し、林原さんは陽向の胸に飛び込んだ。陽向は林原さんを抱きしめた。
林原さんは泣いた。
声をあげて泣いた。
くやしくて。
みんなを見返してやりたくて。
それなのに、私は今、馬鹿みたいな事を考えてる。知らない人が見たら、私たち恋人同士に見えるのかな。なんて。
馬鹿みたい。
ほんと、馬鹿みたい。
「ほんとうだっ。どの角度から見てもモナリザがこっちを見てますよっ!」
高橋さんが歓声を上げた。
朝の一年三組、四人が集まったのはやっぱり空き机だ。
「モナリザの目の部分だけ凹ませて、奥に黒目が描いてあるの」
林原さんが言った。
「スプーンを眼に見立てて中央に目玉を描いて動かしてごらん。えっと思うから」
陽向が補足した。
「だけど、よく複製画を使いましたね。安いものじゃないでしょう……」
裕美が言った。
「それは――モナリザの目を動かしたいと兄に相談したら、目の細工まで済ませてあるそれを持ってきてくれたの。ごめんね、昨日は偉そうなこと言ったけど、私もホロウマスク錯視を使えないかって考えてたんだ。『実験は自分で試してはじめて意味がある』って、私が兄に言われた言葉なのよ」
「へえ、林原さんのお兄さんも面白い人なんだな」
「工学部の学生でね。おかしなことばかりしてる。この複製画をどう入手したかはあまり聞きたくないかな……」
相当変なお兄さんらしい。
「太陽ちゃんみたいなお兄さんなのですね」
裕美が言った。
南野太陽。陽向の実の兄だ。
「やめてくれ。あんなのがふたりもいたら公転軌道が乱れる。それにしてもこのモナリザ、もったいないな。美術の先生に相談してトリックアートとして飾らせてもらえないかな」
今朝も陽気に藤森先生が教室に入ってきた。
モナリザの複製画を空き机の横に置いてそれぞれの机に戻る時、高橋さんが言った。
「この机いいですねっ。部室が貰えるまで、ここをミステリ研の部室にしちゃいましょうっ!」
陽向と裕美、林原さんは思わず顔を見合わせ、そしてふふっと笑った。
「林原さんまでも入れられちゃった。高橋さんって慣れていないだけで、本当は人たらしなんじゃ?」
陽向は思った。
高橋さんが言った「ディスタンス感」を思い出して、陽向はぶっと噴き出しかけた。
「じゃあ」
陽向は手を上げた。
「少しはおれもミステリ研に貢献しようか」
「先生、この机の人はいつ登校するんですか?」
新潟県立五十嵐浜高等学校。
今年の春はどうやらいつもより騒がしい。
■登場人物
佐々木裕美 (ささき ゆみ)
県立五十嵐浜高校一年三組。小動物。
南野陽向 (みなみの ひなた)
県立五十嵐浜高校一年三組。態度はふてぶてしいがかわいいものが好き。裕美の保護者。
藤森真実先生 (ふじもり まさみ)
県立五十嵐浜高校教師。二八歳独身。
森岡祥子 (もりおか しょうこ)
裕美や陽向のクラスメートなのだが、一度も登校してこない。そして裕美と陽向にとっては知っている名前でもあるらしい。謎の存在。
林原詩織 (はやしばら しおり)
裕美や陽向と同じ中学出身。中学時代には成績トップだった。
高橋菜々緖 (たかはし ななお)
裕美や陽向と同じ中学出身。本を読むのが好きでおとなしかったのだが…。
笈川真咲 (おいかわ まさき)
裕美や陽向と同じ中学出身。華やかで美人で、ヒエラルキーのトップに君臨した女王。




