五十嵐浜高7不思議 4
「おはようございますっ!」
陽向と裕美が乗る電車に、ひとつあとの駅から乗り込んできて元気よく挨拶したのは高橋菜々緖さんだ。
タフだ……。
タフだな……。
昨日の放課後、二人の前で高橋さんは「自分はボッチでコミュ障だけど友達欲しい思い出作りたい無理かな」と泣いたのだ。それって結構ヘビーな経験だと思うのだけど。でも、挨拶をしたあとの高橋さんはうつむいて固く両眼を閉じている。顔は赤く、両方の手だってぎゅうっと握り締められている。
「……」
当たり前なんだ。
あれでへこたれてないわけないんだ。
陽向は声をかけようとした。それより先に、裕美が「おはようございます」と挨拶を返した。
「それで、ミステリ研はどうします、高橋さん」
弾かれたように高橋さんが顔をあげた。
また泣いちゃうんじゃないかと陽向は思った。だけど高橋さんはぱかっと口を開けて嬉しそうに笑ったのだ。純真無垢に。本当に嬉しそうに。
うわっと陽向は思った。
やばい。
裕美のほうがかわいい。百倍もかわいい。
だけどこのオカメインコ少女もほんの少し。ほんのちょっと。うん……めっちゃかわいい……かも……。
「私、ディスタンス感がまだ掴めてないと思いますが、なにとぞよろしくお願いしますっ!」
敬礼のまねごとをして高橋さんが言った。
なんでそこで都知事かルー大柴になっちゃうかな。
ぶっとむせかけてなんとか耐えたのは、同じ車両の乗降口のところで手すりに寄りかかっていた林原詩織さんだ。
手にはブルーバックス。
良かった。
あの三人、あれから気まずくはなっていないみたい。
「ミステリ研って、ただ読んだミステリの感想を言い合うんです?」
ミステリ研の話題を続けたのは裕美だ。
へえ、さっきのは社交辞令とかじゃないんだ。陽向は思った。
「私はっ、ずっとぼっちで読んできましたからっ、それだけでも幸せですけどもっ」
このオカメインコ少女が喋っている近くにいると、なんだか酸素が足りない気分になってくる。
「同好会として認められるのには五人の賛同者、つまり部員が必要です」
裕美が言った。
「そして顧問の先生。あとは部室」
ふうん、そんなことまで調べてきたのか、裕美。
「じゃあ、あと二人ですねっ!」
おい、ちょっと待て。
「部員を集めるためにも、なにか行動した方がいいと思うんです。それで、ちょっとしたことでも形になれば顧問の先生もついてくれるかもしれません」
「行動ですかっ」
「行動です。ミステリ研ならではって事をなにかしたいですね」
「名探偵百選とかっ、おすすめミステリー百選とかっ!」
「あ、それいいですね。文芸部と交渉してみましょう。それ以外に私たちならではってことをなにか……」
へえ……。
裕美はミステリ研に乗り気なのか。
子供の頃は、いつだって裕美のほうがおれより前を走っていたんだ。
おれは体が大きいだけで、ぼーっとしているとかおっとりしているとかいつも言われて。裕美は好奇心旺盛で、なにかを見つけるのが得意で。いつだっておれの手を引いて冒険に連れて行ってくれたんだ。
裕美がまた始めたみたい。
また走り始めたみたい。
あれ、でもいま、何かを思い出しかけた気がする。
少しガリっとくる思い出。
なんだろう、今のは……。
読んでいたブルーバックスを閉じてカバンに入れ、林原さんはドアに寄りかかって外の風景を眺めた。もうすぐ学校前駅だ。
くすくす。
ひそやかな笑い声が聞こえてきた。
林原さんの顔がさっと染まった。
くすくす……。
くすくす……。
「……」
気にしない。
私は気にしていない。
ひそひそと、別のささやき合う声も聞こえてきた。
違う。あれは私の噂なんかじゃない。あなたが思うほど、だれもあなたのことなんか気にしていない。林原さんは唇をきゅっと結んだ。
昨日と同じように光速で購買まで走りコロッケパンと牛乳を買い、昨日と同じように光速で戻ってくると、裕美が昨日と同じように自分の机でお弁当を包むハンカチも解かずに待っていてくれた。
五十嵐浜の制服は助かる。
全力疾走ができる。
ちなみにこの頃、教務室で配達弁当を食べている藤森先生は「今年の一年にはいい陸上選手がいるようですね」と教頭先生に皮肉を言われているのだけれど。
息を整え、「お待たせ」と陽向は空いている前の席の椅子に横に座った。
「あの、ひなたちゃん」
「なに?」
「パーティに入れていいでしょうか。仲間になりたそうにこちらを見ています」
ああ、オカメインコ少女。
お弁当箱を両手で掴み、期待に満ち満ちている。
返事の代わりに陽向はニコッと笑った。裕美もニコッと笑い、オカメインコ少女――高橋さんに向かって「どうぞ」と胸の高さで両方の手の平を上に向けた。高橋さんが嬉しそうにお弁当箱を手に立ち上がった。
「まずは手っ取り早いところからはじめませんか、佐々木氏っ、南野氏っ」
高橋さんのお弁当は、俵握りのかわいいおにぎりと、きんぴらゴボウにだし巻き卵。ほうれん草のおひたし。彩りもきれいだ。本人か家の人が料理好きらしい。
ていうか、なにその「氏」っての。
「例えばほら」
高橋さんは陽向の机がある方に顔を向けた。
そうだ。
陽向の真後ろの席。入学式のころからずっと空き机なのだ。しかも藤森先生はいっさい反応しないし、説明もしない。
「謎の空き机。謎の生徒はなぜ登校してこないのか!」
ビシッと決めたつもりのオカメインコさんが言った。
「そんなの先生に聞けば一発じゃないか?」
陽向が言った。
「もしかしたらセンシティブな話なのかもしれませんし」
裕美も言った。
「そうですかー。でもなにかしたいなあ。ねえ、佐々木氏。南野氏っ」
だからその「氏」ってなに。
それにしてもヒエラルキーがどうのいってたのが昨日なのに、ひょいひょいと乗り越えてきてるじゃないか、このオカメインコ。裕美も迷惑じゃないみたいだし、いいのかもな。3年間、裕美にぼっちで過ごして欲しいわけじゃない。だいたい、おれだって裕美の入る部活動に入るつもりだったのだし。
パンを食べ終え、ミステリの話題で盛り上がる二人を眺め、そして予鈴に自分の席に戻ろうとした陽向の足が途中で止まった。視線は空き机だ。鉛筆が転がっている。
裕美に視線を向けると、裕美はすぐに気付いてくれたようだ。
自分の席で次の授業の準備をしていた高橋さんも、裕美が席を立って陽向のもとに近づいたのに気付いた。陽向は、来い、来いと自分にも目配せしているようだ。なんだか友達同士の秘密の合図みたいだ!高橋さんも頬を染めて席を立った。
ミステリ研の諸君
学校7不思議を調べてみたらどうだい?
空き机の天板に転がるえんぴつ。
それで書かれたらしい書き込み。
「『ミステリ研の諸君、学校7不思議を調べてみたらどうだい?』っ!」
机にかぶりつくようにして、高橋さんが言った。
「佐々木氏! 南野氏! これは挑戦ですっ、読者への挑戦状ですよっ!」
読者ってだれ。
陽向は教室を見渡した。高橋さんの声にこちらを見ている生徒は何人かいる。でも意図を持って見ている生徒はいないようだ。
「ミステリ研を名指しですね」
裕美が言った。
「陽向ちゃん、この書き込み、いつからあるのです」
「わからないよ。おれの真後ろだし。お昼はすぐに購買にダッシュしたし」
机に誰かがいたずら書きしてるのを見ても気にする人はいないだろう。それがその人の机なら。でもこれは空き机だ。誰かがこの机に書き込んだなら、それはたぶん目立ったはずだ。
午前の授業は、世界史、数学、化学、体育……。
誰だ?
「南野氏! 南野氏!」
掃除の時間を終え陽向が教室に戻ると、ぴょんぴょんと興奮しているオカメインコさんが待っていた。
「こっちです、こっち!」
連れて行かれたのは空き机だ。別の掃除場所に行っていた裕美もいる。
「ほらっ、南野氏っ!」
空き机の天板。
そこにはもう、お昼に見つけた「学校7不思議を調べてみたらどうだい?」の文字はない。
五十嵐浜高校7不思議
夜になると13段に増える北階段
夜になると血が噴き出す一年棟水飲み場の蛇口
夜の体育館で聞こえる剣道部員の声
夜に校舎を歩く自殺した生徒
視線が動くベートーヴェンの肖像画
死ぬ間際の自分が映る鏡
深夜に始まる授業
新しい文字が書きこまれていたのだった。
■登場人物
佐々木裕美 (ささき ゆみ)
県立五十嵐浜高校一年三組。小動物。
南野陽向 (みなみの ひなた)
県立五十嵐浜高校一年三組。態度はふてぶてしいがかわいいものが好き。裕美の保護者。
藤森真実先生 (ふじもり まさみ)
県立五十嵐浜高校教師。二八歳独身。
森岡祥子 (もりおか しょうこ)
裕美や陽向のクラスメートなのだが、一度も登校してこない。そして裕美と陽向にとっては知っている名前でもあるらしい。謎の存在。
林原詩織 (はやしばら しおり)
裕美や陽向と同じ中学出身。中学時代には成績トップだった。
高橋菜々緖 (たかはし ななお)
裕美や陽向と同じ中学出身。本を読むのが好きでおとなしかったのだが…。
笈川真咲 (おいかわ まさき)
裕美や陽向と同じ中学出身。華やかで美人で、ヒエラルキーのトップに君臨した女王。




