夏が始まる
「はーい、じゃあ、テスト返すぞー。何か間違いあったら今日中に持って来いよー。」
授業開始と同時に数学のテストが返される。案の定、点数は可もなく不可もなく、といった感じだ。
「それじゃ、特に何もないなら本日の授業は終了!夏休みだからってハメ外し過ぎんなよぉ。・・・あぁ、水森、これ夏休みの宿題な。皆に配っといてくれ。」
「えぇ、先生、自分で配りなさいよ。」
文句を言いながら席を立つ。水森は学級委員長だからか、よく先生から頼み事をされている。
「先生は忙しいんだ。あと二クラス分採点しないといけないんだよ。頼んだぞ!」
数学のテストが終わったのは土日を挟んで五日前だ。つまり、さぼっていたんだろう。
「そんなんだからモテないんですよ。」
「ちょ、水森、それ気にしてんだから・・・。」
文句は言いながらも、しっかり宿題を受け取りクラスメイトに配り始める。口は悪いが、何だかんだ言って水森は優しい。
「椎名ぁ!点数、どうだぁ?」
高梨がやってきた。やけにテンションが高い。きっと点数が良かったんだろう。
「俺か?・・・まあまあ、だな。お前は?」
「お前はいつもまあまあだな。聞いて驚け!なんと、九十点!」
目の前に出された解答用紙には、確かに九十の文字が書かれていた。だが。
「・・・お前、これいつものケアレスミスだけじゃん。このミスがなけりゃ百点だぞ。」
指摘された高梨は、いやぁ、と頭を掻きながらはぐらかす。指摘はしたが、俺はケアレスミスをした理由を知っている。
「おい、椎名、高梨。夏休みの宿題だ。ちゃんと休み中に終わらせろよ。」
水森が宿題を配りに来た。
「ん?高梨、九十点か。よく頑張ったじゃないか。でも、またケアレスミスか。いつも言ってるだろ、ちゃんと見直せって。」
「いやぁ・・・。ハハハ・・・。」
高梨の耳はやや紅く染まっている。俺はそれを眺めながら、にやにやしていた。
「私が教えてるんだから、もっといい点数が取れるはずだ。次回は百点取れるように頑張れよ。」
「お、おう!」
水森はそう言うと宿題配りを再開した。
「・・・百点取っちゃ、勉強教えてもらえなくなるかもしれないからな。」
テスト前になると、放課後まで学校に残って水森に勉強を教わっているのを、俺は知っている。
「う、うるせぇ!そ、それより、夏休みどうする!」
話を逸らそうと夏休みの話を持ち出してきた。あまりからかっても可哀相だからこの辺で勘弁しよう。
「あぁ、そのことなんだが・・・。」
・・・
「渚・・・いやぁ、知らねぇなぁ・・・。」
「お前でも知らねぇのか・・・。」
昨日の出来事を話してみた。高梨は他クラスにも顔が広いため、もしかしたら知っているかもしれないと考えたが、どうやら宛が外れたらしい。
「ホントにいたのか?そんな奴。それに、あの廃墟は“出る”って噂だぞ?」
「そんな訳無ぇよ。あれはホントに居たって。」
高梨が怖がらせようとしてくるが、そんなことを信じるような歳でもない。
「ハハハ、まあ、名前だけじゃ何も分からんな。苗字が分かれば、何かわかるかも知れんがな。」
「苗字・・・そういえば聞いてなかったな。」
大抵の場合、名前を名乗る時は苗字から言う。名乗らなかった、ということは何か言いたくない理由があるのかもしれない。
「しかし、そういう事情なら、仕方ないな。俺より、その女と楽しい夏休みを過ごしな!」
高梨がニヤニヤしながら言うが、そっちがその気ならこっちにも手がある。
「そうだな。なら、お前は俺なんかより水森と楽しい夏休みを過ごしな!」
「うっ・・・。」
高梨は黙り、耳が紅くなる。こいつはこういうのに弱い。
「何だ?呼んだか?」
水森が反応した。どうやら聞こえたらしい。
「い、いや、呼んでない!何でもないから!」
慌てふためく高梨は顔まで紅くなっていた。
・・・
放課後、自転車を廃墟の前に止める。昨日より時間が遅いが、まだ居るだろうか。
「やっと来たね。待ちくたびれちゃったよ。」
中に入ると渚が椅子に座っていた。その顔には、ほのかに笑みを浮かべていた。
「今日は普通の授業の日だったからな。これでも、テスト返しだから早く終わった方だぞ。」
渚は、クスクスと笑いながら、「知ってるよ。」と返事をした。
「昨日がテストだった事も知ってるし、今日が普通の授業の日だった事も知ってるよ。来週から夏休みだって事もね。」
「・・・お前、やっぱり同じ高校なのか?」
「さて、どうでしょう。」
そう言ってにたりと笑う。やはり、掴み所のない人だ。
荷物を下ろし、渚の向かいの椅子に腰を掛ける。すると、机の上にグラスと、麦茶の入ったピッチャーが出される。
「外、暑かったでしょ?」
「助かる、丁度、喉が渇いてたんだ。」
麦茶をグラスに注いで一気に飲み干す。その様を見て、また渚は微笑む。
「なぁ、どこかに連れてって、とか言ってたが、何処か行きたい場所とかあるのか?」
その質問に少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「私、山に行きたいな。」
「山?」
「うん、山。此処からも見えるでしょ、愛宕山。」
愛宕山は、海に突き出た半島のような山で、標高が低く緩やかで、遮る物が少ないため眺めが良い。手軽に登れるので、小学生の頃は遠足で毎年登っていた。
「あれくらい、大したこと無いだろ。車道も整備されてるし、行こうと思えばいつでも行けるぞ?」
「車で行っちゃったら面白く無いじゃない。何時でも行けると思うと中々手が出せないものよ?」
「・・・じゃあ、次の土曜日、行くか。」
「ありがと。楽しみにしてるね。」
また笑顔を向ける。その顔は輝いて見えた。
「あ、私、体力無いから自転車の後ろに乗せてってね。」
その輝いた笑顔のまま無茶ぶりをしてくる。
「自転車で山を登れって言うのか!?」
「大丈夫。私、軽いから。」
「いや・・・そういう問題じゃ・・・。」
「よろしくね。」
駄目だ、その笑顔には勝てない。なし崩しに自転車で登ることが決定してしまった。