7.Premonition-予感-
ふと、杉本 醒は、隣に寝転がっている男を見た。
今は閉じられているその男の瞳は、ひとたび見つめられれば引き込まれてしまいそうな瑠璃色をしていた。
その驚くほどの深い色合いも、今は閉ざされた闇の中にあり、垣間見ることはできない。
普段は大人びたその顔は、目が閉ざされているせいかいつもよりも幼く見える。
そんな彼がこの地にやってきたのは、2カ月ほど前の話だった。
春のやわらかな陽光は、全てのものに優しく降り注ぎ、時折駆け抜ける風は、全てのものに厳しさを思い出させる。
鳥たちがもたらすさやけき響きは風に乗り、咲き誇る春の花から徒に解き放たれた花片と共に、光の中へと降り注ぐ。
幻想的に紡ぎだされるその春の風情も、今日に限って関心を示す者がいなかった。
「ねぇ、聞いた?転校生っていうかぁ、留学生がここに来るらしいよぉ?」
「ウソ!?男?女?」
「男だよ。じゃなきゃ報告しないってぇ」
「顔は!?」
今朝から醒の教室内のあちこちで、新しく来る生徒に関する話題がさざ波のごとく寄せては返されていた。
これらの会話による雑音に、大人しく席に付いていた醒は先程から悩まされていた。
ここのところ徹夜続きで疲れ切っていた醒には、これらの雑音でさえ頭に響く。
普段から温厚で通ってはいたが、思わず「ちっ」と小さく毒づく程度には、限界が近かった。
幸いこの喧噪の中で、その音を拾った者がいなかった事に、醒は少しばかりホッと胸を撫で下ろす。
そして、気持を落ち着かせる為に一度深く呼吸をした。
どうせ、授業が始まるまでまだ時間があるのだ、もう一度寝てもかまわないだろうと思い、ひと眠りする為目をつむる。
だが、醒のそんな願いも虚しく、担任の柏木が入ってきた。
「お〜い、席つけよぉ〜」
柏木の間延びした声が、教室に木霊する。
「あ〜、突然だがこのクラスに、留学生が来る事になった。」
その一言に、教室内ののボルテージが一挙に上がる。
「 エービガー・ストロルヒ君だ。」
そうして入ってきた舌を噛み切りそうな留学生の名前に、教室中の生徒が注目した。
その留学生の端正な顔に、男も女も関係なく見惚れ、教室内に束の間の静寂をもたらした。
醒も名前を聞いた途端、机に突っ伏していた頭をそっと上げ、その留学生の顔をちらっと見る。
もっとも醒が送った視線は、周りとはかけ離れたものであったが、まるでそれが合図になったかのように、どよめきと共に黄色い声が一斉に爆ぜた。
「んじゃ、自己紹介でもしてもらおうかな」
教室内が少し静まったのを見計らって柏木が間延びした声で言い、黒板に留学生の名前を書き始める。
「はじめまして、エィヴィガー・シュトロルヒです。日本にははじめてきました。まだ慣れない事も多いですがよろしくお願いします」
流暢な日本語で簡潔に挨拶をするエィヴィガーに、クラス中が沸き立つ。
一応の挨拶を済ませた留学生は、どこか満足そうに教室内を見わたしていた。
それにしても、永遠の放浪者とか、いくらなんでもないだろう、と醒は思った。
明らかに偽名だ。
本名だったら、ちょっと泣けてくる。
もしかして、この学校の修学条件って結構適当だったりするのか?などと、いらぬことまで考えてしまいそうな程、あからさまな偽名だった。
なのに修学許可が下りるってこれってどうよ。
いやいやそれ以前に、入国どうやった?
という思考が、寝不足で低下気味の頭の中に嵐のごとく渦巻いていた。
醒は改めて、先程から生徒の軽い質問に答えているエィヴィガーを見た。
どうやらこの留学生には、何かありそうだ。
目立たず、騒がず、平穏な生活を信条としている醒にとって、この留学生は回避対象になった。
とにかく、徹底的に留学生には喋らない、近寄らない、関わらない。
醒は、堅くそう心に誓った。