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予知夢から始まる英雄譚  作者: 鴉山 九郎
【2章 悶える悪魔は色欲に沈んだ】
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4.屍山血河にて黒い羊となった

 だるい体を動かしてなんとか、井戸から水を引き上げる。一杯目の水は頭からかぶった。

 興奮から醒めた後は、まるで別人のように冷静になる。急に、俯瞰で物事が見えてくる。

 肉欲の宴が行われる横では、蝿が死体にたかり始めていて。この悪夢のような光景が、かつて自分が蔑んだものと何が違うのか。自嘲したくなる。



 *****



 あの日以来、顔の合わせづらかったハンナを、たまたま見かけた。

 山の気候を肌寒いと感じる、秋の到来した頃だった。祭りの一団は随分と前に去り、里は変わらない日常に戻っていた。

 ハンナは女友達と楽しげにおしゃべりをしながら、洗濯に精を出していた。皆一様に、水を張った大きなたらいの中に入り、両足を動かしている。ちゃぷちゃぷと小気味良い水音を立てる、彼女達の足踏みは、踊りのステップのようでもあった。

 水に濡れないよう、スカートの裾をたくしあげているものだから、普段見えない膝があらわになっている。絶えず足を動かしているから、その上の、太ももまでちらちら見える。白い毛が、やけに眩しかった。

 目のやり場に困る。

 いや、見るものなんて他にいくらでもあるじゃない。なにも、あんなつまんないものを見なくたって。たとえば、傍らのかご。洗濯を待つ衣服やシーツが山盛りで、まだこんなにも仕事があるんだなあ、とか。大変そうだなあ、とか。

 ……ああ、くそ! どうしても、あの真っ白い脚に目がいっちまう。

 無理やり視線を上げると、見飽きたハンナの顔だ。脚以上につまらないものだ。だが、彼女の癖の強い巻き毛に挿された、黄色い花を目にして、思わず目をこすった。

 オレが渡したものだった。勢いで、事故で、渡してしまったものが、なぜだか髪飾りになっていた。

 同じものだと確信を持てたのは、花弁が茶色がかっていたからだ。つまり、枯れかけている。あれから、どれだけ日が経ったと思っているんだ。形を保っているとか、どれだけ大事に扱ったんだ。

 あんなもの。

 あんな、値打ちのない、野花一輪を。あんなふうに扱われては、贈った男が甲斐性なしに思われる。

 それは非常に不本意だ。事実そうでも。

 せめて、新しい花を摘んでこないと気が済まない。今なら、髪飾りと言わず、花冠を作れるぐらいの野花が咲いているはずだ。そいつを押し付けて、ハンナの困った顔を拝んでやる。




 高揚した気分は数時間もしないうちに、駆け下りてきた山の斜面と同じくらい、急な右肩下がりとなった。

 山の中腹辺りで、妙なうめき声を聞いたのが始まりだ。その時点で、嫌な予感がした。気になって音がする山小屋に立ち寄ると、悲鳴の歓迎を受けた。

 中では、数人の老人が身を寄せて縮こまっていた。山麓の里で暮らす老人達だった。こんな時期に山を登ってくるはずがない人達だ。

 彼らは入ってきたのがオレだと気付くと、緊張を解いた。安堵のあまり、涙を流す者までいる始末だった。

 山小屋の中は、不安を掻き立てる匂いに満ちていた。


「ふぃ、フィランダー、今、山を下りちゃいけないよぉ」


 老婆が顔を歪めて、オレを引き止める。

 老婆はぐったりとした様子の爺さんを支えていた。たしか、老婆の旦那さんだ。うわ言を呟く爺さんにふと目を移し、ぎょっとする。

 左腕の肘から先がなかった。


「どういうことだよ。何があったんだ」


 慣れない手で包帯を巻いたのだろう。緩んだ包帯からは血がにじんでいる。外で聞いたうめき声は、きっとこの爺さんのものだ。

 そして、この匂いは、血の匂いだ。死の匂いだ。


「里は戦場になっちまった。家は獣人どもに滅茶苦茶にされて、葡萄畑はケンタウロスどもに踏み荒らされた。あれじゃ、今年は葡萄酒を作れねぇなあ……」

「な、酒のことなんか心配してる場合かよ! 他の連中はどうした。まさか、生き残りがこれだけなんて言わないよな!?」

「酒でも飲まねえとやってられねぇよ。なあ、フィランダー。死んでいった奴らの手向けにさあ」


 あんなに気が強かった頑固ジジイが、投げやりにひひっと笑う。絶句するオレを見かねて、さっきとは別の婆さんがジジイをたしなめた。


「生き残りは私たち以外にもいるかもしれないわ。こことは別の山小屋に……」

「だとしても、半分以上の奴は、もう二度と面を見れねぇよ」

「……ケンタウロス達がね、ここはもうすぐ戦場になるからお逃げなさい、と言ったのよ。でも、そんなこといきなり言われてもねぇ……逃げる場所なんて、ないじゃない。上の里に使いをやろうと思ったのだけど、やっぱり、年寄りにはこの山は厳しくてねえ……」

「すぐにオレが知らせに——」


 こんな時に限って、いつも後ろをくっついてくるジャイルズがいない。そのことに歯噛みしながら、言葉を飲み込む。


「いや……、すまないが、もうちょっとだけ辛抱してくれ。超特急で麓の様子を見てくるからさ。助けられそうな人がいたら連れてくる」

「あんた——」

「大丈夫。すぐ戻る」


 制止を聞かず、強引に小屋を飛び出す。転がり落ちそうになりながら、山を下っていく。段々と、山小屋にこもっていた以上の死の匂いが、辺りに充満し始める。吐きそうになりながらも、足は止めない。

 つい二週間前に訪れたばかりの草原は、あの時とは比べ物にならない、凄惨たる光景となっていた。

 肉のかたまりが転がっている。そう思った。それが人であることを——人であったことを、脳が認識しなかった。

 四肢のちぎれたケンタウロスの死体が。頭を潰された獣人の死体が。臓物を撒き散らした死体が。首のない死体が。焼死体。斬死体。死体。死体。いたるところ、死体だらけ。

 踏み入れた草原の芝は、あの時の清潔さを失っている。べっとりついた血が、まとわりついて気持ち悪い。

 思わず後ずさって、前に足を冷やした沢を探す。しかしそこも、赤く濁って、地獄の川のような有り様になっていた。折り重なった死体が源流と化していた。

 それでも構わず、沢の中に入る。岸に咲く、ひしゃげた花が目に入ったから。

 岸一面を覆う野花は、もれなく踏み荒らされ、散らされ、押し潰されていた。黄色は赤く染まり、もとの可愛らしい色の面影もない。

 浅い沢なのに、底が見えない。

 一歩踏み出せば、かつん、と固い音が鳴った。折れた刃でも沈んでいたのだろう。二歩踏み出せば、うつ伏せに事切れた獣人の上。まるで泥を踏んだかのように柔らかい。そのままぐずぐずと沈んでいきそうで、急いで三歩目を踏み出す。慎重に、健気に咲く花の前に。

 こんな目にあっても、野花は懸命に陽を浴びようとしていた。


「くは、はは」


 乾いた笑い声が出る。きっと、オレは今、ひどく冷めた目をしている。

 サテュロス特有の横長の瞳孔に、この歪んだ景色を映している。


「ははは、ははははは! まったく、どうして! こうも愚かなのだろう!」


 サテュロスは愚者だと誰かが言った。なるほど。たしかにそうかもしれない。

 昼間から酒を飲み、夜は踊り明かし、いつでも女の尻を追いかける。自由に、奔放に、勝手に生きる様は、ある者から見れば野蛮かもしれない。

 だが、これはどうだ。

 他所様の土地を勝手に荒らして、謝罪一つしやしない。奴らの方は。


「奪い合う資格なんて、そもそもないんだよ。ここがいつ、あんたらの土地になった。戦争すんなら勝手に、自分のところでやってろよ」


 たしかにこうやって眺めてみると、どこまでも平坦で、合戦のしやすそうな場所だ。ケンタウロス共は、ご先祖様に、ここを戦場に使うといい、とでも吹き込まれたか。そういえば、夏に武器の調達をしていた。戦いが起こることは予測済みだったわけだ。

 サテュロスは友人だと嘯いておきながら、巻き込むことも想定済みだったわけだ。

 逃げろ、と事前に通告したとしても、そんなの偽善だ。年寄りに、この山は登れない。だからといって平地に逃げたら、それこそ獣人に襲われる。八方塞がりだ。


「馬鹿な連中だ、馬鹿だ、大馬鹿野郎だ! クソっ、くそ!」


 サテュロスは愚者だ。この世の自由を謳歌するために生まれてくる人種だ。

 悦楽こそ、生きる意味。だから、血を流すような真似はしない。世の中には、もっと愉快なことがあるはずだから。

 姿かたちが違っても、一緒に酒を飲めば友人だ。仲違いするより、共に踊り、語り明かす方が楽しいから。いがみ合う時間がもったいない。

 だが、世の中の大半はそうじゃないらしい。

 姿かたちが違えば、仲間とは認められない。何より、血の繋がりが大事だから。


「血、血ねぇ……? そんなに大事なもんなら、ちゃんとしまっておけよ」


 川を汚してなんかいないで。

 折り重なった死体を蹴り飛ばすと、斬り口から、どろりと血が出てくる。こうなってしまえば、ケンタウロスも獣人も一緒だ。血は混ざり合って、川の赤がどちらのものかなんて分からない。そもそも区別する意味もない。


「そうか、分かった。分かったぜ。境目をなくしちまえばいいのか」


 川の流れがぐるりと渦を巻く。

 掴み取る勝利には興味がない。ただ、どんな形であれ、戦乱の終焉を迎えさせたい。


「いいぜ、あんたらが血を流し続けるっていうなら、オレは血の繋がりを作ってやるさ」


 獣人も、ケンタウロスも、サテュロスも、過去のものにしてやる。

 今まで頑なに守り通してきた血筋を、無意味なものに変えてやる。皆が皆、人種の自認を失くした雑種になっちまえ。そうして、戦う意味そのものを失くしてしまえ。


「差も違いも、埋めてやる。混ざりに混ざった雑多な血によってなあ!」


 愚者の血が混じれば、連中の闘争心も少しは抑えられるかもしれない。

 サテュロスは刹那的な生き方で馬鹿をやることはあるが、だからこそ、大局で大馬鹿をやったりはしない。

 サテュロスの血を引いた次世代の子供達は、先人が起こした争いの無意味さを、そのうちに悟るだろう。そうすれば、戦乱は終結に向かうはずだ。


「早く、この素晴らしいアイデアを、皆に伝えないとな」


 成し遂げるためには、皆の協力がいる。




 山麓の里の惨状を伝えると、大人達は難しい顔をして集会所にこもった。

 結局、あの場に生き残りはいなかった。合戦が起こってから二日は経っていたというから、気付くのが遅すぎたというのもあるだろう。

 山小屋の老人達には救援を出したものの、やはり山を登らせるような無茶はさせなかった。別に、身を落ち着けられそうな場所を探すとのことだ。

 それはオレ達の、越冬場所が変わるという意味でもある。そろそろ、山の寒さも厳しくなってくる。羊も凍えてしまう。山を下りないという選択肢はない。

 里全体が、不安を抱えた夜だった。

 焚き火を囲うのは、集会所を閉め出された若者達だ。皆、顎ひげを生やした成人ではあるものの、里の重大な決定には関われない。そんな、中途半端な、大人。

 ——と、その友人が二人ほど。ちょっと場違いな、鳥足人種のセイレーンと、肩から翼を生やすハーピーの青年。


「結局、ひげを生やしたぐらいで大人とは認められねぇんだよなあ」


 サテュロスの一人がぼやく。すると、セイレーンが皮肉げに口を歪めた。


「そりゃそうさ。そんなこといったら、ハーピーなんてずっと子供のままじゃないか」

「そのとおーり! ボクは永遠の少年だヨ。ヒゲなんか生えないからネ」


 ハーピーはくすくすと応じる。


「というかさ、辛気臭いよ、皆。せっかくこんな深夜まで起きてるんだからさ、踊りの一つぐらいどう? 音楽なければ怒られないっしょ」

「んなわけあるか。お前らはいいよな! 結局のところ、部外者だから!」

「まあまあ、そんな怒りなさんな。そして、悲しいぞー? その言われようは。おれ達は友人じゃないか。そう、友人だからこそ、当たり散らされても、ひろーい心で受け止めてあげよう」

「そうそう、ひろーい心でネ」


 恩着せがましい言い方で、セイレーンとハーピーは胸を張る。

 彼らを怒鳴ったのは、黒毛の幼馴染キーレンだった。彼はバツが悪そうに顔をそらす。


「いや、すまん。だが、茶化さないでくれ。……また里がなくなるかもしれないと思うと、どうしようもなく腹立たしくて、自分の無力さにうんざりするんだ」

「……あー、いや、こちらこそ気が利かなかったな。こういう時だからこそ、楽しいことしようぜ、って思った……んだけど。そこまで陽気な能天気じゃないよな」

「さすがに、こんな山奥の里は大丈夫だよ。襲う旨みなさそうだもン」


 小生意気に言ったハーピーを、セイレーンが小突く。

 サテュロス達は力なく笑って、うなだれた。


「せめて、俺達にもやれることがあればなあ」

「何もしてないと、嫌な想像ばっかするよな」

「やっぱり踊る?」

「踊らねえよ、ばか」


「……やれることがあると言ったら、どうする?」


 視線が一斉に、オレに集まる。

 ジャイルズが訝しげに、尋ねてくる。


「里のために、何かできることがあるんすか」

「うーん、そうだな。志は大きく持っておこうじゃないの。大陸に住む全人類のために、なんてどうだ?」

「フィランダー、こんな時にふざけるんじゃねえぞ」

「ふざけてないさ、キーレン。大真面目だよ、大真面目。……暮らす場所を変えたって、そこも滅茶苦茶にされたら、また最初からやり直し。そんなこと、これからずっと繰り返すのか? 大陸の戦乱が続く限り?」


 キーレンは唇を噛み締めた。


「オレ達はなーんも悪いことをやっていないのに? 降りかかる災厄にただ耐えろって? 馬鹿げてるぜ、ああ、実に! だからな、こっちからも行動を起こしてやるんだよ」

「もったいぶるな。何をするつもりか、はっきり言いやがれ」

「この世から“人種”っていう括りをなくしてやるのさ。具体的に言うと、オレ達が山を下りて、他人種の女との間に子供を作る」


 口をぽかんと開けて、皆が目を瞬いた。セイレーンに至っては、信じられないものを見たとばかりに、わざとらしく目玉を回した。


「要は、この世の中を混血だらけにしてやろうってことさ。人種の境界をぐちゃぐちゃにかき混ぜてやろうぜ。すぐに効果が出るものじゃない。でも、確実に結果は出る。十年後、二十年後……あるいは百年後だとしても」

「はは、は、人類皆兄弟を体現しようっての? そんなこと、本気でできると思ってんのか? お前らに体を許す女ばかりいる前提か?」


 セイレーンは思いっきり馬鹿にした口調だった。


「許しを貰う必要はない」

「お、お前……ッ! 最低なことを言っている自覚はあるだろうな?」


 拳を握り、セイレーンが憤る。

 殴られても構わない。そう思いながら、彼に見えるよう頷いてやる。


「あるとも。女はオレのことを憎むだろうな。だが、生まれてきた子供には、愛情を注ぐはずだ」

「なぜそんなことが言える。根拠のない自信で不幸を撒き散らすのはやめろ!」

「母親とはそういうものだろ? 忌まわしい相手の子であると同時に、自分の子でもある。愛さないはずがない。女性は……偉大だよな、本当に」


 脳裏にあったのは、毛むくじゃらの“サテュロス”の姿だ。

 オレの言葉で、セイレーンも彼のことを思い出したらしい。


「お前、まさか……。馬鹿だろ、あんなの、あんなのはっ、一部の例外だ!」

「あいつの父親は獣人だ。ま、そんなこと、姿を見れば一目瞭然だろうが」


 キーレンが吐き捨てるように言う。

 十五年前、西の里から流れてきたサテュロスの一団の中に、身重の若い女がいた。里に居着いてしばらくして、女は毛むくじゃらの子供を産んだ。事情を悟った産婆が赤子を絞めようとしたが、女は私の子だと言い張り、赤子をかき抱いたという。

 里を襲った獣人の兵士が、女に乱暴していたとしても、なんら不思議ではなかった。よくあることだ。盗賊がすることは一通り、やっているだろう。

 彼女の子供は、毛むくじゃらの“サテュロス”として育った。

 蹄の代わりに、肉球と爪がある。一風変わったサテュロスとして。

 本人も、周りも、気付いている。気付かないわけがない。でも、母親を含めて、誰も彼を特別扱いしなかった。良い方にも、悪い方にも。

 最近では本人が、“自分のことは牧羊犬だと思ってくれ”などと言っているが。実際、羊の群れを追い立てるのが上手いから、里では重宝されている。

 端から見たら、奇妙な光景だろう。彼の外見は完全に獣人だ。それが、サテュロスの里に溶け込んで生活しているのだから。

 どちらでもあり、どちらでもない。

 彼を前にすると、当たり前だと信じていた区分が揺らいだ。


「だいたいな、男連中だって黙ってるわけないだろ。女の旦那や父親が、お前のことを殺しにくるぜ」

「ああ、そのことは考えてなかったな」

「はっ、何を迷う必要がある。そんなもんは、先にこっちから始末してやればいいんだよ」


 オレが逡巡する間に、キーレンが獰猛に言い放った。

 目を合わせて真意を問うと、彼は膝を叩いて宣言する。


「俺はフィランダーの話に乗るぜ。ここで何もせずに腐るより、ずっといい。おめーらも、決断するならさっさとしろよ」

「お、俺は兄貴についていきますぜ」


 ジャイルズがおずおずと言う。いまいち展開が読めていないようだ。

 他の者も互いの顔を見合って、戸惑っている。だが、数人はばらばらと頷いた。

 セイレーンが目を剥いて、唸る。


「お前ら、正気かよ。よく考えろ。女をタダで抱けてラッキー、とかそういう話じゃねえんだぞ! お前らは今、他人の人生を滅茶苦茶にする算段を立てているんだ!」

「こっちはもう充分、滅茶苦茶にされてんだよ」


 キーレンがぼそりと言う。

 こちらとしては、他人の人生がどうのこうの、という段階はとっくに過ぎている。個なんか見ちゃいない。次世代の平和を見据えているのだ。

 そう考えると、メンバーがサテュロスばかりというのも芸がない。せっかくなので、激昂する彼と、その隣で何を考えているんだか分からないハーピーに、誘いをかけてみる。


「あんたらも一緒に山を下りないか?」

「お、お断りだ! モテない君どものヤケクソ世直しになんか、付き合ってられるか。こちとら、お前らと違って女には困ってねーんだよ!」

「んー、ボクも遠慮しておくネ。ろくな死に方しなさそうだし」


 すげなく振られる。特に残念でもない。ハーピーの意見には同感であるし。


「そうかい。じゃあ、オレに付いてくるやつは、夜明けまでに山を下りる準備を整えておけ」

「よ、夜明けまでに?」

「里の連中に気取られるのは避けたい。なら、大人達が一か所にまとまっている今夜は都合がいい」


 尻込みするやつはいなかった。ここで躊躇するぐらいなら、さっきの段階で頷いていない。こそこそと、数人がさっそくその場を離れた。


「ちょっと、そんなところでたむろされていると邪魔なんだけど」


 オレを含めて、何人かが肩を跳ねさせた。

 ハンナが何を大げさに、と眉をひそめる。彼女は手に、パイの載った大皿を持っていた。香ばしい匂いに呆然とする。

 こちらの困惑に気付いたのか、彼女が言った。


「お母さんに言いつけられてね、集会所に夜食を持っていくところなの。——で、あんた達は? また悪だくみの算段でもしてるの?」


 反射的に答えそうになって、返事を飲み込む。

 彼女にとっては、いつもの軽口だ。オレが、オレ達が、そんな悪どいことをやるわけがないと、信頼しているからこそ口にできる、からかいにすぎない。

 事実、即座に否定しなかったオレに、ハンナは不審そうに眉をひそめた。

 口をきいたら駄目だ。駄目になってしまう、何もかも。

 かろうじて形を保っている花飾りから、無理やり目をそらす。これだけは心残りだ。花冠を作り損ねた。そう思うと、あの草原を滅茶苦茶にしたやつらへの怒りがまた沸いてくる。

 結局、言葉を交わさないまま、彼女とすれ違った。

 ただ、内心で。失敬な、悪だくみなんて人生初だっての、と返しながら。



 *****



 大層な理念を抱いて結成したはずだった。

 目的ではなく手段だと、肝に銘じていた。それでも、醜いケダモノが露出していくのを止められなかった。

 その瞬間は、理性が吹っ飛び、本物の悪魔と化す。

 仲間の大半は、オレの主義主張に共感したわけでもない。半数は言っている意味も理解していないかもしれない。

 特に、山を下りてほどなくして、キーレンは別の目的を持っていることを察した。彼の仄暗い感情には、のんきな田舎者のままでは気付けなかった。

 自分がやられたことをやり返す。彼の薄ら暗い愉悦は、オレにも推し量れない。

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