3.落花狼藉
仲間が見つけてきた人間の村は、とても小さなものだった。
街道から外れ、民家は主張しないように建てられている。いかにも、獣人様の土地を借りさせてもらっています、という遠慮を感じる。敵対する気はありません、と意思表示するには、十を超えない家族が一緒に暮らすのがせいぜいなのかもしれない。
今にも森に埋もれてしまいそうな村を、オレ達は低木の茂みからうかがっていた。
昼食時が終わり、各々がつかの間の休息時間を和やかに過ごしている。場に残るスープの香りに、隣の仲間が唾を飲み込んだ。
このところ、携帯食料ばかりでまともな食事をした覚えがない。獣人の食べ物を拝借しようにも、彼らが口にする物は、なんというか大雑把で、サテュロスの口に合わなかった。肉が生焼けのまま皿に載るのは珍しいことではなく。料理に失敗したわけでもないという。
腹を下してから、獣人の料理には懲りた。
残飯があるようなら、ぜひ恵んでもらいたい。人間が食べる物なら、サテュロスの腹にも優しいだろう。たぶん。きっと。
「そろそろか。準備しとけよ」
すでに山羊の頭蓋骨を被って準備万端な『バフォメット』達が、武器を持つ手に力を込める。
今、村には若い男手が少ない。数日前から、男らは街に買い出しに行っていた。狩りで獲った少ない獲物を売って、日用品に変えてくるらしい。
彼らが戻ってくる前に、村を制圧するのが狙いだった。いくら小さな村と言っても、こちらとて少人数の徒党であることに変わりはない。元気の良い連中とやり合うのは、できるだけ避けたかった。
午後の仕事が始まろうとしていた。女達はそれぞれ、家事に手をつけ始める。陽に当たりながら針仕事をしようというのか、裁縫道具一式を外に持ち出してきた中年の女がいた。
「いくぞ」
短く声をかける。慣れたもので、仲間はそれだけで何をすべきか、分かってくれる。
『バフォメット』は音もなく、茂みから滑りだした。自身も仮面を引き下げて、後を追う。
走る間に、錆びた大鎌を振り上げる。この前、獣人の少年に指摘された通り、この刃はまともに相手を切ることができない。尖った先端を相手に突き立てるのが、正しい使い方だ。
井戸の近くで、老人が船をこいでいた。揺れ動く肌色の頭は、防御が手薄だ。そこに狙いをつけ、大鎌を振り下ろす。
薪を割るより簡単に、頭が割れる。トマトを潰したみたいに、脳みそが垂れ出てくる。
よろめく背を蹴り倒して、その体を飛び越える。見事、井戸のふちに両足をかけた時には、人間らの注目が、オレに集まっている。即席のお立ち台の前には、驚いて転んだ少女がいた。
ちょうどいい。
大鎌で少女を引き寄せるように、喉元に刃を当てる。武器としては使い勝手が悪すぎる形状の大鎌も、こういう時は便利だった。高い場所から下りずに、人質を取ることができる。
「どうか、悲鳴をお上げくださらないよう。うっかり手が滑らないとも限りませんので」
この子の母親だろうか。大きく開いた口から、今まさに悲鳴が飛び出ようとしていた女は、両手で口元を押さえ込んだ。
他の者も似たようなものだ。物理的に、悲鳴を抑えている。
ここには、錆びた鎌で何ができる、と叫ぶ者はいなかった。できの悪い処刑人が担当した断頭台みたいに、むごい切り口を見るだけだと、よく分かっていた。
子供のやわい肉など、爪を立てるだけで簡単に傷付く。ましてや、皮の薄い喉なんて。
少女が暴れださないことに、内心で安堵した。手元が滑るのを人一倍恐れているのは、何を隠そう、オレ自身だ。
震えそうになる手首を、もう一方の手で、強く掴む。
「お、お前ら、盗賊か」
これぐらいなら大丈夫だろう。と、吟味に吟味を重ねた顔で、初老の男が口を開く。声は小刻みに震えていた。
「こんな貧しい村、襲ったところで何も出てこんぞ」
「こちらとて、金品を巻き上げる気はないですとも。ないところから奪うことはできない。自明の理だ。あー、でも、食事の残り物でもいただけたら、大助かりだね」
「の、残り物と言わず、お腹が減っているのなら食事を振るまいます。だから、その子を放してやってください」
少女の母親らしき女が、恐る恐る申し出る。お腹が減っているからこんな凶行に走るのだろう、とでも言いたげだ。
初老の男は、名案だとばかりに大げさに頷いた。
「そうだ。それがいい。今すぐに、食事の準備をさせよう。ですから、ほら、そんな物騒なもの下ろしてくだされ」
足を引きずりながら、男は前に出てこようとした。懇願の口調に、近くで男に刃を向けていた仲間が舌打ちする。これ見よがしに剣を振って、斬り殺していいか、と目線で問うてくる。オレは同じく目線で、彼を押しとどめた。
「食事か。なかなか魅力的な申し出じゃないの。ねえ?」
またまた盛大に舌打ちされる。今度はオレに向けられたものだ。
あの黒毛の幼馴染が、短気を爆発させる前に、さっさと要件に進んだ方が良さそうだった。
「せっかくだが、そいつはついでの用事なんだ。本命は、女。この村の、子供を産める女を全員、差し出してくれるってんなら、この子を含めて誰も傷付けないと約束しよう」
女達の怯えた目が、嫌悪のこもった目へと変わる。
初老の男も、はっきりと顔を歪めた。子供の命と、女達の貞操。天秤にかけること自体、間違っている。男は答えを窮した。
「……こいつら、『バフォメット』だわ」
「バフォメット?」
「行く先々で、女を犯す最低な野郎共よ! 盗賊なんてものじゃない。こいつら——」
「おっと、そこまでだ。それ以上言ったら、分かるよな。どうなるか」
大鎌に囚われたままの少女に目を向け、女にそれを意識させる。女は蒼白な顔で、唇を噛んだ。
「しかし、オレ達も有名になったもんだねえ? こんな辺鄙な村でも、名が知られてるなんてさ」
「行商人の獣人が言っていたのよ。そういう連中がいるから気をつけなさいって」
どうやら、この村は獣人との交流を一切断っていたわけではないらしい。
獣人の皇国は広大で、政治的にはともかく、文化が統一されているとは言い難い。地方を回るとよく分かる。その地を治める領主の方針によって空気は変わり、一歩境界をまたげば、違いを肌身で感じる。
他の人種の流入を歓迎し、それなりに友好的にやっている地域。他の人種の侵入を許さず、見つけるなり追い返す地域。とはいっても、追い返されるだけ温情があるというもの。
都市部で他人種を見かけるとしたら、例外なく、奴隷に落ちた身であるというから。やはり、交流がある方が少数派ということらしい。
たしか、この地を治めるのはピューマ公といったか。獣人の領民からも慕われている様子だったし、いわゆる人格者ってやつなのだろう。領地を荒らす悪党の知らせを聞いたら、自ら退治に乗り出しそうな。正義漢な感じ。
彼は、被害にあったのが人間でも、親身になってくれるのだろうか。きっと、なるんだろうな。だって、皆が口をそろえて言う、良いお殿様なんだし。オレ達の行為にも憤慨してくれることだろう。
「さて、もう頃合いか。女を差し出して自分は助かろう、なんてクズがいなくて安心したよ。じゃ、遠慮なく。男には用がないから消えてもらおうじゃないの」
「まっ——」
開いた口から続く言葉はなんだったのか。興味もない。知ったら幻滅しそうだから。
黒毛の『バフォメット』が、初老の男の首を切り裂いたのが合図だった。他の者も、一斉に村の男達に襲いかかる。若い男は不在で。村に残っているのは、子供と老人、それから体が悪い男ばかり。
獣人と違って、すぐに武器へと変わるような爪も持っていない。警戒はさほど必要なかった。
さすがに目の前で人が殺されて、悲鳴を抑え続けることはできなかったようだ。女が甲高い叫び声を上げた。
「おい、女を逃がすな!」
「分かってるっつーの! 指図すんな」
「男も一人たりとも逃すなよ。下手に救援なんぞ呼ばれたら面倒だ」
逃げ出そうとした女達の前に回り込んで、『バフォメット』が舌なめずりをする。仮面をしていても、口元だけは隠せない。下劣な品性も。
丸腰の女相手に武器を向ける図は、あまり気分のいいものではなかった。
そういう自分は、戦闘に参加することなく、いまだ少女に大鎌を当てているのだが。少女は最初に転んだ時の姿勢のまま、体を震わせていた。
男の死体が増える傍らで、女が拘束されていく。抵抗しようともがく者を『バフォメット』は力ずくで押さえ込む。
血の匂いが濃くなっていく。
ふらりとめまいがして、井戸から足を踏み外しそうになった。仮面の上から額に手を当て、強く押さえる。この山羊の頭蓋骨がいっそ、素顔になってくれたならば。充満する狂気に体が拒否反応を示すこともなくなるだろうに。
すでに内側から侵食されているというのに、オレはまだ正気のふりをしている。
「おい、フィランダー、なにぼさっとしてんだ。俺らが必死こいて働いてるってぇのに、余裕そうだなあ?」
「ん……ああ、悪い。終わったのか?」
「おいおい、大丈夫かあ? ったく、何を見てたんだか。この通りだ、ほら」
呆れて声をかけてきた仲間が、大げさに腕を広げる。
出来上がった死体は男ばかり。女達は縛り上げられ、一か所にまとめられていた。口にはさるぐつわが噛ませてある。
この前の教訓が、さっそく生かされたようで何より。
気の早い者が数人、すでに女の上に乗っていた。野獣のような男共に、服を丁寧に脱がすという選択肢があるわけもなく、女達の着ていた服は下着も含めて乱暴に破り捨てられる。
数分前までの騒ぎは、湿った静けさに変わりつつある。聞こえてくるのは荒い息遣いと、くぐもった悲鳴のみ。意味のある言葉を交わすのは、輪から離れたオレ達だけだった。
「さてと、俺もあっちに加わらせてもらいますかねえ」
そう言って女達のもとへ向かおうとした仲間は、ふと足を止めた。
仮面の奥から覗く目が、倒れたままの少女を捉える。横長の瞳孔が怪しげにきらめく。
仲間は蹄の向きを変えて、少女の前にしゃがみ込んだ。少女は地面に尻をつけたまま、後ずさりしようとする。錆びた刃に皮膚がこすれた。
「ふぅん。結構いい顔してんじゃん。俺、この子と遊ぼうかなあ?」
汚い手が、少女へと伸びる。
頭の中で、なにかがはじけた。
気付いたら、大鎌を振るっていた。少女めがけてではない。仲間に向けてだ。喉元へ、大鎌の先端を突き上げていた。なまくらの刃が喉を突き破って、口から覗く。当たった衝撃で折れたのか、血にまみれた歯がぽろぽろ落ちてくる。
そのまま柄を引き寄せ、外道の仲間と顔を突き合わせる。大鎌に引きずられた体は、だらりと力をなくし、頭だけが刃によって無理に上げられていた。
「こんな幼い子に手を出すやつがあるかよ。下衆が」
怒りにまかせてすごむが、反応はない。すでに絶命していた。
白目をむいた顔に唾を吐きかけ、大鎌を引き抜く。支えを失った途端、どさりと体は倒れた。
「この子が子供を産めない体になったらどうする。どう責任を取るつもりだったんだ?」
「あ、兄貴……」
一部始終を見ていたジャイルズが絶句する。
結果的に体を穢されなかった少女も、目を見開いて硬直していた。
こちらのやり取りが聞こえたのだろう。お楽しみ中だった『バフォメット』達も動きを止めて、オレを見ていた。
「オレ達の目的を、忘れたわけじゃないだろうな。なんのためにこんなことをしているのか、忘れたとは言わせないぞ」
『バフォメット』達が気まずそうに顔をそらす。まるで、オレと目を合わせたら殺されるとでも言いたげではないか。
女達も、妙な空気感に戸惑っていた。じっとりと肌に浮いた汗は、冷や汗の類に見えた。これさいわいと逃亡を試みようにも、状況は先ほどよりも悪い。『バフォメット』と同じく、彼女達も一寸だって体を動かさなかった。
井戸のふちに立ったまま、仲間に言葉を投げかける。
「女性を陵辱する行為こそが目的じゃない。成果はその先にある。我々の子を孕ませる、そのことに意味があるんだ」
こそり、と『バフォメット』達が女の体を確認する。自分が今抱いている女が、成人していることを確かめるように。
彼らにかける言葉は当然、人間の女性らの耳にも入っているわけで。彼女達の顔から色が消えた。
井戸から飛び降りて近付いていけば、女達は身近のサテュロスに体を寄せた。何かに寄りかからなければ、気を確かに持つこともできないのだろう。そこにいる男も、オレと同じ『バフォメット』だというのに。
「未熟な体を傷付けて、子供を産めない体にしてしまったら、本末転倒だろう? 少女はいずれ大人になる。抱きたいなら、その時まで待てばいい。ほんの十年も待てないケダモノは、仲間にいらない」
相手のいなかった一人の女の肩に、手をかける。その肩が、びくりと必要以上に跳ねた。大鎌を置き、縮こまった女の体を優しく押し倒す。もともと緩かったのか、口にくわえさせられていた布がぱさりと落ちた。
「さあ、我々と未来の平和について考えようじゃないか」
どんなことを言おうと、興奮している自身を隠すことなどできやしない。衣服の前をくつろげる間、自分の呼吸が荒くなっていくのを、嫌でも意識した。眼前いっぱいに広がる扇情的な光景が、判断力をにぶらせる。
艶やかな白い肢体に男の欲望を注げ、と。悪魔の導きが聞こえる。
「い、いや……。お……お兄ちゃん、たすけて……」
まだ年若い女の口からもれた言葉は、聞こえないふりをした。