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予知夢から始まる英雄譚  作者: 鴉山 九郎
【2章 悶える悪魔は色欲に沈んだ】
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1.汝その名はバフォメット

『サテュロス。山羊のように割れた蹄の脚と、ねじれた角を持つ人種。住んでいる地域によって差があるのか、尻尾は兎のように短いものと、牛のように先が房になっているもの。二種類を確認することができる。軽やかな身のこなしで、野山を跳び回る。』


 *****



 行為の先に生まれるは交わりの証。望もうとも、望まざろうとも。



 *****



 手足を拘束された獣人が、町の広場に並べられていく。集められた連中の姿に、オレは内心の落胆を隠せなかった。

 この辺りはネコ科の獣人が多いと聞いたから、期待していたのに。可愛い子猫ちゃん達とにゃんにゃんできると、胸を躍らせていたのに。

 なんたること。並ぶ顔は、トラやヒョウ、ジャガーといった強面ばかり。

 身動きできない相手に野獣のような目——というか野獣そのものの目で睨まれて、ちびりそう。オレ達なんかより、こいつらの方がよっぽど賊っぽい見た目をしている。オレ達は山賊のアジトにでも乗り込んでしまったのか、と疑いたくもなる。

 山を下りて、この町を襲ったのはオレ達の方なんだけども。


「おい、クソヤギ野郎め。こんなことして、タダで済むと思ってんのか」


 ヒョウ面に、ドスの利いた低い声を出され、思わず背筋が伸びる。

 いやいや、待って。おかしい。縛られてんのはこいつら。優位に立ってるのはオレ。なにビビっちゃってんだろうね、オレは。もっと賊の頭領らしくしなさいよ。

 こういう時は軽口でも叩いて、自分を勇気付けるに限る。


「ヤギ! この美男子に対して、よくもまあ、そんな呼びかけができるもんだ。鼻筋は通り、彫りは深く、眉は凛々しい! 巻き毛の柔らかな、二重まぶたの甘いマスク! 客観的事実として、どこからどう見ても美男子のオレに! ヤギ野郎とは! 訂正を求めるぞ」

「いや、知らねえよ。骨被ってるから、顔なんか見えねえし」

「あ。そうですね」


 オレも含めて仲間は全員、山羊の頭蓋骨を被っているのだった。そりゃ、美男の見分けもつかないわけだ。

 というか、獣人にサテュロス基準の美人を説いても、仕方ない気がする。オレ自身、獣人の美醜どころか、男と女の区別もついてないし。

 あ、でも、ここに集められているのは皆、男な気がする。ゴツいし。もしこれで女だなんて言われたら、泣いちゃう。

 そんなことを思っていると、仲間の一人が口笛を吹きながら近付いてきた。


「むさい野郎どもに色男自慢とは……むなしいなあ、フィランダーよ」

「ほう、そうおっしゃるのなら、ぜひこの色男の本領を発揮できる相手を連れてきてもらいたいものだね。……女はどうした? それに子供も見当たらないな」

「ちゃんと見つけたっての。集会所の奥に隠れてやがった。今、その場で拘束している最中。その方が都合がいいだろ?」

「ふむ——!?」


 こちらが気を抜いたのを見計らったように、近くの獣人が体を跳ねさせた。拘束の不自由をものともせず、鋭い牙がオレの足を掴もうとした。

 牙がきらめくのを確認した時には、もう勝手に体が反応している。

 飛び上がるようにして身を引くと、獲物を逃した牙を鳴らして、獣人が笑った。


「いい逃げっぷりだなあ、おい」

「ああ、本能かねえ。あんたらに睨まれると、この場から逃げ出したくなる」


 背筋を冷や汗が伝う。

 今度は絶対に、さるぐつわも用意する。そう心に固く誓って、さらに一歩後ろに下がる。サテュロス本来の気質は、きっとこの脚と同じく草食動物に近い。


「なら、逃げればいい。この爪と牙で、八つ裂きにされたくなかったらな」


 逆に、獣人は見た目通り、肉食動物の気質に近いらしい。

 両腕は後ろ手に縛られて、自慢の爪も使い物にならないというのに。どうしてこうも、自信に満ちあふれた強気の姿勢でいられるのか、首を傾げたくなる。


「いやいや、そういうわけにはいかんよ。オレ達にはやることがあるんでね」

「金目の物が欲しいなら、そいつをさっさと持ち出して消え失せやがれ」

「はあ? 金目の物? そんなもんには興味ねえよ。このヤギどもはな、獅子や虎を食べるためにここにいんだよ」


 女子供の居場所を伝えに来た仲間は、さっきの思わぬ反撃の後、ちゃっかりオレの背に隠れていた。頭領の身を盾にして、安全な位置から相手を煽るとは。オレの威厳も形無しだ。

 しかも中途半端に事実を伝えるものだから、獣人どもの怒りに燃えた目が、気狂いでも見る目に変わった。


「オレ達はアラクネのように、言葉通りの意味で言っているわけじゃないぜ。そうだな。正確には、オスの山羊が、メスの獅子や虎を食べる。ってところかね」


 訂正して差し上げると、今度は下衆を見る目を向けられた。とても正しい反応に、苦笑する。

 まさか獣人の女が、他人種に性的な目で見られるとは思ってもいなかったのだろう。確かに、獣頭と向き合うことを考えると、身がすくむ思いがする。だが、我々の理念からして、彼女達を無視して先に進むことはできない。むしろ、率先して抱くべき対象ですらある。


「さて、オレはご婦人達の様子を見てくるよ。この連中を煽った責任は自分で取りたまえ」


 背後にいた仲間の肩を叩き、獣人の方へ押し出してやる。

 つんのめった仲間は、かろうじて足を踏ん張り、振り返ってわめき散らそうとした。


「仕事はちゃんと終わらせてから来いよ」


 返事は聞かず、集会所の方へ足を向ける。背には、獣人の罵倒がぶつけられた。それは別にいい。甘んじて受け入れよう。だが、獣人に混じって仲間がオレを罵る声があったのはいただけない。

 この直前の出来事があったものだから、集会所に入ってすぐ聞こえた、弟分のジャイルズの無邪気な声に、和んでしまった。オレを慕うのはこいつだけだ。これで可愛い女の子だったら、言うことなしだった。


「兄貴! 今作業が終わったところっす!」


 実際は、顎ひげを生やした頭も口調も軽い男なのが、とても残念だ。

 オレを視界に入れると、顔を輝かせ寄ってきて、まとわりつく。犬みたいな素直さは可愛いと言えなくもないが、時に鬱陶しい。今みたいに、褒めてオーラを全身で発している時とか。


「おーおー、すごいすごい。よくできたなー」


 適当に褒めても喜ぶから、扱いは楽でいいが、いたたまれない。

 集会所の中を見渡すと、左が女、右が子供、と分けられていた。猛獣といえど、幼い時分はあるわけで。さすがに子供は愛くるしい。これが将来あんな巨漢になるのだから、世を嘆きたくもなる。

 女も子供も、怯えている者はなく、敵意をむき出しにした目でこちらを睨んでいた。そこは外の男達と変わらない。

 女達の方へ近付き、中の一人、トラの獣人の顎を掴んで顔を上げさせる。


「うーん、女性の方が小顔なのかな。やっぱり、顔だけじゃよく分からないな。首の下まで見れば、一目瞭然だけど」

「汚い手で触るんじゃないよ、ヤギ風情が」


 拘束される際に、服が乱れたのだろう。襟が大きく開いており、覗き込むとふくらんだ乳房がよく見えた。

 顎から手を離した瞬間、口が開かれる。予想できたことなので、すぐに手を引っ込める。強靭な顎が宙を噛んだ。

 歯ぎしりの音を聞きながら、女と距離を取る。連中にとっては、オレの指はソーセージとなんら変わらない。油断しようものなら、容易く食い千切っていくことだろう。

 集会所の扉付近に集まる、仲間のそわそわとした気配を感じる。待ち望んだ号令を、今か今かと待ち構えている。

 ジャイルズなんかは、期待に鼻の穴をふくらませてしまって、ただでさえ、あまり上品ではない顔がさらに品をなくしていた。


「お楽しみの前に、やることがあるだろう? ほら、やってこい。男共を殺せ」


 気だるく言えば、仲間達はそれぞれの獲物を手に、外へ出ていく。鼻息が荒いのは、決して今から行う虐殺に興奮しているわけではなく。その後の、邪魔者を排した後の、肉欲の宴を想像して昂ぶっているのだ。

 近くに残ったジャイルズは、毎度の確認を取ってくる。


「ガキは……」

「何度も言わせるな。たとえ子供だろうと男は殺せ。将来の争いの火種だ」


 子供らの方へ目を向けると、彼らは体を強張らせた。女が集められた方に少女の姿があるのを見るに、残されたのは少年ということだろう。

 こんな分け方をしている時点で、するべきことは承知しているはずなのに。

 なおもジャイルズは躊躇していた。いつもならオレに言われたことは、すぐ行動に移すのに。

 人里の襲撃の時ばかりは、青い顔をしてなかなか動かない。


「おまえがやらないなら、オレがやる」


 ジャイルズだけではない。子供に手をかけるのを嫌がる輩は、仲間内でも多い。証拠に、皆外に出ていきやがったし。ジャイルズはこの場に残っているだけ立派だ。

 背負っていた錆びた大鎌を手に、子供達の方へ近付く。勇敢な少年が一人、声を張り上げた。


「そんなきったねぇ鎌で何ができるってんだ!」

「ああ、確かに切れ味は最悪だ。だが、こんな鎌でも突き立てれば体に穴が空く」


 錆びていなくても、大鎌なんて扱いにくいものを武器として使用する奴は稀だろう。鎌は武器ではなく、農具だ。


「オレは武器を持たない平和主義でね。こいつはその主張の表れ」

「な、なに言ってんだ、あんた。そんなの、屁理屈だろ」

「獣人も一度、錆びた剣を携帯してみればいい。いかに戦闘を回避するか、って方向に頭を働かせるようになる。……ああ、でも駄目かな。獣人には、生まれ持っての牙と爪があるからな。やっぱ殺すしかないよな。この世から争いをなくすにはさ」

「あ、あんた、頭おかしいよ」


 少年が震えた声で言う。

 前衛的な考え方が支持されないのは、世の常だ。この程度の批判でへこたれるオレではない。焦らず浸透させていくのが、結局のところ一番の近道なのだ。よし。まずは目の前の少年から。

 大鎌を振り上げたところで、外から、腹に響く重低音の唸り声が聞こえてきた。

 獣人の男達の、威嚇の声だ。手も足も出せない彼らの、せめてもの抵抗なのだろう。剣呑な合唱は、しかし、次の瞬間には獣の断末魔に変わっていた。釣られたように、女達が甲高い叫び声を上げる。

 今死んだのは、彼女達の夫か、恋人か、はたまた息子か。叫び声は、恨み節を交えたむせび泣きになる。

 子供達の先ほどまで立っていた耳が、伏せられていた。大人の動揺は、子供に孤独を与える。頼るものはどこにもないと。

 怯えた目がこちらを見上げていた。勇敢だった少年も、今や子猫同然の震えっぷり。服の裾からのぞく尻尾は、毛が逆立ち二倍にふくれ上がっていた。

 長く息を吐き出して、腕に今一度、力を込める。相手に大鎌を振り下ろす瞬間まで、目はそらさない。

 肉をえぐる感触が伝わってくる。こんなにも長い柄でも、否応なしに。額に冷たい汗が浮かぶ。相手が絶命してから、自分がしたことの恐ろしさを思い出す。いつもそうだ。手が震えて、なかなか次にいけない。


「この人でなしども! ピューマ公が黙ってないからね! 必ずお前達の首をもぎ取って、門にさらしてやるから——!」

「そのピューマ公ってのには! 奥さんや娘さんがいるのかなあ? なら、出向いてもらうまでもない。こっちから顔を出してやるさ!」


 自分の声がいつもより低く、割れて聞こえた。内包された狂気を感じ取ったように、女はすぐに押し黙った。非難したくても、声が出てこないのだろう。

 別の女が、泣き叫ぶように言った。


「な……なんで、こんなことを。こんなの、人のやる行為じゃないわ……!」

「争いを生む男はいらないからさ。だから、いずれ野蛮に成長する少年もいらない」


 力こそすべて、という獣人社会の意識が、今の戦乱の根源なのだ。その間違った認識は、地道に刈り取っていくしかない。

 そもそも、力こそすべて、というのが真理なら、世の頂点に立つのは、サテュロスの女こそがふさわしいことになっちまう。


「お、おかしい……。そんなの、おかしいわ」


 おかしい、おかしい、と呟く女の声は段々と小さくなっていき、最後にはこちらに届かなくなる。

 息絶えた少年の体に突き刺さったままだった大鎌を引き抜く。手の震えも収まってきたし、中断した作業の続きといこう。だが、その前に、名乗りを上げるとしよう。

 この場にいる皆さまに、我々がどのような存在であるか、知らしめるために。

 そして、何より。己自身に言い聞かせるために。


「我々は『バフォメット』! 悪魔の名を冠する者! ——さあ、我々と未来の平和について考えようじゃないか」


 獣人の子が、目いっぱいに大粒の涙を浮かべて、こちらを見ていた。その子の目には、オレの歪んだ横長の瞳孔が映り込んでいた。



 *****



 山羊の頭蓋骨を被り、黒い羽根で作られたマントを羽織る。この場にいるサテュロスの男達は、まさに悪魔の姿そのものだった。『バフォメット』の名は、同族からも嫌悪の念を持って見られた。

 温厚な者が多いサテュロスの中で、オレ達はたしかに異端な過激派であった。

 怒鳴っていた女も、泣き腫らしていた女も、今は床に倒れてうつろな目をしている。声も涙も枯れ果てて、体を投げ出して。すでに体を縛っていた縄は緩んでいるというのに、そこから逃げ出そうともしない。

 集会所の片隅では、いまだ男達の影と欲望がうごめいていた。

 その中に、ジャイルズの姿があった。いつもこれだ。下準備の殺戮には青い顔をしてなかなか参加しないくせに、女には嬉々としてのしかかる。もっとも、血を見た後の慰めを必要以上に求めて、むさぼるように女を抱くのかもしれないが。

 まったく、山羊が獅子や虎を食うなど、嘘を言ったものだ。これは、悪魔が獅子や虎を食らっている光景でしかない。いかに強い獣であっても、悪魔が相手では敵わないだろう。

 室内のむっとした空気が息苦しかった。

 倒れた女の介抱を口実に、水を汲むため外へ出る。

 すると、一人のサテュロスがオレのもとへ駆け込んできた。そいつは興奮した面持ちで、大ニュースだとばかりに口を開く。


「フィランダー! すげえ話を聞いちまったぜ。ラヌート山のマザー・ヴェールピナス一派が全滅したんだとよ」

「なに? どこのどいつが、そんな恐れ多い真似を」

「それがなんと、やったのが人間だっていうんだ。焼き討ちだよ、山全体を燃やしちまったらしい。ほとんどのアラクネは炎と煙にやられて死んだんだろうな。その後、弱っているところを襲撃ってわけ。うまく考えたもんだよな」


 男は感心したように頷いている。

 ラヌート山のマザー・ヴェールピナス一派といえば、オレ達が少し前に、ご挨拶にうかがったところではないか。リザードマンの陣営が倒されたのを見計らって声をおかけしたところ、マザーのご機嫌を損ねてしまい、あやうく彼女の娘達の晩飯にされるところだった。今思い出しても、鳥肌が立つ。

 あの恐ろしいアラクネを、人間が策で打ち破ったとは。

 あらためて、戦乱の世というのは、何が起こるか分かったものではない。

 オレがそれほど意外そうな顔をしていたのか、情報を持ち込んだ男は、訝しげに首を傾げた。


「なんだ、俺の言うこと信じてないのか?」

「いや……、その、なんというか。人間はもっと大人しい民族だと思っていたんだよ。でも、そうか……」


 サテュロスが獣人を蹂躙するのだ。人間がアラクネを打ち倒すことがあっても、おかしくないのかもしれない。

 確かなのは、彼らもまた、この戦乱に飛び込んできたという事実。そして、積極的であろうと、消極的であろうと、残してしまった結果がすべて。

 ならば、これからは人間も眼中に入れるべきだ。


「近くに人間の村がないか、探してこい。次の標的を決める」


 男の目が輝いた。こいつは獣人よりも、人間の女が良いらしい。

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