3.虚飾こそが我が肉
屋敷のバルコニーは、月夜を見る特等席でした。今夜は少し空に雲が流れていますが、それもまた風流です。
バルコニーには、わたくしのほかに、旦那様とヒヨス様が月を見るために出ています。三人で、日光浴ならぬ月光浴でもするように、淡い月の光に身をさらしておりました。
きっと、こんな月夜では有翼人は出歩きません。月の光は人を狂わせると、彼らは信じているのです。だから、淫魔の術にかかりやすくなると。太陽を唯一絶対の神として信仰する彼らにとって、太陽が存在しないというだけで、夜は危険なものでした。
サキュバスとインキュバスには、宗教というものが存在しません。この世界の神はすでに死んでいることを、事実として知っているからです。ですが、月の光が人を狂わせる、という有翼人の神話は気に入っていました。
わたくし達にとって月は、信仰する対象でなくとも、漠然と親しみを抱くものでした。
ふと横を見れば、旦那様は有翼人の姿のまま、尻尾を出しています。ゆらゆらと揺れているそれは、気を抜いている証拠でした。
「有翼人の女を食してから、ご機嫌ですね」
「ああいう反発は元気がいい証拠だからな。美味かった」
「でも、ちょっと本気でイラッときてましたよね?」
「気のせいだ」
しれっと旦那様は顔をそむけます。
「そういうお前は、最近ちゃんと食べてるのか?」
「昨夜、偵察もかねて人間の男を味見してまいりました」
わたくしは答えながら、唇に指を沿わせました。
口付けだけで腰が砕けそうになっていた男の姿は、今思い返しても、腹から笑いがこみ上げてきます。屋敷の在り処を耳元で囁いてやったので、そのうち、ここにやって来るかもしれません。
旦那様も最近、人間の女にちょっかいを出しているようです。まだ、屋敷に連れ込んでいる様子はありませんが。
「まさか人間が、ここまで台頭してくるとはなあ。大穴だな」
「今回の賭けは勝者なしですね」
「良かったな、ヒヨス。危うく、一人負けするところだったぞ」
旦那様が言葉を投げると、ヒヨス様はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向きました。彼女は、前に指摘したサテュロスの姿のまま、変わっていませんでした。屋敷にいる間は自分の好きな姿でいさせてもらう、と開き直ったようです。
わたくし達は、戦乱の世を勝ち抜くのはどの人種か、という賭けをしていたのです。旦那様は「有翼人」に、わたくしは「獣人」に、そしてヒヨス様は「アラクネ」に、それぞれ賭けていました。
新興勢力として頭をもたげたアラクネに、大胆な賭けをするヒヨス様は期待したようでした。
実際、マザーと呼ばれる女王に率いられたアラクネの軍勢は、それまで好調を見せていたリザードマンの軍勢をあっという間に壊滅させてしまいました。戦乱の初期のリザードマンは、獣人とケンタウロスに並ぶ三大勢力の一つだったというのに、今では見る影もありません。
しかし、そのアラクネも、同じく新興勢力として突如現れた人間を前に、敗北しました。その後、強大な国を持っていた獣人も、戦争の仕方を知っていた有翼人も、次々と人間に敗れていきました。
ヒヨス様は長い尻尾をピシッピシッとしならせながら、口を開きます。
「あたいより酷い賭けをしていたアホ女もいたろうが。『平和』に賭けたボケナス頭が」
彼女のことを思い出すと、わたくしはいたたまれなくなってしまいます。
以前はこの屋敷に、サキュバスがもう一人いたのです。名をロベリアといい、仲間内では最年少でしたが、ヒヨス様とそう変わらない歳だったはずです。
彼女はなんというか、夢見がちな子でした。幻覚を見せるサキュバスの力に、人を騙す以外の、別の可能性を見出していたようなのです。そんな彼女が賭けたのが「平和」でした。
争いをやめて、すべての人種が手を取り合う時代が来る。と、彼女は言いました。もしそんな結果になったら、先見の明があり過ぎますし、それはもはや賭けの内容ではなく予言の類です。そして、彼女の場合は予言ですらなく、望みを口にしたに過ぎないのです。
この時代にそれを言うのは、あまりにも酷で、夢物語というほかありませんでした。
旦那様は苦い顔をします。
「『平和』ねえ……、もし実現するとしても、それは俺達が死んだずっと後のことだぜ。人が戦争に飽くのに、あと何百年かかると思う? 結果が見れないんじゃ賭けにならねえ」
「オッサンが『賭け事は勝つために細工するもんだぜ』なんて言うから、あのアホ女は出ていっちまったんじゃねーか!」
「俺のせいかよ」
ロベリア様は、絶賛家出中なのです。というか、もう戻ってこないかもしれません。どこかでのたれ死んでいないことを祈るばかりです。
イカサマギャンブラーの言うことを真に受けて、彼女が「平和」のために奔走しているのだとしたら可哀想でなりません。
「ロベリア様は、旅芸人の一座に感銘を受けて、彼らについて行ったのだとばかり思っていたのですが……違うのですか?」
「いや、その通りだ。あいつは歌やら踊りやら、愉快な見世物をする連中を気に入って、この屋敷を出ていったのさ」
ロベリア様が家出する前、近くの町に旅芸人がやって来ていたのです。彼らの興行を見てから浮ついていると思ったら、一座が街を離れたのと同じ日に、ロベリア様も姿を消したのでした。
旦那様はニヤニヤと笑いながら続けます。
「今頃ロベリアは、旅芸人の座長——あのサテュロスの色男を食べ終わってるな。賭けてもいい」
「結果が見れなきゃ賭けになんねーって、言ったばっかりじゃねーか。どうやって確かめるんだよ」
呆れたヒヨス様が、珍しくまっとうなツッコミをしています。
旦那様は残念そうに首を振りました。
「出ていったもんのことは知りようがない。……それより、これからのことだ。確実に、人間の世がくるぞ」
ヒヨス様が首を傾げます。
「人間ってことは、フーフバラにいる連中と同じなんだよな?」
「その通りだが、連中は参考にするなよ」
旦那様の背中から、はらはらとまやかしの羽根が落ちてゆきます。月の光を受け、それらは地面に落ちきる前に霧散していきました。
彫刻のように完璧だった肉体から肉を削げ落とし、あばらを少し浮かせます。その他、微細に体型を整えて、有翼人から人間へと擬態する旦那様。その姿を見て、ヒヨス様が顔をしかめます。
「なんか、貧相だ」
「フーフバラの人間が屈強過ぎるんだ。俺としては、あまり見栄を張らんことを勧める」
ヒヨス様がギャップに戸惑うのも無理はありません。彼女はここ、フーフバラで生まれ育ち、生まれてこの方、外の世界を見たことがないのです。
わたくし達は、大陸で唯一の、人間が治める国に居を構えていました。フーフバラは大陸の南西に位置し、三方を蹄鉄の形状をした山に囲まれた自然の要塞です。
その山の一角に、わたくし達が住む屋敷は建っていました。かつては人間の有力者の別荘だったという話ですが、詳しくは知りません。わたくし達もまた、以前ここに住んでいた淫魔から屋敷を奪ったに過ぎませんから。
余所では、人間は大人しいとか、臆病とかいう評判ですが、フーフバラの人間はまったく異なります。山を盾に引きこもっているために低く見られがちですが、彼らは屈強な戦士でした。フーフバラはばりばりの軍事国家なのです。
こんな世の中ですから、この小さな国にも外敵が幾度となく攻め込んできました。フーフバラには、そのすべてを追い払った実績があります。最近は、わざわざ襲う旨味が少ない(どころか、大損失を出すこと請け合いです)と判断されたのか、侵略を試みる輩もいなくなりました。
だからといって、フーフバラの人間が打って出ることもありませんでした。彼らの強さの秘密は、その精神性にあるからです。欲を出せば崩れてしまう強さなのです。
より正確に言うならば、彼らを“人間”という括りで見るべきではないのかもしれません。フーフバラは“馬の賢獣と心を通わせた戦士”によって作られた、戦士のための国なのです。
一本角を持つ馬の賢獣ユニコーンは、高潔な女性しか背に乗せません。翼の生えた馬の賢獣ペガサスは、正しい行いをする者にしか寄り添いません。野心をむき出し、侵略のための戦いを行おうものなら、賢獣達にそっぽを向かれてしまいます。賢獣が隣にいなければ、彼らもただの人間でした。
とはいえ、生身でペガサスと相撲を取ってじゃれ合える頑丈さは、体の作りからして余所の人間と違うのではないか、と思わなくもないですが。
「それにしても、オッサンが有翼人以外の姿になってるの、久しぶりに見たよ。せっかくこれまで貫き通してきた信念を、曲げちまうのか?」
ヒヨス様が首を傾げます。
「いや、食事の時ぐらいは好きな姿でいさせてもらうさ。ただちょっとな、細工をする必要があるだろ? これ以上、味音痴な連中の好きなようにさせておくと、いつまで経っても乱世が終わらねえ」
「旦那様こそ、平和の使者かもしれませんね」
「馬鹿言え。俺はロベリアのように仲良しこよしを求めているわけじゃない。ただ一つの人種が絶対的な強者となる世界。俺が求めているのは、平和じゃなくて平定だ」
世を治める者は一人であった方が、わたくし達にとっては都合がいいのです。操りやすくなりますから。
旦那様はわたくしとヒヨス様を順に見ました。そして、力を込めて言います。
「人間に肩入れして、戦乱を終結に向かわせるぞ」
「まあ。これ以上に“心強い”後ろ盾がありましょうか」
「やーっと、このうるせー世の中が静かになるのか」
わたくしは口元に手を当て微笑み、ヒヨス様は肩をすくめました。
この世に生を受けてからというもの、およそ穏やかな世と呼ばれるものは見たことがありません。どこかしらに不穏な因子があって、何かしら争いごとが起きていました。
この前の有翼人が言ったことも、一理あります。
サキュバスとインキュバスが世の中を煽って、不安定な情勢にしているのだという見解も。ただ、きっかけを作るのは当事者です。わたくし達は、ちょっとした小火を大火事へと仕立てているだけです。放火犯でもないのに、ゼロからすべてを仕組んでいるように言われるのは、不本意でした。
今回の戦乱の火を煽ったのは、ベスティニア皇国の大王に憑くサキュバスの一派です。彼女達の嗜好はわたくしからすると、少し変わっていました。歯に衣着せぬ物言いの旦那様に言わせれば、味音痴ということです。
サキュバスとインキュバスの一群はいわば、同じ嗜好を持つ者の集まり。自分が求める生気をより多く摂取できるようにするため、他者と組むのです。大王に憑くサキュバス達と、わたくし達とでは、嗜好が違うというわけです。
もともと個の意識が強かったサキュバスとインキュバスが、こうして群れるようになったのは、妖妃セルベラ・オドラムの影響が大きいと思われます。有翼人の『千年帝国』を食い尽くした、かの悪名高く、偉大なサキュバスです。
彼女はインキュバスである邪神官マンチニールと組んだために、あの大規模な頽廃を引き起こすことに成功したのです。
サキュバスがどれだけ頑張っても、手玉にとれるのは片一方の性だけ。それはインキュバスも同じ。ならば、この二つが協力し合えば、向かうところ敵なしではありませんか。国の命運すら弄ぶことが可能です。
『妖妃』に続けとばかりに、皆が皆、彼女の真似をしました。
それからというもの、世界を盤上に為政者を駒とする遊びが始まったのです。
「俺好みの生気を量産して、あいつらを黙らせてやる」
「『子供舌』と言われたことを、まだ根に持っていらっしゃるのですね?」
「はああ? オッサン、そんなこと言われたのかよ!」
ヒヨス様が素っ頓狂な声を上げます。他の話題ならそのまま笑い転げているところですが、ヒヨス様は顔を真っ赤にして憤慨し始めました。
「あいつら、ぜってー舌腐ってるから! あんなクソ不味いもんを喜んで食べるのが『大人の舌』なわけねえっつーの!」
「だよなあ。腐ってんのがあいつらの舌だけならいいが、食材まで腐らせやがるから、黙ってられねえ」
こういう時、わたくし達はやはり同志なのだなあ、と思います。一致団結する旦那様とヒヨス様に、なんだか感動してしまいました。わたくしももちろん、二人と同意見です。
生気にも、味というものが存在するのです。ただ、それが「甘い」「苦い」「辛い」というような他人種の味覚と同じかというと、ちょっと分かりません。わたくし達は『人類』の中でもあきらかに異質ですし、実体のある食物を受け付けない胃なんて、その最たるものです。
実際に比べてみることができない以上、曖昧な表現になってしまうのは仕方ありません。言葉のニュアンスから、これに近いだろう、というものを選び取っているだけに過ぎません。
そういったことを踏まえて、あえて言うと、わたくし達は『甘党』らしいのです。そして、旦那様とヒヨス様が目の敵にしているサキュバス達は『辛党』……に相当するのでしょう。
基本的に生気は、生への欲求が強いものほど栄養価が高まり、濃厚になります。性行為は、その濃厚な生気を引き出すのにうってつけなのです。別に、調理をしなくても食材は食べられますが、調理をした方がより美味しくいただけるというわけです。
しかし、その味付けの仕方は人それぞれ。
幸福な者が持つ甘い生気を好む者もいれば、苦境を歩む者の苦い生気を好む者もいて、刹那的に生きる者の辛い生気を好む者もいます。どれにしろ、生きようとする意欲さえあれば、食するに値します。生きる希望を失くした者の生気は、不味くて食えたものではありません。
例の『辛党』のサキュバス達が求めたのは、死と隣り合わせの状況にありながら、なおも強く生きようとする刺激の強い生気。だから、彼女達は戦場と軍人が大好きなのです。戦う場が増えれば戦う人も増えるよね、という思考回路なのです。
一度、旦那様と彼女達を訪ねたことがあります。その時、首謀者のサキュバスに教えられたのが、“獲物を半殺しにすると刺激が増すよ”というものでした。彼女に組み敷かれた獣人の男は、血を流しながらも反抗的な目で、サキュバス達を睨んでおりました。
その光景を見た旦那様は、青い顔で卒倒しそうになっていました。
サディスティックに振る舞うことがあっても、実情は血を見るのも苦手なインキュバス。その時に『子供舌』と笑われ、旦那様の自尊心が傷ついたようでした。瞬発的に、趣味が悪いだのなんだの、言い返していた覚えがありますが、気が済んでいなかったようです。
「人の趣味をとやかく言うつもりはありませんが、どの生気にも血の匂いが色濃いのは、どうにかしたいものですね」
「鉄の味もいい加減飽きたぜ。しかも、そういうのに限って、いつまでも舌に残りやがるしよ」
旦那様は渋い顔をして、舌を突き出しました。
この御時世、刺激の強くない生気を探す方が難しいです。『辛党』のサキュバス達がそのようにしてしまいましたから。
しかし、すべての者が暗黒時代を生き抜けるほど強いわけではありません。絶望する者——率直に言って不味い生気も、星の数ほどあるのです。
旦那様が言った“食材まで腐らせる”とは、このことです。世の中が上向きにならなければ改善しないレベルにまで、達してしまいました。わたくし達は、戦乱の終結を切に願っているのです。
戦役に夫や息子を取られることなく、普通に幸せな家庭が世に溢れることを、望んでいるのです。なぜって、もちろん自分達のために。
愛しい夫に成り代わったインキュバスが家に帰り、妻の甘い生気をすする未来。愛しい妻に成り代わったサキュバスが出迎え、夫の甘い生気をなめる未来。訪れるべきは、そんな明るい未来なのです。
耳に残るのは、悲鳴よりも嬌声の方が良いですから。
「さて、まずは新しい時代の主人にご挨拶といこうか」
一通りの愚痴を言い終えると、旦那様はわたくしに向き直りました。
「サルビア、行ってこい」
「オッサンが行くんじゃねーのかよ……」
「『英雄』は男だからな。見目麗しい男よりも、見目麗しい女の使者の方が良いだろう?」
ごもっともです。わたくしは頭を下げて、了承の意を示しました。
「もとより、わたくしはそのつもりでした。おまかせください」
そのために、人間の男を味見してきたのですから。奴らの好みは把握済みです。
旦那様とヒヨス様に見られる中、わたくしはセイレーンから人間へと姿を変えました。恐ろしい鉤爪のついた脚は、つつましい爪と薄い皮膚に覆われた脚へと変わり、柔らかな足裏が冷気にさらされた床を踏みます。
メイドの証であったエプロンドレスにも手をかけて、それを脱ぎ捨てました。この時のために身につけていたのは、紐で結ばれた下着。今のわたくしは完全なる下着姿なので、ヒヨス様のことを言えないぐらい、露出が多いです。脱ぎ捨てた服の上に取ったカチューシャを放って、髪をかきあげれば、どこに出しても恥ずかしくない人間の痴女になりました。
…………。
うん、完璧。ヒヨスちゃんが、あたしの変わりぶりに口を開けているのが、面白い。
「そんな格好で行くの? 露出狂じゃん」
「馬鹿ねえ、ヒヨスちゃんは。これは『英雄』を誘惑する時の格好。道行く人を発情させちゃかなわないし、服は着るに決まってるでしょ」
「うへえ、サルビアがいつもと違って、なんか変な感じ」
「そう? あんたは知らないかもしれないけど、あたしが旦那と出会った時はこんな感じだったよ」
同じサキュバスさえも困惑させてしまう、あたしの手腕。これは、世のサキュバスの中でも指折りに入るねえ、なんて自画自賛してみる。
同意を求めるように、旦那にしなだれかかる。鼻筋の通った顔を見上げ、その頬を撫でる。
「ねえ、デルフィの旦那?」
「その呼ばれ方も久々だな。そろそろ俺の名前も忘れられてる頃かと思ったよ」
「デルフィーったら、拗ねてる?」
くすくす笑うと、旦那もつられたように苦笑する。
デルフィニウムという旦那のフルネームを略して、あたしはデルフィと呼んでいた。
ちょいとそこの旦那、と呼びかけたのが最初の出会い。その頃から旦那は食い散らかす癖があって、晴天のもと、裸の女達が捨てられているもんだから、随分とガサツな男もいるもんだ、と思ったもの。けど、辿った先に独り身のインキュバスがいた時には、これは運命だと感じた。
これだけ旺盛なら、さぞや大仕事ができるだろう、と。あたしと組んで、いずれ世を掌握してみないか、と旦那を誘ってみて。そうして手始めに制圧したのが、この屋敷だった。一晩の宿と言わず、万の夜を越すために。前の住人に、屋敷を(強制的に)明け渡してもらった。もう十年以上も前のことだ。
ようやく、また一つ、駒を進めることができる。
「どうだい? あたしの出来栄えは」
「最高に決まっているじゃないか……。俺達はこの世で一番美しい人種だ。美形と謳われるエルフも、美声を響かせるセイレーンも、他のどんな人種が美しさに磨きをかけようと、俺達には追いつけない。奴らが作った“美”を、俺達は昇華させられるのだから」
「うふふ、あたしを褒めるふりして、自分の自慢をしているね」
「まさか。インキュバスとサキュバス全体を指して言っているのさ」
旦那は軽く言ってから、しげしげとあたしの姿を見下ろした。
「人間用の服はどこかにあったかな」
「メイドの格好だと、それはそれで目立っちまうね。今時、人間のメイドもいないだろうし」
「俺が人間の女を襲って、剥がしてきてやろうか」
「アハハ、そりゃ良いねえ」
旦那が見ただけで、人間の女はいそいそと服を脱ぎだすだろう。襲う必要もない。
せっかく協力関係にあるんだから、旦那を頼るのも一興だ。旦那の胸板に額をこすりつけて、インキュバスにはまったく効果のない媚態を見せる。
あたしのごっこ遊びを、デルフィも楽しんでいるようだった。
「じゃあ、お願いするよ」
「希望はあるか?」
「どんな格好だって、構いやしないよ。違和感さえ与えなきゃね。だって、どうせ脱いじまうんだからさ」
蚊帳の外になりつつあるヒヨスちゃんが、あたしと旦那から目をそらしている。情事なら、いくらでも目にしているし、やってきているだろうに。それ以上に、見てはいけないものだと感じるらしい。
実際に交わっているわけでもないのに、いかがわしい雰囲気があるということか。これでは、ますます自信がついてしまう。
「あたしが脱げば万事上手くいく」
「頼もしいことだ」
息がかかるほど顔が近くても、キスの一つだってしない。サキュバスとインキュバスが一線を越えるなどという、そんな変態的な行為を、あたし達はしない。




