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予知夢から始まる英雄譚  作者: 鴉山 九郎
【5章 飛翔を妨げるは強欲の重み】
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5.たった一つも与えてやれない

 ベスティニア皇国の各地で蜂起した人間を支援しながら、自身らもまた他所で皇国軍と睨み合う日々が続く。

 獣人の本隊は、有翼人の打倒を第一の目的としている。反乱を起こした人間など、他の寡兵にでも任せておけばいいと思っているのだ。私が率いる部隊目掛けて、脇目も振らずやってきたイノシシは、人間が私達と通じていることなど見抜きもしなかった。

 いい目眩しである。私達はのらりくらりと戦闘をやり過ごしていた。

 私達自身を餌として十二分に引きつけた時点で、勝敗は決したのだ。示し合わせていた人間の部隊が、皇国軍の背後を制圧している。皇国軍は退路を断たれ、完全に孤立状態だ。

 そのことに気付いた時点で、死に物狂いで背後の人間を蹴散らせば、まだ帰路に就くことができたかもしれない。だが、獣頭の指揮官はそうしなかった。欲目に溺れたのである。人間のことも侮っていた。

 結果、有翼人にはまともに相手をしてもらえず、兵糧が尽き、飢えに喘いでいる。


「イノシシ頭は前しか見えない、というのは真実であると実証されたな」

「目前に餌をちらつかせれば、馬鹿みたいに突進を繰り返しそうですね。自分の体にくくりつけられた釣り糸から垂れるものであっても」


 私達の目下の大敵は、退屈である。策に嵌めた後は、待つ以外にやることがない。

 獣人から奪取した小砦の一室には、欠伸を噛み殺す部下達が詰めていた。

 ガヴァンは暇そうに、椅子の背もたれをその名とは逆に腹の側にもってきて、体を寄りかからせている。両の足を大きく広げ椅子の背を挟み、その上に肘を置く姿は、他の人種から見れば行儀の悪いものだろう。だが、どうか、彼を教養のない者として罵るのは止めていただきたい。

 はっきり言えば、背もたれは有翼人にとって邪魔なのである。

 背中に翼がある関係上、そうした椅子には浅くしか腰掛けられず、非常に居心地が悪い。普段は丸椅子や、肘掛けだけがある椅子を使うが、敵から奪った砦なんかではわざわざ椅子を取り替える余裕がない。そういう理由があって、この座り方になるのだ。

 しかし、どの椅子も腰のあたりに、決まって隙間が空いているのは面白い。これは、獣人が尻尾を通すための穴なのだろう。生活用品一つとっても、それぞれの人種の暮らしが色濃く表れる。


「僕達よりも先に王手をかけたのが、よりにもよって人間だなんて……」


 机上に広げられた地図を見つめ、ガヴァンが呟く。

 ベスティニア皇国の皇都は現在、人間の軍により包囲されている。これが、思わぬところから現れた攻め手で、私達が扇動した人間とは別種なのだ。

 何でも、『英雄』と祭り上げられた人間が率いる軍らしい。天想軍がカーチェフ城を占拠して少し経った頃、大陸の中央地域にぽっと現れ、あれよあれよという間に無視できないほどの勢力に成長していた。

 仮に英雄軍と名付けるが、彼らはここ数年で、ベスティニア皇国の防衛の要であった城や砦を次々と落としている。ついに丸裸となった皇都へ、今まさに、攻め入ろうとするところだ。そんな情報が、昨日、舞い込んだ。

 孤立した獣人の本軍と違って、私達は陸路が封鎖されても、空の道を使って連絡のやり取りができる。よって、獣人の将が皇都の大事を知る由もなく目前の食糧問題に頭を抱え、有翼人が先の対策を立てるという事態になっている。情報の伝達は私達の方がはるかに早く行えるのだ。


「急いて見極めを誤ったかもしれんな。何だろうと変わるまいと思って、手近なところで済ませたのがいけなかった。少し待てば、こんな逸材が現れたというのに」

「彼らもよくやっていますけどね。いかんせん、『英雄』ほどの人を惹きつけるカリスマと勢いはない」


 私達はなんとか、『英雄』をこちらの駒に引き入れることができないか考えていた。いずれ冠る『王』の称号にも申し分ない人材である。ただの村人を王に押し上げるより、よほど説得力のある王となるだろう。彼はそれぐらい、特別な人間だ。

 ただそれだけに、こちらの誘いに応じなかった場合の危険性も相当なものだ。思う通りに動かないほど優秀な人間ならば、殺すしかあるまい。

 そのカリスマ性で、今手元にいる人間までもが引き抜かれてはたまらない。こちらは手駒を失ったうえに、邪魔者がそれを吸収して肥大するなど——


「……まあ、皇都陥落までに考えればいいことだ。お手並み拝見といこう」


 獅子を倒して生き残ることができたなら、『英雄』は紛れもなく本物だ。



 *****



 実りの秋が近付いた頃、衝撃的な報が届いた。天想軍の支援を受ける人間の部隊が、英雄軍と接触したというのだ。

 暑さが本格的になる前に、ベスティニア皇国の皇都は陥落していた。少し経つと、事態をようやく知った獣人の本隊も壊滅し、てんでばらばらに遁走していった。ある意味、私達の想像通りの展開となったわけである。

 私達は『英雄』との会談をどう実現させるか、頭を悩ませていた。そこに突如、“交戦”という気がはやったとしか思えない単語が飛び込んできた。

 硬直する私に構うことなく、容赦のない知らせは続く。


「半壊だと?」

「人間の部隊が英雄軍と衝突し、敗走したのです。追撃の手が止まず、このままでは全滅してしまいます!」


 部下が苦々しい表情で告げる。


「ま、待て待て。そもそもなぜ、戦闘が起こる? 『英雄』とやらは狂犬か? 所構わず、誰彼構わず、噛みついて回っているのか?」

「アーノルド様、違います。先に手を出したのは、どうやら、こちら側らしいのです」

「は……? な、なおさら、分からん。彼らが『英雄』と敵対する理由など、どこにある? 同じ人間だろうが。同族同士で血を流しあうなど……なぜだ」


 遊戯の駒と違って、生身の兵は勝手に動くこともある。石の頭ではないのだから、思考をする。それはある程度理解し、許容しているつもりだった。だが、今回のことはあまりにも悪手である。

 部屋中を歩き回る私を、側近らが目で追ってくる。これをどう対処するのか、視線には疑問が凝縮されていた。

 突如伸びてきた手に、盤上がぐちゃぐちゃにされてしまったようなものだ。これまで読んでいた先が、意味のないものに変わってしまった。台無しにされた怒りよりも、混乱の方が大きい。

 予想の範囲外だとしか言いようがない。『英雄』に惹かれて抜け出ていく者がいるかもしれないとは思った。それが、自分から衝突しに行くとは。


「……もともと、駒の入れ替え時だったのだ。そう考えるしかない」

「連中を見捨てるということですね?」

「ですが、奴らはこちらに逃げてきているのです。助けを求めるような真似をされれば、私達と関わりがあることがバレてしまいます」


 まだ、『英雄』が敵と決まったわけではない。勝手に喧嘩を売って敗走した人間の部隊など切り捨てて、今からでも『英雄』を取り込むために奔走すれば、間に合うかもしれない。


「『英雄』と話をつけに行く」


 人間の部隊との繋がりが知られたら、否応なく険悪な関係になってしまう。ここで放置したら、さらに酷いことになるのは間違いなかった。




 想像より酷い事態を見下ろすことになり、心の臓が底冷えしたのは、私だけではなかったようだ。私についてきた、ガヴァンを含めた直属の部下五人は、苦い顔で辺りを見渡した。

 空を通り抜けて辿り着いたのは、我々が支援していた人間の部隊の野営地である。そこは、無残な敗戦の跡を残していた。

 張っていた幕舎はズタズタに裂かれ、引き倒され、踏みつけられている。そこらを石ころのように転がる人間の死体が、どちらの陣営のものかなど、私達には見分けがつかない。傾きかけた陽を浴び、すべてが赤く染まっていた。

 体を降下させ、地面に足をつけると、上空よりも空気が重く感じた。


「容赦がなさすぎる……。こんなにも、躊躇なく同族を殺せるものなのか?」


 人間は、獣人のように姿形に大きな違いがあるわけでもないのに。

 続々と降りてきた部下に向けての問いかけだったが、答えは思わぬところから返ってきた。


「与えられた餌に喜ぶ考えなしなんて、いずれは食われておしまい」

「自分達が都合よく使われている、なんて想像も働かない。そればかりか、こちらを取り分を奪う邪魔者扱いだ。笑わせる」

「こんな翼の生えた連中に懐いちゃうような奴ら、同族であっても同志ではないよ。あんたらだって、裏切り者には酷いことするでしょ?」


 光景に目を奪われるばかり、生きた人間がいることを見過ごしていた。意外なほど近くに、四つの人影があった。

 人間の男が三人と、女が一人。武器こそ抜いていなかったが、武装した彼らは攻撃的な雰囲気を隠そうともしない。声を発した三人は、不信感がありありと浮かんだ目と、小馬鹿にしたような口元で、私達を歓迎する。一人、口を閉ざしたままの男は、こちらを値踏みするような目で見つめていた。

 ぞわりと虫酸が走る。その目をするのは私であって、御前ではない。そう言い放ちたくなる。


「いったい何をおっしゃっているのか。私共はただ、ここを通り過ぎようとして、あまりの痛ましい光景に祈りだけでもと思い——」

「下手な芝居だな。手下の人間共は、僕らを攻撃する理由を、とても丁寧に教えてくれたぞ」


 舌打ちを堪えるのが精一杯である。勝手な真似をしたばかりか、連中は私達との関係を事細かに暴露してしまったというのか。

 双剣の柄に手を置き、いつでも引き抜けるようにしておく。背後で、部下達が身を固める気配がした。


「簡単に言うと、連中は僕らが目障りらしい。『天使』の寵愛を受けた方が“正当な”人間の代表なのだから、お前達はでしゃばるな、と」

「“王様になるのは自分だ”なんて言って、欲望がだだ漏れでしたけれど……。それが、あなた方の用意した餌というわけね」


 やけに目がギラついた男と、大人しそうな女が言った。

 彼らの説明で、合点がいった。人間達は敏感に、新手が現れたことで揺れた私の心を、感じ取っていたのだ。単純に力を示そうとしたのか、それとも、『英雄』を排することで選択の余地をなくそうとしたのか。どちらにしろ、邪魔者を消すために攻勢を仕掛けたというわけだ。

 同族だから手を取り合うのではない。同族だからこそ退けなければ、自分達の立場が危うくなる。『英雄』は完全なる上位互換なのだから。

 もとより、有翼人の強い同族意識の方が特殊なのかもしれない。同じ思いを共有し、一つの目的のために集まる私達は、仲間割れなど起こさない。不協和音が生まれたなら、それは淫魔が投げ込んだものである。異端はただちに翼を切り落とし、追放するに限る。そうして、私達は団結を守ってきた。


「……彼らから話を聞いたなら、私達の目的も知っているのだろう。ここで私達と仲違いをするのは、賢明でないと思うがね。有翼人は平和を欲しているだけだ。世を平定する者なら、誰であろうと協力しよう」

「はっ、いけしゃあしゃあとよく言うよな。手下をけしかけたくせに」

「それは彼らの独断だ。むしろ、私は失望している。平和を求めてきたというのに、必要のない争いを起こしたのだからな」


 この設定を貫くしかない。仲間だった人間を切り捨てるにも、妥当な理由だ。

 だというのに、乱暴に吐き捨てた若者の敵意は、私が一言発するたびに増していくようだった。左目の上から頬にかけて走る三本の傷痕が、彼の心情を表すように、歪んでいく。

 他の三人にしても、似たようなものだ。田舎の人間は煽てれば、その気になった。奴隷は自尊心を思い出させることで、焚き付けられた。だが、目前の彼らは警戒心の塊である。

 甘すぎる誘いには乗りそうもない。こちらが欲のない天使を演じれば演じるほど、猜疑心が研ぎ澄まされていくのを感じた。


「御前達、私達と手を組まないか? 天下を取った暁には、世界の半分をやろうじゃないか」


 だから、天使ではなく有翼人として。己の身を俗に落とすことを選択した。

 すると、これまで一言も喋っていない男に、他の三人の視線が集まった。男の意思にすべて任せる、というように。

 私は、彼こそが『英雄』であると悟った。

 『英雄』は光を宿さない目を上げ、おもむろに口を開いた。


「世界の半分は、人が住めない地だ」


 拒絶の言葉に、反応が遅れた。

 断られる可能性を考えなかったわけではない。だが、彼の返事は、あまりにも“気が利いて”いた。


「——まったく、御前達は、これまでどんな輩を相手にしてきたんだか」


 かろうじて言えたのはそれだけだ。『英雄』は肩をすくめた。

 人間達が示し合わせたように、武器を構える。死体だと思っていた辺りの人間まで起き上がり、矢をつがえるものだから、完全に虚を衝かれた。

 部下達が対抗するために得物を抜こうとするのを見て、私は叫んだ。


「やり合うな! 逃げろ!」


 敵地のど真ん中に降り立ってしまったのだ。こんな大勢に囲まれて、私達に勝ち目はない。部下達を空へと追い立てる。

 宙を切る矢の音が聞こえた。彼らに遅れて、私も身を振るい、翼を広げる。

 次の瞬間、両翼に楔が打たれたような衝撃を受ける。羽毛布団が破裂したかの如く、散った羽毛が視界一面を覆う。


「アーノルド様!」

「戻ってくるな!」


 私が翼に矢傷を負ったと気付いたガヴァンが、悲鳴を上げて引き返してきそうになる。せっかく部下を攻撃から守ってやれたのに、戻ってこられたら意味がない。

 最初から、盾になるつもりで翼を広げたのだ、私は。飛び立つためではなく。

 真っ青な顔をするガヴァンに、無理のない笑みを浮かべ、できるだけ優しく促す。


「ここは私に任せて、御前達は先に逃げなさい。……これは命令だ。大丈夫、私もすぐに追いつく」

「し、しかし」

「妻と子供が待っているのに、死ねるわけがないだろう! 必ず帰るから、いけ!」


 目を見据えて怒鳴りつけてやると、ガヴァンはぐっと息を飲み込んで、力強く羽ばたいた。

 部下達が飛び去っていくのを、悠長に見届けてなどいられない。双剣を抜いて、人間と向き合う。次の射撃はなかなかやってこなかった。狙い通り、辺りを舞う羽毛が目眩しとなってくれたようだ。

 『英雄』は虚ろな目で私を見据え、その表情に似合わぬ強い語調で吐き捨てた。


「己を慕う多くの者がいて、妻もいて、子もいて、そこで満足すればいいものを。幸せを両手に有り余るほど持っているくせに。これ以上を望むなんて、おまえは欲張りだ」

「人間の小さな物差しで測らないでもらおうか。私達は不足しているのだ。かつて持っていたものを取り戻す行為を、欲が深いというのか? 子供に不自由な思いをしてほしくないと願う親の心は、醜いか?」

「……そんなだから、今ある幸せも取りこぼすことになるんだ」


 『英雄』が憐れむように言った。双剣を握る手に、力がこもる。

 『英雄』に、確かな敵意が芽生えた瞬間であった。放っておけば、我々の障害となるのは間違いない。ここで、命に換えてもこの男を屠らなければ、有翼人は淫魔に辿り着くことさえなく、未来が閉ざされてしまう。もちろん、奴を殺し、私はアラベラのもとに生還するのが最善であるのだが。

 『英雄』までの距離を目測していると、私の視線を遮るように、若者が間に立ちはだかった。特徴的な二又槍を持ち、顔面の左半分に三本の傷痕がある若者である。


「カリム様、こいつのことはおれに任せてもらえませんか。他の者達には、逃げた有翼人を追わせてください」

「空を飛ぶ相手に追いつけるか?」

「追っていけば、奴らの拠点の場所が分かります」


 渡りに船とはこのことか。多勢に無勢な状況が、少しでも改善するのならありがたい。

 空は薄闇が見え始めている。飛んでいった有翼人を地上から追うのは至難の業だ。少なくとも、人間が明日の日の出まで足止めを食らうのは確実である。だから、私は部下達の心配をしなかった。

 若者の提言を受け入れた『英雄』が指示を飛ばすと、人間達は粛々と、有翼人が向かった方角へと消えていく。

 この場に残ったのは、『英雄』と若者の二人だけだった。私が手負いだから油断しているのか、それとも若者の腕によほどの自信があるのか、『英雄』はいまだ剣すら抜いていない。

 若者は槍の穂先をこちらへ向けた。


「聞いてたよな? というわけで、あんたの相手はおれだから」

「『英雄』と対峙することすら、お許し願えないのか」


 私は若者の肩越しに『英雄』を見ていた。若者は眉をひそめ、苛立たしげに穂先を振った。


「あんたは今、おれと向き合ってんだよ。自分を殺す相手ぐらい、ちゃんと見とけ!」


 雄叫びを上げた若者が、二又槍を構えて突進してくる。つい、いつもの調子で飛び上がろうとしてしまった。矢が突き刺さったままの翼が、ぎこちなく動く。傷の疼きに歯を食いしばる。

 中途半端に浮き上がったところで、体が不恰好に傾いた。数秒も空中にいられない。仕方なく、私は地面を蹴って若者の一撃を避けた。

 翼の分の重さがあるだけ、地上での動きはどうしても鈍くなる。使い物にならないとなれば、なおさらである。無用の長物を背負っているようなものだ。

 私の無様な足運びに、若者の瞳が嬉しそうに輝いた。実に不快である。

 地の上だろうと戦える。ひらひらと逃げるばかりが有翼人の戦い方ではない。若者が槍を持ち替える一瞬の隙に、双剣を携えて相手の懐に飛び込む。

 左手の剣を、若者の胸を狙って突き出す。振り上げられた槍が刃をはじくまでが想定済みである。腕を上げたことで、若者の腹ががら空きになった。すかさず右手の剣を走らせるも、身をよじられ、相手の脇腹を裂くに留まる。流れ出た血が、若者の衣服をみるみるうちに染め上げる。

 若者は動じなかった。

 先ほど剣を弾き上げた槍の柄が振り下ろされ、肩に叩きつけられる。同時に槍が引かれ、打撃とは違う、皮膚の上を刃が通っていく痛みが走る。穂先が、肩に傷を付けていった。


「あんた、なんでおれがこんな決闘まがいのことをしているか、分かっているか?」


 一度互いに跳び退き、間合いを作る。若者は槍を払い、穂先の血を飛ばしながら、聞いてきた。

 私個人に、若者が並々ならぬ執念を抱いていることは、ひしひしと伝わる。だがいかんせん、理由を問われても思い当たる節はない。

 私が答えないのを返事として受け取ったのだろう。若者はふんと鼻を鳴らした。


「あんたを父親に持った子供は可哀相だな」


 思いもよらぬ言葉に、今度こそ本当に絶句した。

 与太話の合間にも、若者は手のひらで槍を滑らせ、突きを繰り出してくる。動揺を悟られないよう、身を翻し、相手に詰め寄る。相手の胸ぐらを掴めそうなほど近くで、槍の柄を、交差させた双剣によって上から押さえつける。

 傷を負ったせいか、肩に思うように力が入らない。じわりと、汗が噴き出すように、血が滲んでくる。気を抜くと、双剣ごと跳ね上げられそうだった。


「おれにも父親がいるんだけどさ。あんたよりよっぽど立派な人だよ」


 誰にだって父親がいるのは当たり前だ。


「あんたみたいな、翼のある父親なんだ。……生えていた、って言った方が分かりやすいか?」

「——っ!」


 唐突に記憶が蘇る。

 私は、この二又槍に見覚えがある。二十年近く前に見たきりで、今の今まで、忘れていたが。言われなければ、忘れたままだったろうが。確かに、知っている。

 天想軍の幕僚だったピニオンが、所持していた得物である。

 思わず若者の顔に目をやると、薄い笑みが返ってきた。

 その瞬間、ふっ、と押さえつけていた獣が手からすり抜けるかの如く。反発していた槍が、地面に落ちる勢いで下げられた。必要以上に力を込めていた私はよろめき、体勢が崩れる。狙ったように、槍の柄が足元をすくう。

 地面に膝をつき、視界から若者の姿が消える。敵に背中を見せたことへの恐怖が、我が身を襲う。背後から、槍が振り下ろされる音が迫ってくる。

 双剣の刃を地面に突き刺し、立ち上がろうとした瞬間、翼を叩き折られた。

 開いた口からは、声にならない悲鳴が上がる。一度地面から浮いた膝が、再び地に落ちる。


「こんなところで死ぬなんて、無念だよなあ? 今なら、ピニオンの言い分が正しかった、って思えるんじゃないか? 有翼人の執着が、その身を滅ぼすんだからな」


 額に冷や汗が滲む。若者を振り返ると、目と鼻の先に槍の切っ先があった。

 ようやく、思い出すことができた。こいつはピニオンのところにいた人間だ。以前にはなかった傷ができたことで、少し人相が変わっているが、間違いない。奴の翼を切り落とす場に居合わせた若者は、ピニオンのことを“父さん”と呼んでいた。


「血の繋がった親子なのか……?」

「育ての親ってやつだよ。おれは混じり気のない人間だ」


 とどめを刺せる状況にあるというのに、若者が急所を突く気配はない。私を打ち負かすだけでは足りないというのか。趣味の悪い奴だ。

 だが、こちらとしては希望が見える。このまま話を聞いてやれば、いずれ隙が生まれるかもしれない。幸い、双剣の柄は握ったままだ。足も動く。すぐに攻勢に転じられる。


「あんたの子供には申し訳ないと思うよ。でも、仕方ないよな。だって、パパは悪い人だったんだから」


 若者は一瞬、本当に胸を痛めるような表情をした。


「うん、だから可哀相なんだ。本当に子供のことを考えているなら、ここで命を落とすわけがないし。どうせ、子供のことだって、憎い敵を滅ぼすための道具としか見てこなかったんだろ? 有翼人は、そのために命を繋いできたんだよな」

「知ったような口を……」

「ピニオンはあんたらの目を醒まさせようとしたのに! その結果があの仕打ちだ! 大した思想だよな、まったく!」


 若者が息巻いた瞬間、私は双剣を支えに跳ね起きた。

 ろくに敵を見ないまま、体を捻る。回転斬りの出来損ないが、槍に阻まれる。構わず足を踏み込むが、制御を失って垂れ下がる翼が、体の均衡を崩していた。

 私の動きは、若者にはさぞや、もたついて見えたことだろう。双剣を薙いだ先に、すでに若者の姿はなく、はっと視線を下げた時には手遅れだ。

 かがんだ位置から突き出された二又槍が、私の腹を深々と抉っていた。

 双剣を落とし、腹から突き出る槍の柄を両手で掴むが、血に塗れた手は滑るばかりで、大した抵抗にもならない。

 若者は、ぐるりと手首を捻りながら、ますます深く刃を突き入れる。私は槍によって、地面に縫い付けられるように引き倒された。

 体の下敷きになった翼は、元の形を留めないほど、ぐしゃぐしゃになっている。それでも痛覚は、翼がまだ私の体の一部として繋がっていることを伝えてきた。


「ピニオンに代わって、復讐でもするつもりだったか? だとしたら、崇高なことを口にしているだけで、御前も私達と変わらんな」


 声を絞り出し、せせら嗤う。もはや、強がることぐらいしかできない。

 若者はゆるりと首を横に振った。


「復讐なんかじゃないよ。まあ、あんたが叩き落とされる場所は地獄だといいなあ、ぐらいには思ってるけどね。でも、違う。だいたい、ここであんたを見つけたのだって、偶然だしさ」


 言われてみれば、その通りだ。人間の部隊が有翼人と通じていたからといって、それが私だとは限らない。復讐の機会を虎視眈々と狙っていた、にしては杜撰である。

 彼が言う通り、偶然見つけて、いい機会だから殺しておこう。となったのであろう。私も珍しく運がない。ここまでの凶を引いたのは、いつ以来だろうか。


「おれは世界を変えるために、英雄のもとへ来た。それが一番、目指すものに近いと思ったから。——翼がないことで、後ろ指をさされるような世界なんていらないんだよ」


 若者は吐き捨てる。


「おれは、父さんが陽の下を堂々と歩ける世界を作ってやるんだ。有翼人が、自分から翼を切り落としてしまいたくなるような、そんな世界にひっくり返してみせる」


 全身が痛くてたまらない中、それに増して、イタい思想を聞かされるとは。甚だ馬鹿馬鹿しい。だが、その目に宿る狂気は本物である。

 槍の柄を食い止めるのを諦めた私は、首から提げたアラベラの羽根を握る。

 これまで、様々な願掛けを行ってきた。この戦場から生きて帰れたら告白する、とか、あの敵将を討ち倒したらプロポーズする、なんて周りに宣言して、部下を無駄に心配させたりした。願掛けの効果かどうかは知らないが、私はアラベラと無事に結ばれた。

 結婚した後も、嵐の中の帰還を強行して、アラベラに怒られたことがあった。

 だから、今回も。無茶をしても帰れるなんて、心のどこかで甘く考えていたのかもしれない。

 アラベラには詫びるしかない。どうか、羽根を通じて私の謝意が届いてほしい。


 すまない、今回ばかりは駄目そうだ。

 ——でも、もちろん。ただで死ぬような真似はしないから、安心してくれ。


「……だとしたら、なおさら、私達の信念は知っておくべきだ。どうせ、ピニオンは話していないのだろう? なら、私が聞かせてやろう。かつての淫魔の所業を」


 身に染み込んだ昔話は、瀕死の時だろうと、淀みなく口から流れ出る。最初は怪訝そうにしていた若者も、流れが見えてくるにつれ、顔が強張っていく。

 もし、本当に人間がこの世界の覇者になるようなことがあれば、いずれは淫魔と対峙する。対策なくして、奴らには勝てない。その対策をどう立てるかは人間の勝手だが、私は、淫魔がどう人を食い物にしていくのかを語った。


「私の言ったことを疑うのなら、御前の父親……ピニオンに確認したらいい」

「なんで、……そんな、おれたちに警告するような真似——」

「勘違いするな。私は、御前達の繁栄を願っているわけじゃない。そんなこと、祈るわけがないだろう。——ただ、赦せないのさ。私達ばかりが堕ちて、連中がのうのうと生き続けるなんて見過ごせない。……御前、私に地獄に落ちろと言ったろう。なら、道連れを用意しろ。連中を引きずり落とせるなら、地獄だろうと何処だろうと行ってやる!」


 どれだけ非難されようと、身に染み付いた生き方は変えられない。最期の時まで、己を刺し貫いた本人よりも、ここにはいない淫魔への怨嗟が勝るのだから、筋金入りである。我ながら滑稽だ。

 だがこれで、一矢報いられたなら、満足だ。

 若者は複雑な表情で、腹を貫いていた槍を抜く。掲げ直された槍が目指す先は、今度こそ急所の心臓である。穂先が突き立てられ、我が身の内に、刃が潜り込んでくる。アラベラの羽根を、一層強く握りしめる。


 ——嗚呼、満足なんて大嘘だ。


 我が子の顔を見たかった。この腕に我が子を抱きたかった。何一つ、子供にしてやれることなく逝く父親が、満足なものか。無念に決まっている。

 目の端に涙が滲む。我が瞳は、この夕焼けを映し、赤く燃えていることだろう。地獄の空はこれより赤いか。

 ……きっと、すぐに分かる。



 *****



 形見となってしまった、たった一枚の羽根。

 それが、どれだけの御守りになろうと、彼本人を勝る安心感は得られない。体ごと包み込んでくれる翼に比べて、この羽根のなんと頼りないことか。

 大きくなった腹を抱え、有翼人の女は目を伏せた。

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