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予知夢から始まる英雄譚  作者: 鴉山 九郎
【4章 怠惰なる猫が見る栄光の夢】
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3.陽だまりの午睡

 ぼくとレパが盗み聞いた通り、あの日、大広間に集められていた少年兵たちは皆、司令官であるクフィル様とともにディニュー砦に配属されることになった。当初の予定とは違う配属先に、最初、仲間は戸惑っていた。だけど、ここも最前線の戦線だとわかると、彼らはすぐにいつもの調子を取り戻した。


「よお、トム。今日はトイレはいいのか?」

「訓練中ならまだしも、戦闘中にウンコしたくなったら大変だからな。ちゃんと行っとけよ」


 からかいと馬鹿騒ぎ。これが連中の、いつもの調子だ。

 シャーッと牙を剥いて威嚇すると、仲間の中でも悪童に分類される二人が、ふざけあいながら逃げていった。一ケタ坊主じゃあるまいし、連中はウンコウンコとうるさすぎるのだ。十四歳の少年兵の行動だとは思えない。

 というか、一時は——幻といえど、ゼッル様の直属の部下になったというのに、このザマではぼく自身、情けないと思う。

 唯一レパだけはぼくのことをいじらないが、それは当然のことだ。奴はぼくを置いて逃げたばかりか、大広間にも平然といて、抜け出してなんかいませんよー、と何食わぬ顔をしていたのだから。要領の良いレパを見習いたいとは思うけど。


「えーと、まあ、気にすんなよ」

「ふんだ。あいつらは——きみもだけど、ゼッル様と直接話したこともないくせに。ぼくはゼッル様にお褒めの言葉までいただいたんだぞ」


 どうだ羨ましいだろう、と言い放てる相手はレパだけだ。あの夜のことを仲間に言いふらすわけにもいかないし、ぼくとレパだけの秘密となっている。レパが逃げたあとの出来事は、たっぷり自慢をまじえて話して聞かせてやった。


「いいなあ。おれも残ってればよかった」


 レパは素直に羨ましがってくれるので、自慢話をしても気持ちがいい。

 砦の中庭の芝の上で、レパと隣り合わせに座りながら、真綿に包まれたような春の日差しを浴びる。朝と夕は戦闘訓練の掛け声が響いているような場所だけど、太陽が真上にいる昼間は人影も少なく、静かなものだった。

 猫属の習慣である、昼寝の時間だからだ。

 朝と夕、一番働きやすい時間に目がばっちり冴えているように、昼寝はしなければならない大事な営みだ。必要とあらば夜も起きていられるように、昼はぐっすり眠らなければいけない。

 ……のだけど、今日のぼくらはなかなか眠気が来てくれなかった。昨晩は夜の特別訓練もなく、ベッドで眠れたからかもしれない。

 できれば、ぼくは昼も夜もしっかり寝たいのだけど。


「しっかしなぁ、人間がなあ……。おれはてっきり、有翼人と戦うとばっかり思ってたから、なんかなあ……」


 睡魔がやってくるまでは、レパとおしゃべりだ。レパが小難しい話の一つでもしてくれたら、あっという間に夢の世界に行ける。

 レパは空を見上げながら、ぼやいた。有翼人が空から降ってこないだろうか、と言わんばかりのため息をつく。

 翼を持つ兵士たちを相手取る時、防衛の要であるはずの砦はなんの役にも立たない。塀や堀は彼らにしてみれば、ちょっとした段差にしかすぎず、ほとんど労力を使わずに越えられてしまうものだからだ。もし、ここで有翼人と戦えと言われたら、ほぼ野戦と変わらない有り様になるだろう。

 だけど、ディニュー砦は長年、ケンタウロスの侵攻を防いできた砦なのだ。ケンタウロスには“ちょっとした段差”こそが大いなる障害だった。

 人間も馬に乗るというし、ケンタウロスを防ぐ時と戦い方はそう変わらないのではないか、というのが司令官のクフィル様の考えだ。地上からの侵攻ならば、ディニュー砦は十分すぎる機能を発揮する。

 中庭の日当たりも良いし、ぼくはすぐにこの砦を気に入った。

 ぽかぽかとした陽気の中、皇都で教えられた歴史の授業をぼんやり思い出す。

 ケンタウロスの治世下で天変地異が起こった時、彼らは為す術なく、手をこまねいていた。それは彼らの悪政に対する天罰だった、と先生は言った。天罰にしては、ケンタウロス以外の民も巻き込まれているのが迷惑だと思ったけど、ぼくは黙っていた。

 天によって太陽は長い間隠され、民は弱り果てた。そこに現れた救世主が、ベスティニア皇国の初代大王だ。

 その頃まだ大王ではなかった大王は、自分が太陽を呼び戻してみせる、と宣言した。そして、実際に彼が天に向かって呼びかけると、陽の光が差したという。この功績から、彼は一国の王に祭り上げられた。

 なにが言いたいかというと、こうして日向ぼっこをしているだけで、大王の偉大さが身に沁みるという話だ。彼がいなければ、こうしてお日様の光を浴びることもできなかったのだから。

 レパと一緒にぼんやり空を見上げていると、青い背景に鳥の影が横切った。有翼人の翼ではないと頭でわかっていても、尻尾がぴくりと反応し、羽根はむしれと教わった爪がうずく。

 鳥の姿が見えなくなると、レパはばつが悪そうに爪を舐めた。


「おれ、クーガバーク領の出身なんだ。人間の村ともそれなりに交流あって、同い年くらいの子と一緒に遊んだこともある。だから、いきなり、あいつらは敵だ、戦え、なんて言われても躊躇しちまう」


 レパは有翼人と戦えないことを嘆いていたわけではないらしい。

 ぼくの出身地では、人間というか、獣人以外の人種を見ることすらまれだった。領地内で他人種がうろついていたら、捕らえられ、奴隷として都市部に連れて行かれるからだ。ぼくが住んでいたような田舎では、奴隷なんて買える裕福層はいなかったし、必然的に他人種との関わり合いもなくなる。

 皇都に来てからだ、他人種を間近でまじまじと見る機会があったのは。皇都に来てからの初めてはたくさんある。これも、そのうちの一つだった。奴隷として働く人間やケンタウロスも、今では見慣れた。

 この砦にも、人間の奴隷がたくさんいる。戦闘になったら彼らを盾にするのだと、クフィル様は言っていた。普段の生活でも、戦闘でも役立つなんて、便利な代物だ。

 最初は奴隷に世話されるのが気恥ずかしかったけど、彼らは家畜となんら変わらないのだとわかってから、なんとも思わなくなった。

 ぼくにとって他人種とは、敵であるか、誰かの所有物であるか、の二つだ。だから、人間の友達がいたというレパの感覚は、ぼくにはわからないものだった。


「その人間たちは獣人と敵対しないかもしれないじゃないか」

「うーん……そうなんだけど、そうじゃなくてさぁ」


 レパは言葉を探すように、首をひねったあと、苦笑した。


「いくら友達だったといってもさ、やっぱり立場は獣人の方が上なわけよ。だって、クーガバーク領もベスティニア皇国の一部だし、領主様は獣人だ。鬱屈とかたまってたのかなぁ、って。人間の軍には『英雄』とかいうカリスマがいるんだろ? 誘われたら案外、ほいほいついて行っちゃうかも、なんて」

「そしたら、敵じゃないか。倒すのを躊躇する理由なんてない」

「トムはドライだなあ。……この砦で働いてる人間の奴隷だってさ、心の底では何を思ってるか分かったもんじゃないよ。寝首掻かれたりして」


 グッと親指の爪を立てて、レパは自分の喉元を切り裂く仕草をした。ぼくはそれを、目を丸めて見る。


「ここの奴隷に反抗心なんてないよ。奴隷は躾済みじゃないと出荷されないんだから」

「そういうもんなの? おれんち、商家だったけど、クーガバーク領では奴隷の売買が禁止されてたからさ。そっちの方面には詳しくないんだわ」


 レパがなにか見ている、と思って視線の先を辿ると、洗濯物を抱えた人間がいた。シャツやら下着やらが大量に積まれた籠を持って、中庭を横切っていく。途中でぼくらの視線に気付いたのか、ぺこりと頭を下げたあと、人間は足早に去っていった。

 砦のすぐ近くに川が流れているから、きっとそこまで行って洗い物をするのだろう。


「おれだって、人間に敵意がないわけじゃないぜ? ピューマ公は良い領主だったし、彼が人間に殺されるいわれはないからこそ、むかむかする」


 言われるまで、忘れていた。そうか、クーガバークの領主はピューマ公だった。レパはぼくが思っている以上に、複雑な感情と戦っているのかもしれない。


「レパはなんで、軍に入ろうと思ったわけ?」

「あ、そういう踏み込んだこと聞いちゃう?」


 レパが苦笑いする。

 もしかして、庶民感丸出しのあけすけな質問だっただろうか。上流階級は相手に深入りせず、のらりくらりとした付き合い方をすると聞いたことがある。レパも、その手のふわっとした会話がお望みだったとは。

 ぼくに期待しすぎだ。


「ダメだった? じゃあ、答えなくていいよ」

「うーん、そういう言い方されると話したくなる。不思議」


 レパが不快に感じているわけではなさそうなので、内心でほっとする。


「それにおれ、トムのことは知ってるもんな。不公平はよくないよな。……この国の英雄になるためだよ、おまえと同じ」


 言ってから、レパは恥じるように顔の毛を掻いた。


「って言えたら良かったんだけどな」

「違うの?」

「残念ながら違う。おれは逃げてきたんだ」

「命を狙われるぐらい重要な人物だったのか、レパは! 商家の息子でも、暗殺って心配しなきゃいけないんだねえ」

「ち、違うって。暗殺なんてされるわけないだろ! 家からだよ! 逃げてきたのは! ……商売とか、家族とか、嫌になったから」


 反抗期って誰にでも平等に訪れるものなんだなあ。ぼく自身、その渦中にいる年齢なのだけど、他人事のように思う。

 すると、レパが目を三角にした。


「今、反抗期かぁ、とか思っただろ」

「まあね」


 レパはため息をつく。


「ま、実際そうなのかもな。おれ、次男なんだ。家は兄貴が継ぐことになってた。だから、おれは兄貴の補佐をするか、家を出るか、その二択だったんだ」

「お兄さんと仲悪かったの?」

「仲は良かったよ。歳も離れてたし、可愛がってもらった。小さい頃から、兄貴の行くところ全部ついていこうとしたり、兄貴の真似しようとしたりしてね。だから、当然のように将来も、一緒に商売してんだろうなあ、って思ってたよ」


 そこで、レパは牙を噛みしめた。この先を言うか言うまいか、迷っているようだった。

 ぼくはどちらでもよかったので、中庭をひらひら舞う蝶を目で追いかける。


「でも残念ながら、兄貴に商売の才能はなかったらしい。親父が、このままではおまえを跡取りとして認めることはできない、って言うぐらい。それで焦ったんだろうね。兄貴は、手を出しちゃいけない商売に手を出した」

「奴隷?」


 さっきレパが言っていたことを思い返す。

 レパは首を横に振った。


「奴隷は、商品として隠せる大きさじゃないだろ。……薬物だよ。クーガバーク領で禁止されていた薬物の売買で、莫大な利益を上げたんだ。兄貴は結果だけを親父に見せた。親父は兄貴のしでかしたことを知らないから、大喜びさ」

「レパはなんで、お兄さんがした商売のことを知ってたのさ」

「言ったろ、おれは兄貴の行くところについていく癖があったって。商品の取り引きをしているところを、こっそり見ちまったんだよ。で、そのことを親父に告げ口する勇気もなく、だからといって、兄貴の商売の片棒を担ぐ気にもなれず。思い悩んでたところに、天の啓示があったってわけ」

「少年兵の徴募か」

「そ。アリオク閣下には感謝してるよ。だから、相手が人間でもちゃんと戦うさ」


 抱え込んでいたものを吐き出したことで、レパは自分の中で一つの区切りをつけたらしかった。話す前とは見違えて、顔を洗ったあとのようにすっきりした表情をしている。

 ぼくは話を聞きながら、改めて、ぼくとレパは生まれも育ちも違うのだなと実感していた。レパの育ちの良さそうな発言には感心させられる。しがない鉱夫の三男坊として生まれたぼくには、到底できない考え方だ。

 彼が逃げてきたというのなら、ぼくだって逃げてきたようなものだった。

 ぼくが生まれた村は、痩せた土地で、農業なんてろくすっぽできなかった。種芋を植えれば腐ったジャガイモとして出てくる、そんな土地柄だった。

 レパは領主様のことを親しげに話したが、ぼくは自分が住む土地を治める領主の名前すら知らない。誰だろうと、興味がなかった。その誰かさんは、貧しい土地をなんとかしようとして、地下の王国に住むドワーフから鉱山地帯を奪い取り、無意味な農夫を鉱夫へと変えた。

 鉄を掘り出すことで、領地の財政はうるおったかもしれない。あるいは、領主のふところが。だけど、農夫は鉱夫に変わっても貧しいままだった。父親が働いても働いても、ぼくの家は貧乏であり続けた。

 今なら、どうしてそんなことになっていたのか、わかる。皇都に来てから知識だけでなく、視野の広さも手に入れた。

 まあ、つまり、簡単に言えば、汚い領主が搾取していたわけだ。でも、それに文句を言える奴はいない。領主は絶対だからだ、領地経営の采配はすべてその地の領主にゆだねられているからだ。そこには、たとえ、王宮の獣人であろうと口出しできない。

 父親が落盤事故で足を悪くしてから、家計はさらに苦しくなった。兄二人は父親と同じように鉱夫になったが、未成年の二人がいくら働いたところで、父親のもとの給与分も稼げなかった。そして、ぼくもそろそろ働ける歳になるだろうという頃、少年兵の徴募がされた。皇都からの使者が発した、身分問わず、という一文を聞いた時、ぼくの道は決まった。

 普通、兵士になるのはその階級に生まれた者だけで、平民の子が募兵されるなど、それまでは絶対になかったのだ。これは、犬属の元帥サンダリオが戦死してから、アリオク閣下が改革をおこなったために実現できたことだという。

 だから、ぼくにとってアリオク閣下は救世主に等しい。ぼくを、あの息苦しくてたまらない村から救い出してくれた方だ。

 皇都の寮に入れば、衣食住がすべて保障されている。五人兄弟で雑魚寝をしながら育ったぼくにとって、一人一人にベッドが与えられるというのは夢のような話だった。


 食い扶持を減らすため、ともっともな理由をつけて、ぼくは家を捨てた。

 一生治らない足を引きずる父親を養いたくなかったからだ。まだ幼い弟たちの面倒を見るのがわずらわしかったからだ。

 働いても働いても絞り取られていくだけの鉱夫になるのは嫌だった。

 鉱夫はいくら働いても鉱夫のままだけど、兵士になればそれも変わると思った。最初は一兵卒でも、功績を挙げれば出世の道が用意されている。アリオク閣下がそう約束した。ゆくゆくは部隊長に、軍団長に、なれるかもしれない。ひょっとしたら元帥になれるかも、なんてそれはさすがに現実味のない夢だとわかっているけれど、そんな妄想もしてしまう。

 それがどれだけ細く険しい道だろうと、最初から閉ざされているよりかは希望が見えた。ぼくはそれを、猫属にそなわった優れたバランス感覚で渡ってみせる。

 レパがさわやかな悩みの切り離し方をしたかたわらで、ぼくは改めて自分の望みが浮き彫りになっていた。

 良い夢が見れそうだ、とうとうとしかけた矢先、遠くで甲高い悲鳴が上がった。

 自分が意識しなくとも、耳は声がした方へと向きを変える。こういう時、ぼくの耳や尻尾は本当にぼくのものなのだろうかと、疑問に思う。尻尾を踏まれたり掴まれたりすれば、間違いなく自分の一部なのだと嫌でもわかるけど。

 声が聞こえた瞬間に、レパは跳ね起きていた。そして、ぼくに、当然ついてくるだろうという視線をよこすと、そのまま返事も待たずに駆け出していく。

 去っていく背が逃げる獲物の背と重なって見えて、本能が働いたのだろうか。ぼくは自分の意思で決めるより先に、レパのことを追っていた。

 うん、ぼくの体はたまに、ぼくではなくなることがある。これは確かのようだ。


 悲鳴は砦の外の、川辺の方から聞こえた。

 砦の通用門をくぐって外に出ると、すぐに川のせせらぎが耳に入ってくる。見張りの兵は微動だにしていないから、たいした騒ぎではなかったのだろう。

 そう思うと同時に、また悲鳴が上がった。

 川辺で、少年兵に絡まれた人間がおろおろしていた。そういえばさっき、人間の奴隷がここに向かっているのを見かけた。その時の彼かもしれない。

 レパがぱっと飛び出していく。


「おい、やめろ。仕事の邪魔してんじゃねーよ」


 彼がいくらか不機嫌そうな声で言うと、からかい半分に人間をおどかしていた猫属の少年兵が二人、にやにやしながら動きを止めた。その顔は見覚えがありすぎる。さっきまで、ぼくをからかって遊んでいた暇な奴らだ。追い払ったら、別のターゲットを見つけて楽しんでいたらしい。

 人間はぼそぼそとレパにお礼を言ったかと思うと、すぐに奇妙な声を上げて、流れていきそうになった洗濯物に飛びついた。手をすり抜けて離れていこうとする帯を追って、人間はざぶざぶと川に入っていく。

 洗濯物の入っていた籠は横倒しになっていて、中のものは土にまみれたり、川の水に浸っていたりした。これから洗うものをわざわざ汚す必要は人間にはなくて、つまり、これは連中のおふざけということだろう。

 少なくとも、手伝おうとした結果でないことはわかる。


「ハハ、おっかしーの! 慌てすぎだろ」

「ちょっとおどかしただけで、あれだもんな。俺らが本気出せば、人間軍なんて尻尾巻いて逃げ出すぜ」

「ばっか、人間に尻尾はねーよ」


 川を漂う洗濯物をあたふたと回収する人間を指さして、連中は下品に笑う。ぼくだって生まれは良くないけれど——良くないからこそ、ここまで品がなさそうな振る舞いはできない。

 ぼくが顔をしかめるほどなので、レパは二人を見て、飛んでいるハエがいたら叩き落とせそうな勢いで尻尾を左右に振っていた。犬属ならば、これはもうめちゃくちゃ喜んでいるということになるのだけど、あいにくレパは猫属だから、それとは正反対の感情を表している。


「おまえらの下着が流れていったかもな」


 レパが皮肉げに言う。人間は腰布を拾い上げて、水を絞っていた。


「手を離したあいつが悪いんだろ?」

「あの中に上官の衣服もあるかもよ? そしたら、怒られるのは人間じゃなくて、きみらだとぼくは思うなあ」

「おやあ、トムリン。知らないのか? 奴隷は俺らの暇つぶしのためにいるんだよ。上官も、怒鳴りたくなったら奴隷に向かって怒鳴るさ。俺らじゃなくて」


 こいつの頭の中ではどんな便利なシステムが構築されているのだろう。呆れたけど、思ったことがつい口をついて出た。


「なら、ぼくを暇つぶしに使うのをやめろよ」


 二人は顔を見合わせて笑った。


「あれは暇つぶしじゃねーよ。トムリンと遊ぶ時間なの」

「そうそう、俺たちの大事なコミュニケーションだろ?」

「言葉を変えただけで変わんないからな。ほら、それをいうなら、今は昼寝の時間だろうが。中戻って寝てこい」


 ぴしゃりと言うと、レパは二人を追い立てた。

 二人はぎゃはぎゃはと騒ぎ立てながら、砦の中に走っていく。気持ち良く眠っている人たちの目を覚まさないといいのだけど。そう思ってからやっぱり、寝起きで機嫌が悪い上官に見つかりでもして怒られればいいのだ、と思い直した。

 人間は川からだいたいの洗濯物を拾い上げて、岸に向かってくるところだった。彼が川から上がってくる前に、レパは籠を立て直して、土埃のついた洗濯物を中に放り込む。

 川から上がった人間は、去る気配のないレパに戸惑いながら、自分の服から水を絞っていた。レパが帰ろうとしないので、ぼくだけが去るわけにもいかない。手持ち無沙汰に尻尾をゆらゆらさせながら、ぼくは人間の動きを観察する。

 人間がこちらを気にしつつも、仕事に手をつけ始めた頃、レパが声をかけた。


「大変だな。昼寝もせずに、真昼間から仕事なんて」

「昼寝……?」

「人間は昼寝しなくても平気なのか? そういえば、ケンタウロスも一日の睡眠時間が四時間って聞いたことあるな。他の人種は、そんなに寝なくてもいいのかあ」


 人間が困惑した声を上げると、レパは一人で勝手に納得していた。

 そうだ、彼が言ったように猫属には昼寝が必要なのだ。今は昼寝の時間なのだから、ぼくも早く帰って昼寝を始めたいのに、レパはまだそこから動かない。


「猫の人は、昼寝をするのですか?」


 手を動かしながら、人間はレパの話し相手になる。これも奴隷の仕事のうちだと思っているのかもしれない。

 それよりも、彼が言った“猫の人”という表現の仕方が、ぼくには面白かった。


「うん、上官も、司令官のクフィル様も、今は昼寝してる。決まりだからさ」

「昼寝が決まり、ですか」

「昼寝は大事だよ。この世の中で一番大事なことだ」


 ぼくが大真面目に言うと、人間は首を傾げた。


「以前、砦にいたのは犬の人たちでしたから、そういうことはなかったですね」

「ぼくらが怠けてるように見える?」


 ぼくが聞くと、人間はくすっと笑った。


「いいえ。犬の人たちは無駄に動き回っているように見えましたから。あなた方はきっと力を温存しているのでしょう。いざという時のために」


 人間の評は、ぼくが思う格好良い理想像におおむね近く、満足する。なんだか、いい気分だ。この川原も日当たりが良くて、昼寝によさそ——いや、洗濯物を干すのによさそうだし。

 隣で、レパもどことなくとろんとした目をしているし。

 日光浴に最適な場所を見つけてしまったかもしれない。


「あの、眠いのでしたら、どうぞ寝てください。私が起こしてさしあげますから」

「ほんとに? じゃあ、お願いしようかな。きみが砦に戻る時に起こしてくれればいいから」

「はい。……あ、洗濯の音が邪魔になってしまうかもしれませんね」

「そんなことないよ。水音って心地良いよな」


 ぼくはあまり共感できなかったけれど、レパが同意しろと目で訴えかけてきたので、頷いておいた。

 人間があまりにも控えめで気を遣ってくるものだから、ぼくらの方が逆に気を遣う羽目になっている。少しでもこちらがムッとしようものなら、すぐさま頭を下げて謝ってきそうな気配があるから、レパが思いやるのもわかるけれど。


「じゃ、仕事がんばれよー。おやすみ」

「はい。おやすみなさい」


 レパがあくび混じりに言うと、人間はくすりと笑った。緊張がほぐれたのか、最初に見た時よりも表情が柔らかかった。

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