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予知夢から始まる英雄譚  作者: 鴉山 九郎
【1章 暴食の宴は蛛網の円卓にて】
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1.逃げる献立

『アラクネ。八つの目と細い六本の脚を持つ人種。上半身は人間と変わらない姿をしているが、腰より下は巨大な蜘蛛に飲み込まれたかのように肥大した尻をもつ。マザーと呼ばれる女王は、他の者よりもひと回り大きい。』


 *****



 腹を満たすことが目的ではない。餌食を掻き込みその先の糧を得るために。



 *****



 足元にでかいトカゲが転がり、うめいていた。鎧を身につけた肩を細足で踏みつけてやると、屈辱に体を震わせる。アラクネの華奢な脚など、普段であれば手でつかんでどかすどころか、そのままもいでしまうような連中だ。

 リザードマンはこの敗北をどう受け止めているのか。いや、そもそも受け入れられているのだろうか。

 残酷な現実ってやつを。


「お母様が来る前に、こいつらを縛り上げておきなさい。あ、もちろん、生きているやつだけでいいわよ。死体は逃げないからね」


 戦闘の余韻をいまだ引きずっている妹たちにそう命じると、彼女らは名残惜しそうな顔をした。まだ息のあるリザードマンが、起き上がって刃向かってくることを、どこかで期待しているようだった。

 わたしはそんな武闘派の妹たちの思考についていけず、嘆息する。

 戦闘は完全なるアラクネの勝利。これ以上なにをしようというのか。

 妹たちの蜘蛛に似た胴体の側面には、交差する剣のボディペイントが施されている。このボディペイントはわたしたち姉妹の間で流行っている代物で、それぞれが自分の好きなように図柄を描く。

 かくいうわたしも流行りに乗せられて、背筋にずらっと背骨の絵柄を浮かび上がらせていた。地味だなんだと言われて、側面に姉たちが勝手に髑髏まで描き足してしまったが、それはそれで悪くない。

 ソフィーにはこれぐらいおどろおどろしい方が似合っている、なんて失礼なことを言った姉たちは、わたしが嫌がることを期待していたのだろうけど。

 中にはこれを、仲の良い者同士、同じ図柄にする姉妹もいて、武闘派の妹たちもその一つだった。交差した剣なんて、実にわかりやすい意思表明だ。白いペンキで描かれた剣は、すでに返り血に濡れて十分に赤く染まっていた。


「できるだけ新鮮な状態を保ちたいんだからね、勝手に殺してはだめよ」


 踏みつけたリザードマンから、さっきとは違う震えが伝わってきた。

 妹たちが戦利品に糸をかける作業を始める。こちらに近づいてきた妹に、脚をどけて足元のリザードマンを明け渡してやる。捕縛するために彼女が尻から吐き出した糸が一本、リザードマンの足に巻きついた。

 そこへ、親愛なる我らが母——マザー・ヴェールピナスの声がかけられた。


「その必要はありません、ソフィー。トカゲ肉など、不味くて食うに値しませんからね」


 わたしたちよりも一回り大きな体を木立の間から現して、お母様はリザードマンに侮蔑の視線を向ける。

 すると、妹の一人がけらけらと笑って、そばに転がっていたリザードマンの死体に唾を吐きかけた。

 これは食い物ではない。だとしたら、ただの生ごみだ。早急に焼却処分しなくては。悪食な誰かがごみを口に入れて、お腹を壊す前に。

 わたしが踏みつけていたリザードマンは、不躾にもお母様を睨んでいた。

 食われるかもしれないと思って怯えたくせに、食う価値もないと言われると怒りを覚えるらしい。複雑な戦士心だ。わたしにはわからない。

 うめき声とも、叫び声ともつかない声を上げて、そのリザードマンは地面を蹴って跳ね起きる。お母様に向かってまっすぐ突進しようとするそいつの、足にからみついた糸が目の前をふわりと横切る。考える前にその糸をつかみ、リザードマンを引き倒していた。

 期待していた場面が訪れたというのに、妹たちはぽかんと口を開けて見ているだけだ。舌打ちをこらえ、代わりに魔法の詠唱をする。

 無様に地面に倒れこんだリザードマンは、諦めきれずにもがいていた。細くても丈夫な糸は、それだけ動きまわられても切れる気配を見せない。

 そいつに向けて、魔法で形成した炎を放出する。

 炎に包まれもだえるリザードマンの叫び声に、妹たちがたじろぐ。彼女たちは火が怖いのだ。だから、いつもわたしのことも避ける。呪文を唱えなければ、わたしの手から炎が出ることもないというのに、馬鹿な妹たちにはそれが理解できない。

 無意識のうちに、焼き肉をするためにちょうど良い火加減にしていたことに気づき、途中で火力を強める。消し炭にしても問題ないのだから、感情の赴くままにやらせてもらう。

 焼かれているのは食材ではないし、わたしも料理係ではないし。料理係に転属する予定もないし。

 わたしは、マザー・ヴェールピナス一派お抱えの魔術師だ。唯一にして絶対の。

 そんな思いを込めてリザードマンを焼き尽くすと、あとには炭しか残らなかった。その成果に、お母様は満足げに八つの目を細める。お褒めの言葉をいただけそうだ、と高揚する胸をおさえられない。


「お見事、お見事。身の毛もよだつ光景だ。屈強と名高いリザードマンもこの有り様とはね。くらりと来ちゃうぜ」


 だというのに、聞こえてきたのはお母様のものより低く、軽い男の声だった。ご丁寧に、拍手まで送られてくる。

 あたりがざわりと殺気立ち、妹たちが戦闘態勢をとる。声がした方に顔を向けると、そり立つ崖の上にいくつもの人影が見えた。

 せっかくのお母様に褒められる機会を邪魔してくれたのはどいつだ。端から端まで睨みをきかせると、中央に立つ男が卑俗に笑った。

 その笑い声は、兜のつもりか仮面のつもりか、顔全体を覆う山羊の頭蓋骨のせいでくぐもって聞こえる。

 顔を隠した男たちは、割れた蹄の二本足で器用に崖をつかみ、こちらを見下ろしていた。体全体にねとつくような視線を感じて、気持ちが悪かった。

 お母様が首をかしげて呟く。


「サテュロス……?」


 話には聞いたことがある。ここより北方のツムジ山脈で移牧をして暮らす、山羊脚の民族だ。

 お母様の声には、なぜこんな平地に、それもリザードマンが住みやすい沼地にほど近い場所に、サテュロスがいるのかと訝しむ響きがあった。

 こちらの警戒をよそに、男たちは武器を構えもしない。この集団のリーダーらしい中央に立つ男が、飄々と大仰に腕を広げる。


「お嬢さん方、こんな血生臭いことはやめて、オレ達と未来の平和について考えないかい?」


 妹たちが再びぽかんと口を開ける。これが油断させるための彼らの作戦だというのなら、たいしたものだ。絶対に違うけど。

 それよりも、わたしはその文句に彼らの正体を突き止めた思いがした。今回の遠征の最中、嫌な噂をいくつも耳にした。


「あの男が何を言っているのか、誰か分かりますか?」

「端的に言うと『子作りしよう』という意味です、お母様」


 山を下りた、サテュロスの過激派。


「おそらく、奴らは過激派の徒党『バフォメット』。大陸の戦乱を、混血児を増やすことで鎮圧しようと考える、おそろしく気が長く、おぞましい連中です。奴らに陵辱された女は数知れないとか。また、純血種を根絶やしにするため、他人種の男を殺して回っているという話も聞きます」

「詳しくありがとう、ソフィー。嫌なことを説明させてしまいましたね」


 お母様は顔をしかめて、汚物を見るような視線を男たちに向けた。

 『バフォメット』の首領は、人を馬鹿にするような拍手をもう一度響かせた。


「そちらのお嬢さんは、オレ達のことをよくご存知のようだ。嬉しいね。だが、一つ言わせてくれ。オレ達のことを気が長いと言ったが、よく考えてみてくれよ。この戦乱、いったいいつから続いているとお思いで? オレ達が生まれる前からじゃないか? 戦乱中に生まれたオレはすでに、こんな立派な大人。あ、オレ、今年で二十歳なんだけど」

「立派な、という部分には首を傾げますが、まあ言いたいことは分かりました。オマエ達の理念についても、同意はできなくても理解はしました。しかし、やっていることはそこらの賊となんら変わりませんね。あれこれと理屈を並び立てるだけ、オマエ達の方がたちが悪いとも言えます」

「た、タチが悪いって……! 兄貴に限って、そんなことあるわけねーっす! 兄貴はいつでも——」

「ここで下ネタは最悪だな。オレでも言わない」


 なんだかよくわからないが、『バフォメット』の党員がひどく汚らわしいことを口にしたのはわかる。

 この時だけは、首領とお母様は同じ気持ちだったのかもしれない。同時に鼻白んで、空気が一瞬凍りついた。

 しかし、直後にお母様が微笑んだために、こちらの空気はすぐに融解した。


「子らよ、喜びなさい。今夜はラム肉ですよ」

「オレ達を今晩の献立に並べてくれるのかい? そいつは嬉しくないが、一つ正したい。ラム肉は羊のことだぜ、オレ達は山羊だ。……って、違う! オレはサテュロスだっての!」

「あら、ごめんなさいね。腹に収まればどちらもそんなに違いはありませんし、そんなに怒らないでくださいな。大丈夫ですよ、蹄までぺろりと平らげてさしあげますから」


 言いながら、お母様が妹たちに指示を出す。ほっそりとした白い指がまっすぐ、崖上のサテュロスを指差していた。

 妹たちは舌舐めずりをして、じりじりと崖下に集まっていく。その様子に、サテュロスたちは腰が引けたようだった。今すぐ後退したい、とでもいうように蹄の片足が浮く。

 妹の一人が崖壁に手をかけると、首領が岩を蹴って飛び上がった。それに続いて、党員たちが次々と崖の上に姿を消していく。

 逃がすまいと、何人かが勢いよく糸を飛ばしたが、高く飛躍した男の足には届かない。

 あっという間に、男たちの姿はなくなってしまった。崖をよじ登り、妹たちも追跡を開始するが、おそらく捕らえることはできないだろう。最初から、危険を感じたら逃げるつもりで、あの位置から話しかけていたに決まっている。卑怯な連中だ。

 こちらには不快感だけが残る。最悪だ。

※「蛛網ちゅもう」……蜘蛛の巣のこと。

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