63、狐、本性を魅せる
エクシブに渋々従う男は、何も諦めているわけではない。
相手は狂神とは言え、監視のいない馬車。しかも女連れのはずである。
微かな隙さえあれば……。抜け目なく機会を窺いつつ歩く男だったが、ふと、急な寒気を感じた。
眉を顰め、ふと見た腕は、鳥肌が立ち気のせいと言うには何かが違う。夏も終わりとは言え、そこまでの寒さを感じるほどではない。だが、一歩。一歩進むに連れ身体は振動をし始め、奥歯が割れそうなぐらいに鳴り出し、身体を縮こませてしまう自分に驚く。
前を見れない。
愕然とし身に起こることへの疑問符が頭に浮かぶが、そこで男は自分の異常が寒さではないことに気付く。
いや、気づいてしまった。
恐る恐る、まるで自分の行動を隠すように両腕が我が身を抱えていく。だが、『何もわからない原因』ほど恐ろしいものはない。せめて、りゆうだけでも……。
ゆっくりとゆっくりと顔を上げていく。
先にあるのは、馬車だった。
少し古臭さを感じるデザインだが、商人が好んで使う幌付きのもの。
そこに佇む何か。その何かがとにかく恐ろしい。
直視できず、薄ぼんやりとしたそれを視覚に捕らえて、男は固まった。
それは少女だった。
特にこちらに興味を持つことも無く、適当に視線を遊ばせていた。
だが、男にはわかる。過去の経験が、生きてきた全てが『逃げろ!』と叫んでいた。
二人に気付いた少女の目は紅く輝いて見え、妙な神秘的な魅力と共にある一種の雰囲気を醸し出していた。エクシブのような強者のものでもなく、威圧的な権力者のものでもない。
男は呼吸を乱し、進むことを止め、エクシブの手に掴まれた襟首を強引に振りほどき逃げることだけが頭の中に浮かんだ。
男の見たそれは……、絶対的捕食者による視線のそれである。
今にも暴れだしそうな男にエクシブはため息をつき言う。
「ココ、そろそろ解放してやれ」
エクシブの発した言葉と同時に、男は押さえつけられていた何かの消失を感じた。
ふと自分の手をみる。
震えはとまっている。
原因と思われる者を恐る恐る覘くが、そこにいたのは娘が独り。
確かに何かを感じた。恐れた。絶望した。
だが、それは隣の傭兵とはまた部類の違うもの。
そのとき見た景色とはなんら変わるものではない。
馬車と娘、ただそれだけ。
言い得も知れぬ恐怖に先ほどとは違うものを感じてか、男は黙ってエクシブに従うことにした。
馬車にたどり着き、違和感は確かなものとなった。
不思議には思っていた。
何故、娘しかいない馬車がまったく襲われなかったのか。
最大戦力とも言えるエクシブが離れ、ワイアットの隊もいない、『明らかに弱み』となるはずの馬車。
男から見えない反対側には数名の同士が屈していた。あるものは気絶し、あるものは膝を付いて正気を失い、あるものはぶつぶつと何かを呟き続けているなど、多くの者が折られていた。
エクシブは言った、『開放してやれ』と。
それは自分のことではなく、こちらのことだった。
すべてに気付いた男は問う。
「お、お前は……いったい?」
ココはクフフと笑い男に告げる。
「ただの見習い行商人よ。ただしウチを邪魔する者にだけは……」
妙な間に男は何かを飲み込み先を待つ。
ココは瞳を赤く光らせ続けた。
「それを喰わねばならん立場らしいがよ?」
感じた捕食者の気配を微かに匂わせるココに、男はその場で膝を落とし屈服した。
はったりではなく、事実なのだろう。
「聞きたいことは色々ある。後ろに乗れ」
エクシブの言葉に従う以外の生きる道を、男は見つけられなくなっていた。




