4 傭兵、遭遇する
闇夜の中、月明かりに照らされ神々しく光る、白い巨大な体躯に赤い瞳。
そして、まるで一つ一つが別の生き物であるかのように複雑に、しかし優雅に舞う九本の尾。
エクシブが身構えると、それは明らかな敵意をもって体勢を変える。
『クゥオオォォォォン』
満月に向かい甲高い声での遠吠え。
空気がびりびりと揺れ緊張感が走る。
酒場の娘ナターシャの言っていた狐にしては随分と迫力があるものだ。
しかしこれが、化かした娘の言う九尾の狐なのであろう。
無言でエクシブは荷物を足元に降ろし、静かに片手剣を構え直す。
その姿を見て狐は目を細めると御神木から降りて近付いてきた。
エクシブは構えたまま動かないが口元は笑っている。
近付く程にわかるその巨体、そして神々しい迄に月明かりを反射するように輝く体毛。ただの森の主などの類いではないことはエクシブにも知れた。故に油断無く構えたままのつもりだが、人の理解出来ぬ領域にすむ獣との邂逅に高揚感は隠せない。
そんなエクシブを警戒してか、近過ぎず、離れ過ぎでもない距離まで来ると獣は口を開いた。
『今宵は満月……よもや制約を忘れたとは言わせぬぞ』
地響きのような声を聞きながらも動かないエクシブ。
その様子が気に入らないのか鋭い牙を剥き威嚇する。
『罪には罰。ぬしの死を以て償ってもらうぞ』
身構えた狐にエクシブは嬉しそうに声を出す。
「本物だ……」
恐怖なんぞ微塵も感じず、あまりにも嬉しそうに言うのでたじろく。
『たわけが!!』
しかしそれも一瞬のことで狐は叫ぶのと同時に襲ってきた。
遠くからでも十分大きいが近くで見るとさらに大きい。
相手からエクシブは鼠ほどにしか見えないのだろう。
瞬間、エクシブは構えた剣を十字にして、備えると、金属の激しい音が響き火花が散る。
恐ろしい速度で襲い掛かる爪になんとか対応し片手剣と大剣で受け止めることができた。
「くっ!?」
エクシブに予想以上の衝撃が襲い掛かり、足が地面へと軽くめり込んでいく。
どうやらそのまま押し潰す気のようで、その重圧は長時間人一人が耐えきれるものではない。
なんとか刃で爪を滑らし受け流すと、後ろへと下がり間合いを広げて呟く。
「ははっ、洒落にならんな」
流石は獣、巨大な体躯から繰り出される打撃の衝撃もさることながら、見た目とは違う身軽な動きも厄介だ。
傭兵としてそこそこの戦歴を残すエクシブだが、人相手とは同じようにはいかないようで攻撃に回れるほど感覚がつかめない。
それからも獣らしからぬ攻め方をする狐に、エクシブはなんとかついていくが、物凄く俊敏かつ正確な爪や牙を、受け流すか避けるので精一杯なのである。
エクシブは一呼吸おいて相手の手強さに舌打ちをした。
身体中に汗が吹き出るのを感じつつ、狐を凝視する。
あの大きく鋭い爪や牙が当たれば無事ではすまない。当たり処が悪ければ最悪、死すら免れないこともわかりきっている。
「厄介だな……」
苦笑いしながら一人愚痴る。
後ろに下がるエクシブに本能で後追いをかけるようならまだ勝機もあるのだが、狐はそうしない。
あの姿に冷静な戦略まであるのだからたちが悪い。
少し詰まり手気味のエクシブだが、狐も同時に違和感を抱いていた。
今までの者たちは無様に命乞いをするか自棄になるかだったが、目の前の剣士の行動は今までのそれとはまるで違う。
『あれではまるで……』
エクシブの様子を不思議に思い、間合いを保ちつつ警戒しながら問う。
『これだけの劣勢に恐怖を感じぬようだが、我を前に気でも振れたか?』
急に問いかけられ驚くが、エクシブはにやりと笑い答えた。
「オレは今、伝説を目の当たりにしている。お前が相手なら死すら本望」
『なっ!?』
狐は警戒を強め低く唸り牙を剥く。
『この状況下で人ごときが我を愚弄するか! ならば望み通り死ね!』
言葉も終わらぬうちに疾風の如く飛び掛かると、その勢いで右前足の爪をエクシブ目掛けて振ってきた。
とっさに片手剣を地面に突き刺しそれを妨害すると、剣と爪がぶつかり甲高い音が響く。
相手は剣を折るつもりらしく、ぎりぎりと爪が擦れ嫌な音を出している。
互いに動けない状態と読んだエクシブだったが、敵の攻撃は止まらない。
剣で防御し、かたまったままのエクシブに対して、狐は大口を開けて牙を向けた。
「くぅっ!」
寸でのところで横に飛びそれを避けると、狐は一瞬遅れてエクシブが居た空間を噛み砕かん勢いで顎を閉じた。
「やばかったが、だが、なにか……」
何を焦っているのか、狐は今までの追い詰めながら相手を観るような戦いから、急にがむしゃらな獣らしい攻撃に変わったのだ。
怒りに我を忘れたか? それにしては荒々しく、寧ろお粗末な攻めにすら見えてしまう。
だが、その威力が変わったわけではない。まるで鋼どうしを力一杯ぶつけ合ったかのような、巨大な牙を閉じる音が響き、それに身震いする。
気を抜ける状態ではない。エクシブは大剣を構え直すと、素早く攻撃体制に入った。
無理が祟ったのか、前に首が突き出る形で、おかしな体制になった狐が一瞬動きを止めたのだ。
やっときた、またとない反撃の機会である。
柄を持つ腕にありったけの力を入れ体を捻り遠心力を足し、降りた首を目掛け力の限り振り落とした……。
が──。
エクシブは瞬間、狐の赤い瞳がゆっくり閉じられるていくのを見た。
「くっ!?」
エクシブは無理矢理腰を捻り体の向きを強引に変え、寸での所で剣の軌道を変える。重々しい音と共に軽い地響きを起こして狐の鼻先を掠る様に面前に剣を振り切ると、狐の牙より大きい刀身が地面へとめり込んでいった。
静かに風が起こり樹々が軽くざわつく。
両者は動かない。
そんな中、始めに口を開いたのはエクシブだった。
「まさか……」
そのまま、信じられないといった顔で狐に問う
「まさかお前…………死にたい……のか?」