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1 傭兵、大地に立つ

 深い森の中、妙に広がった場所に立つ巨大な樹の下、一頭の獣が寂しげな瞳で月を見る。

 この深き森に捕らえられてから、どれ程の月日が流れたのか。

 かつてはこの獣を服従させようと多くの者たちが来たものだが、もはや善くも悪くも忘れられた存在なのだろう──。

 獣は必要ともされず消されることもなく、ただただ生き永らえる身を何度も怨んできた。



 獣はふと呟いた。



「永遠に続く孤独は死と同義だというのに──。朽ちぬ体躯が憎らしい」


 暗闇の中、月明かりに輝く白銀の獣は静かに森へと消えていく。




 五大国の内、三ヶ国の領土が広がる大陸と多くの小島が海路となるこのあたりは夏に近づいていた。

 陽射しが強くなるかわりに海の風は少ない。

 帆が使えなければ人力に頼らざるをえない船の底で、罪人や奴隷たちが見張りの鳴らす太鼓の音に合わせて同じ間隔で船を漕ぎ続けている。

 船底に近く、オールの出ている穴より入る海水が漕ぎ手の身体に降り注ぎ、渇いた塩とカビに汚された服と足に絡まる枷が彼等を弱らせる。

 そんな奴隷や罪人が見回すだけでも概算で三、四十人。只でさえ広いのに同じ部屋がまだあと二つもあるというのだから、この船の大きさを容易に連想させる。

 急に見張りの太鼓の音が止まった。

 マストからまるで船を揺るがす様な角笛の音が響いたのだ。

 それは船に乗る者逹全てに陸が近いことを報せる為の合図。


「帆を畳め! 錨を下ろせ!」


 その言葉を号令に一斉に動き出す船員は、素人からすれば甲板をやたらめったに走り回っているようにしか見えない。

 だが、誰一人としてぶつかることは無く自分達の仕事をてきぱきとこなす。

 経験豊富な海の男だからこそできるすばらしい連携である。

 上が大騒ぎになっている頃、一仕事を終えた漕ぎ手達が久々の休憩と仲間の別れで湧いている。

 ここにいる犯罪者や奴隷の中に一人だけ特異な者が居た。

 年は二十代半ば、焦げ茶色の髭や髪が伸び放題。

 少しやつれているが優男ではなく、体つきは細身ながらも鍛え上げられた体つき、身長も決して低くはない。

 犯罪者でもないのに経験してみたいという理由で一年契約の漕ぎ手となった男、リン=グラン=エクシブは契約を終え、また一人の旅人に戻る時がきたのだ。


「エクシブ、どうだったよお勤めは?」

「十年なら死んでたな。重い罰になるわけだよ」


 見張り役の男ザクの言葉に苦笑いしながら答える。

 すると、エクシブの背中を叩きながら笑った。


「そうだろ、そうだろ。こっちにとっちゃお前は大事な戦力でもあったからな、漕ぎ手で死なれちゃ困るからひやひやしたものだぜ」


 洒落にならない、と苦笑いでザクに返したエクシブは、自分の回りにいる囚人たちとも挨拶を交わす。


「オレは降りるが、またいつか会えたら酒でも飲もう」

「はは、運良く生きてればな。お前は俺たちと違う。意地でも長生きしろや」


 彼らは重罪人。この厳しい環境においてはもって二、三年だろう。言うなれば今生の別れである。それでも彼らは笑いながらエクシブを送る。人以下と成り下がった彼らと近い目線で生きた最後の者。

 交わす言葉は軽いが想いは違う。この場を生きて出る者に自分たちの分まで、と想いを託して送り出すのだ。

 故にその想いに対して目に光るものが現れようと、凛として返さねばならない。


「任せろ」


 たくさんの歓声が上がる中、ザクが声をかける。


「挨拶が終わったら、船長室へ行け。契約の終わりは船長に、だ」

「わかった。後で行くよ」


 この部屋に居る者たちへの挨拶も終わり、別室の船員たちのもとへ行こうと扉に手をかけたエクシブは、返事をしながら部屋を出た。


「契約終了……か」


 騒がしくなった部屋の扉を閉めこの一年をふり返る。

 辛い経験ではあったが、その分二度と味わえない良い経験でもあった。

 沈没を想わせる様な大嵐の晩や積み荷を狙った海賊との戦い。

 エクシブは感傷にひたりつつ仲間の旅の安全を神に祈った……が、その目で見たものではない限り、なにものも信じてはいない自分が、神の偶像に祈りを捧げていることに気付き、苦笑して次の部屋へと足を向けた。

 仲間逹への挨拶回りもすでに終わっていたエクシブは、預けてあった旅の荷物を受け取りに船員の詰め所にいた。

 自前の短刀を使って顔の髭を剃り散髪もし、薄汚れたシャツに軽い膝あて付きのズボンに固めの革のブーツを装着する。

 荷物を纏め旅の準備を終えた傭兵エクシブは、ザクの言葉に従い船長室に向かう。

 理由は一つ、この船旅を終わらせるためである。

 詰め所からは二部屋先の船長室。到着すると一呼吸おいて息を整える。そして扉の前の護衛に見せ付けるかのように姿勢を正し、閉ざされた扉の奥にいる船長に聞こえるよう声を出す。


「リン=グラン=エクシブです。契約終了の願いの為参りました」


 妙な間の後低い声が響く。


「…………入れ」


 言葉に合わせ護衛が扉を開けエクシブを誘導する。部屋は狭く、本棚と机にベッドくらいしか置いてはない。

 机の前にはエクシブの署名が入った契約書を片手にこちらを見ている船長。

 躰の至るところが鍛えられ、力比べなどしようものならどんな猛者もあっさり負けてしまうだろうと思われる太くて固そうな腕は、大海原で鍛えられた男の証である。


「契約書には一年間の漕ぎ手と戦闘要員とあるが、相違無いか?」

「ありません」

「この契約書通り、仕事をしてきたか?」

「はい。してきました」


 次から次へとくる質問をエクシブが即答すると、船長が睨み付ける。

 その眼光の鋭さにたじろくが、無駄な言動は慎まなくてはならない。

 これは儀式なのだ。


「ならば、その証拠を見せてみろ」


 エクシブは革手袋を装着したまま右手を船長にむかって差し出す。その言葉には、しっかりやっていれば証拠として手にオールの豆が出来ている、という意味合いが込められている形式のみの儀式なのだが……。

 革手袋を見て船長は言う。


「やはりとらないか」


 苦笑いで返す。


「これだけは」

「まあいい」


 理由がわかっている船長は特に深追いせず、解放の儀式をこなしたエクシブに対し満足げに頷くと、契約書を机の上の蝋燭にあて燃やした。


「今日この日をもってリン=グラン=エクシブを解放とする」


 エクシブはその言葉と同時に大きなため息を吐く。

 緊張が解けたのか、へなへなとエクシブの身体がだらけていった。

 それを見た船長はにやりと笑い聞く。


「さしものグラン=エクシブも緊張するか?」


 苦笑しながら自分の頭を掻きこたえる。


「あんな眼光で見られちゃ、猛獣だって裸足で逃げますよ」


 怖かった、と大袈裟に肩を竦めて言うエクシブを、船長は豪快に笑った。

 船は遠い東の島国リハンの港に停泊していた。


「なあ、ここで本当にいいのか?」


 契約を終えたエクシブは降りる港を選ぶ権利が与えられている。今回停泊している島国のような場所で降ろしてもまた船に乗らねば出ることが叶わない為、二度手間となる。それに乗船代はけして安くはない。皆が止めてくる。しかしエクシブは常々この土地に来たいと思っていた。故に丁度良いからここで降りると言ったのだ。

 皆信じられないと言った顔をしてエクシブを見ている。

 船長に至っては、一週間はここで停泊しているから気が変わったなら言ってくれと、わざわざ停泊日まで伸ばしてくれた。

 通常の停泊日数なら二、三日がいいところなのに……だ。そのうえ、正当な報酬だと金貨までくれたのだ。

 袋に入りちゃらちゃらと鳴る。おおよそ三十枚。この枚数なら当分遊んで暮らせる。


「通常は漕ぎ手を送って来たとこに払う分だが、お前の場合は自分自身だからな」


 正当な報酬と言われてしまえばエクシブも受け取らねばなるまい。

 船長に感謝を告げ、遠慮なく戴いくことにした。


 東の島国リハン。


 望まずにこの地に来れたのは幸運である。自腹で渡ればかなりの金額となってしまう。

 一年ぶりの大地。

 漕ぎ手の間、船を降りることは禁じられていた。

 久しく見る地面にエクシブは意気揚々と船を降りていく。


 この地の建物は木造だと言うのに、築百年をとうに超えている物が多い。嵐や津波もあると言うのにだ。

 エクシブがこの地に降りた理由は正にそれ。

 実はこの国には変わった特産物がある。それは加工すれば永遠に使えると言われている木である。

 永遠に、というのは言い過ぎだろうが、耐久性に関してはあながち嘘ではない。そんな木に魅了された一人の貴族がいた。

 エクシブは船に乗り込む前に、なんとか苗木を手に入れてほしいと依頼されていた。

 ギルドを通している上に期間無制限の依頼。

 なかなか来ることができない地、依頼を早く済ませておいて損はない。

港を出て街を見る。


「まるで村だな」


 見たままを口に出したが、世間的に言うとここは立派な王国だ。

 見た目は村とはいえ、流石に宿が無いということはない。寧ろ外来者が多いため、宿や酒場が多い。エクシブは貰ったばかりの金貨を奮発し、少し高級な宿を確保した。

 一休みして宿から出ると、そこらじゅう顔見知りの船員だらけなのは少々驚いたが、一年ぶりの地面なのに今までとあまり変わらないというなんとも言えない脱力感が驚きを上回っていた。


「今日はどうするんだ?」


 不意な問いに、いぶかしげに返す。


「取り敢えず知りたいことがあるから酒場に情報を求めに行くつもりだが」


 船員達にそうこたえる。

 それは口実で、エクシブの本当の目的は一年ぶりの酒とご馳走にありつくことである。

 しかし、「へぇ、そうか」と、特に興味無さそうに返事をするわりに何故かニヤニヤしながら皆ついてくる。


「な、なんだよ?」


 どうやら金を受け取ったことは知れ渡たり、エクシブのささやかな楽しみもバレているようだ。

 ふと、金貨の入った袋を見つめる。



「まあ、しかたがないか」


 派手に使ったとこで、まだ余りが出る金額である。

 それならば。

 

 エクシブはため息混じりにそう呟き、片手を軽く振り皆を促した。

 外来者を受け入れる酒場ノ並びは時間に関係なく賑わい、そんな彼らを呑み込んでいった。


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