聞いてません
「ルテティア領ですか」
完全復活を遂げたセルシュヴィーン様は、政務の息抜きがてら、秋風の心地よい中庭を散策している。ケリドウェンは──クヴァシルもそうだったけど──秋が短く、紅葉もない。中庭には魔法で開花時期のずらされた花々が咲き誇っている。
今さらだが、セルシュヴィーン様はケリドウェン王国の第二王子。王位継承権は、ユーフレヒト第一王子、レイリーン第一王女に継いで第三位だ。まだ立太式は行われていないが、次期国王はユーフレヒト殿下と見なされている。セルシュヴィーン様はユーフレヒト殿下が即位するまで継承権を持ち、即位後は継承権を放棄する予定だそうだ。また、ユーフレヒト殿下の立太子と同時に、大公爵になることも決まっている。
その時に治める領地がルテティアだ。ルテティアはケリドウェン王国とクヴァシル皇国、ガルディス帝国の国境付近にあり、国防の要となるところ。セルシュヴィーン様が専属護衛騎士を聖騎士から選んでいるのは、それも絡んでいるらしい。ガルディス帝国はケリドウェンとクヴァシルが一つの国、コンスタンス帝国だった時に戦争を度々仕掛けてきていた国だ。ただ、コンスタンス帝国のときに休戦条約を結んだため、ケリドウェンとクヴァシルに別れてしまった今となってはその休戦条約は少々あやふやな状態にある。
セルシュヴィーン様は王族の直轄領としてルテティアの領主をしている。ルテティア領では毎年この次期に収穫祭を行っているらしく、セルシュヴィーン様は必ず参加するという。
「一週間後に王都を発つから、準備しておいて」
お腹空いた、と言うような口調で告げるセルシュヴィーン様にチョップを食らわせたい。そういうのはもっと早く言ってほしかった。ただ、それまでに休みが1日入っているおかげで、足りないものを買い足すことができるのは、不幸中の幸いと言ったところか。
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セルシュヴィーン様から準備をするように言われてから2日後。貴重な休日を私は下町で過ごしていた。
あの後よくよく考えたんだけど、準備するものなんてほとんどないんだよね。前世で旅行となると、服に下着に洗面道具にと、その他もろもろをスーツケースに突っ込まなきゃいけなかった。でもね、今の私には亜空間が使えるわけで。しかもクリスティーナの時に色々作ってたから、服も結構入ってるんだよね。食事とかはセルシュヴィーン様の屋敷でお世話になるらしいし、持っていくものってないんだよ。
……てことでお菓子を買いに来た。ところで、バナナっておやつでいいのかな。これは人類最大の謎だと思う。これに簡単に答えを出してはいけない。いや、出せてはいけない。この世界にもバナナらしきものはある。見た目はバナナなんだけど名前がキウイという不思議なフルーツが。とりあえず私はそれを買い、下町に来たついでにジルバのパン屋に顔を出すことにした。
久し振りに訪れたパン屋は相変わらず賑わっていた。焼きたてのいい香りが鼻をくすぐる。エミリーに聞いた話では、昼どきになると行列ができるようになったらしい。あっという間にパンが売り切れてしまうのが最近の悩みだと、インディがぼやいてるとか。売れ行きがいいのが悩みなんて幸せなやつだな。
そのお昼どきが過ぎて休憩中のパン屋を突撃すると、ギーラさんたちはにこやかに出迎えてくれた。
「いらっしゃい、メルちゃん。そういえば前のときにお礼言えてなかったでしょう? あの時は本当にありがとう。うちのパンが被害に遭わなくてよかったわ」
開口一番、ギーラさんからお礼を言われた。私は仕事でやったことなので、お礼を言われるようなことではないと思うが、こうして自分がやったことに感謝してもらえるのは嬉しい。なんだか照れ臭くてはにかむと、インディが強く鼻を押さえる。
「インディ、どうしたの」
インディのおかしな行動を尋ねると、ギーラさんから男の子ってこういうもんよ、と言われた。解せぬ。うちの弟はそんな行動していなかったはずだ。エドルグリード様だってしてなかったし、セルシュヴィーン様もしない。もちろんジルベルトも。でも、あのキラキラ三人をインディと比べちゃインディがかわいそ……ゲフンゲフン。
「それでメルちゃん。今日は何しに街へ?」
ギーラさんがなぜだか生暖かい目をインディに向けながら尋ねてきた。
「上司についてルテティア領に行くことになったんです。その準備をしようと思いまして」
「ルテティア?! スッゲー北じゃん。これから寒くなってくるってのに大丈夫なのかよ」
私の答えにカイザーが反応した。藍色の目を極限まで開いている。パンを食べながら喋るのは止めてほしい。中身が飛んできたらどうしてくれる。
カイザーが言うようにルテティア領はケリドウェン王国の北、それも最北端にある。ガルディス帝国との国境には険しい山脈が連なっており、冬になると雪山になるらしい。
「んー、その辺は魔法でどうにかなるだろうし、仕事で行くから文句は言ってられないよ」
そう。ここには魔法という偉大な技術がある。そのお陰で、寒暖差をあまり気にすることなく過ごせるのだ。でも、大抵は衣服で調節できるから、そんなことに魔力を使いはしない。今回も恐らく魔法で調節することはないだろう。
「無理するなよ? 風邪引いて帰ってくるなんて心配になる」
鼻を押さえるのをやめたインディが心配してくれる。いつもフヨフヨしているアホ毛がピシッと固まっている。真剣な眼差しも相まって、本気で言ってくれているのが伝わってくる。
「ありがとう、インディ。でも大丈夫だよ。これでも鍛えてるし、丈夫だから」
安心させるように笑いかけると、ゆっくりと視線を反らされた。ごめん、そんなにこの顔怖かった? 困惑していると、ギーラさんがまた、男の子って……(以下省略)と言われた。やはり解せぬ。
ギーラさんが餞別に、と新作のパンをくれた。別に引っ越したりするわけでもないのに、と苦笑しながらも受け取ったそれは、なんとクリームパン! 甘い生地から連想したらしい。ホクホク顔で寮に戻った私のパンの半分が、レイリーン王女様のお腹へ消えていったのはまた別の話。
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ルテティアへの長旅は3日。王都から馬車に揺られていく。途中でいろいろな街を通り過ぎるのは楽しかったけど……、お尻が痛い……。
「……メルスティア、耐えろ」
顔に出ていたらしく、ジルベルトから冷ややかな目を向けられた。酷いよ。自分はちゃっかりクッション使ってるくせに!
私の右前に座っているジルベルトは、分厚いいかにもなクッションを敷いているため、座高が高い。あれがブーブークッションだったら良かったのに。
王家の馬車と言っても所詮は馬車で、フォルセティ領へ向かったときの乗り合い馬車に比べたら快適だけど、車を知っている私にはやはり乗り心地が悪い。けれどやはり王家御用達とあって中はかなり広い。目の前にいるセルシュヴィーン様が脚を組んでも私が蹴られることはない。この広さなら、私が脚を組んでも当たらないんじゃないかな?
「殿下、クッション取り出してもいいですか?」
数分、じっと耐えてみたけどやっぱりギブアップ! 亜空間に入っているクッションを使いたいとセルシュヴィーン様に懇願。すると、セルシュヴィーン様は苦笑しながらも許可をくれた。
すぐに亜空間からフカフカかつ高反発の私特製クッションを取り出す。これを作っていた時はなぜか唐草模様にはまっていたので、クッションカバーは唐草模様である。この世界では見たことのない柄なので、セルシュヴィーン様とジルベルトにはやはり珍しいらしく、模様を凝視している。あの、そんなに見つめられると誤魔化したとことかバレるからやめてほしいです……。
二人の視線に気付かなかったふりをして、無言でクッションの上に座る。さすがに女性のお尻の下に敷かれたものを凝視するような変態ではなかったので諦めてくれた。
それ以降お尻の痛さは軽減されたけど、ルテティア領までの道のりは長かった。王都を発ってから3日。ようやく辿り着いたルテティアのセルシュヴィーン様の屋敷で出迎えられた私たちは、衝撃を受けることになる。
「お帰りなさいませ領主様。そしてようこそお出でくださいました聖騎士様方……?」
ちょっと、最後のは何。
出迎えてくれた執事とメイドが、セルシュヴィーン様に挨拶をした後にジルベルトを見て最後に私を見た。そして何やら目配せしている。大抵の人は気づけないだろうけど、仕事上、普段から人間観察を行っている私にはわかった。ジルベルトはもちろん、セルシュヴィーン様も。
────あれどういう合図?
────さあ、知らん。今まであんな素振りを見せたことはなかったからな
ジルベルトと目で会話する。これも仕事の副産物。ジルベルトとこんなことできるって知ったら、エミリー怒るかな。
挨拶をしてきた二人の後ろに控えていたメイドが下がっていった。おそらく、目配せされたことを伝えにいくのだろう。
「出迎えありがとうございます。これから一ヶ月、よろしく頼みますよ」
王子様スマイルのセルシュヴィーン様が出迎えてくれた人たちを労うと、屋敷の中へと向かっていく。ジルベルトもその後に続くが、私は動けなかった。
「メルスティア、どうした。行くぞ」
ついてきていない私をジルベルトが呼ぶ。
あ、うん。行くよ? 行くけどね……。言っていいよね?
────一ヶ月なんて聞いてない!!
セルシュは報連相ができないのかな(  ̄- ̄)
仮にも王子なのに。あ、王子だから許される……?
次話からゆっくりまったりなルテティア領での生活開始です……?!