クリスティーナ生存の可能性
ブックマークありがとうございます!
ケリドウェンに戻り、仕事に復帰した私は早速セルシュヴィーン様のところへ向かった。一応報告はしておかなければならない。スザンナ様によると、セルシュヴィーン様はもう動けるようになっているらしい。
「メルスティア・カルファでございます」
いつもの黒いローブを羽織り、セルシュヴィーン様の執務室の扉を叩く。すると、内側から扉が開いた。
「戻ったのか。殿下はほとんど回復しているので会っても大丈夫だろう」
開かれた扉に向こうにはジルベルトがいて、背後をちらりと見やってからそう告げた。
中に入ると、倒れる前と同じように執務机に向かうセルシュヴィーン様がいる。少々鬱々とした表情な気がしないでもないが、ある程度は回復しているのが伺える。ただ、私が入ってきたことには気付いていないらしく、黙々と作業を続けているようだ。
「殿下」
作業の邪魔をするのは申し訳ないけど声をかける。すると、止まることなく動き続けていたセルシュヴィーン様の手がピタリと止まり、おもむろに顔を上げた。生気の満ち溢れていたあのキラキラしい顔は、心なしか色が抜けている。虚ろな碧眼が私を捉えた。
「その声は……、クリスティーナ嬢」
……へ?
背中を嫌な汗が伝う。私を見上げるセルシュヴィーン様の目は、焦点が合っているようで合っていない。それが逆に本当の私を見透かされているようで、鼓動が速くなる。
「いえ、違います殿下」
声が震えないように気を付けながら間髪入れずに否定した。
「いいえ、その声はクリスティーナ嬢でしょう?やはり生きていらしたのですね」
喉がひゅっと音を立てる。まさか哀しみにくれて敏感になった?!いや、あり得ない!ここでバレるなんてやだよ!
「殿下、私はクリスティーナ様ではありません。メルスティア、貴方の護衛騎士のメルスティア・カルファでございます。お気を確かに」
くすんでしまった碧眼を見据えながら諭すように述べると、そのぼうっとした目は、だんだんと焦点が合ってくる。
「……っ!メルスティアか。すまない。あまりにも似ていたから……。いるわけがないのに。あの女はもう……」
焦点が合った瞬間、セルシュヴィーン様がはっと声を上げた。しかしすぐに虚ろな目に戻り、手元に視線を落とした。自嘲気味な笑みを口に浮かべている。
「ジルベルト、殿下はいつも……、こうですか?」
「これでも本当に回復した方だ。目覚めてすぐは目も当てられないほど……」
小声でジルベルトに尋ねると、表情のない顔で淡々と返された。しかしそれもすぐに語調が下がっていく。
私が死んだという情報があるからこうなっている。なら、死んでいないかもしれないと教えたら?もしかしたら復活するだろうか。それを伝えるには、私の正体がバレるかもしれないというリスクを伴う。でも、それがあったとしてもセルシュヴィーン様のこんな姿は見ていられない。いつもの余裕のある(黒い)笑みの方が似合う。まあ、伝えたとしても魔力偽装はそもそも存在しないから、魔力の違う私の正体がバレることなんてそうそうないかもしれない。
「ジルベルト、もし……、もしも殿下が元に戻るかもしれない情報があると言ったら信じますか?」
ジルベルトの方を向くことなく尋ねた。目を見て言える気がしない。
「少しでも可能性があるならな。ただ、それが偽りだったときの反動は計り知れない。伝えるのら真実だけにしてほしい」
静かに答えるジルベルトの声は少しの期待をはらんでいた。真実だけ、か。じゃあ伝えない?生きているかも、と伝えたところで、生きていることは確定になる。
暫しの逡巡。……背に腹は変えられないとはこういう時に使うのだろうか。
無言で防音結界を展開し、セルシュヴィーン様に話しかけるが反応がない。仕方なく、魔法で能に直接語りかける。
『セルシュヴィーン殿下、クリスティーナ様は生きているかもしれませんよ』
ガタンッ!
派手な音を立ててセルシュヴィーン様が立ち上がった。突然の、普段ではあり得ないセルシュヴィーン様の行動にさすがのジルベルトも驚きを露にする。
「メルスティア、それはどういう?!」
あまりの気迫に思わずたじろぐ。が、ここが正念場。セルシュヴィーン様が食いついた。ここできちんと話を続けなければ。
一つ息をつき、意味ありげに微笑む。
「あの走り書き、最後まで読まれましたか?クリスティーナ様の死因はなんです?」
「『死因』……?」
セルシュヴィーン様は整った眉を潜める。どうやら『死んだ』という言葉しか見ていなかったようだ。懐から例の紙切れを取り出す。
「『病死』となっていますよね。おかしくありませんか?」
まじまじと紙を見つめるセルシュヴィーン様に淡々と問いかける。お願いだから、どうか知ってて……!
突然、セルシュヴィーン様の目がくわっと見開かれた。あ、気づいた。
「あり得ない。フォルセティ公爵家は……」
恐る恐る顔を上げるセルシュヴィーン様。その顔は動揺に塗り潰されている。私は何も言わずただただ頷くだけ。
ジルベルトは表情は変わらないものの、何が何だか分かっていないだろう。心の中でクエスチョンマーク飛ばしまくってんのかな。
「決して病気にかからない」
セルシュヴィーン様の言葉にジルベルトが固まる。普通あり得ないもんね。決して病気にかからない人間なんて。でも、それがフォルセティ公爵家の血筋だ。実際は毒にも免疫があって、大抵の毒は効かない。ロイのときのは例外だ。まあ、物理で来られたらそこは他の人と同じだから死んじゃう。私の場合は撃退しちゃうけど。本来一部の限られた人間しか知るはずのない情報。けれど、親衛隊たちのあの情報収集能力は国家より優れていると言っても過言ではない。だから、セルシュヴィーン様は知っていたのだろう。
このことに気づくやいなや、セルシュヴィーン様の碧眼に輝きが戻り、真剣な眼差しに変わる。頭の中で膨大な情報を整理しているのだろう。顎に手を添えて机の縁を見つめている。
セルシュヴィーン様の頭脳は、世紀の天才と呼ばれるエドルグリード皇子をも凌駕する。どうか、事故死や殺人の可能性に辿り着かないでほしい。いや、辿り着くか。でも、生きていると信じてくれることを願おう。
「殺害の可能性は……、なきにしもあらずかな。毒殺ならば病死に見える。だが、そうであれば次の婚約者が決まるのはもっと遅いはず。新しい婚約者をエドルグリード殿が慕っていたとしても、あの人は問題を解決してからそちらの手続きに取りかかるだろうから。こうなってくると、考えられるのは魔力の暴走か何かで昏睡状態か、行方不明……?もしくは事故死……?いや、それはあり得ないな。それなら公式で情報がくる」
嘘でしょ。これだけしか情報がない中でそこまで辿り着くの?!すごすぎる。ただ、辿り着いたところが少々奇想天外な気もするけど、あながち間違いでもないんだよね……。本物の私はここにいるから、あの時死んだ私が人形だとばれたら、私は行方不明扱いになるわけだし。
でも、私が自分の意志で他国へ亡命したという仮説は出てこなかったのは安心だ。
少なくとも、セルシュヴィーン様に活気が戻った。今はそれだけで充分である。私の正体がバレるリスクが上がったけどね。ジルベルトもそんなセルシュヴィーン様を見て心なしか口の端が上がっている。
「ありがとう、メルスティア。クリスティーナ嬢が生きてる可能性がある以上、私は見つけ出してみせるよ。ジル、メルスティア、協力してくれるよね?」
……前言撤回。セルシュヴィーン様の活気は戻らなくてよかったかもしれない。
セルシュ恐ろしや……。
次話は閑話入ります。親衛隊の閑話デビューだ!!