白猫の宅急便
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「殿下、昨日は御前で取り乱してしまい大変申し訳ございませんでした。いかなる処罰が下ろうと構いません。殿下のお側を離れることも辞さないつもりでございます」
執務机に向かうセルシュヴィーン様の前に立ち、深々と頭を下げて潔く謝る。
昨日のこと──衝撃的事実を前に護衛対象をほっぽり出して逃走したこと──を私は反省した。それはそれは深く反省した。あの苦行のあと自室に戻ってその日の行いを振り替えると、職務怠慢及び職務放棄もいいところだ。何があろうと動揺することがないようにと躾けられた筈なのに……、いや、そんな言い訳をしている場合じゃない。いかなる理由があろうと私がやったことは職務違反なのだ。
頭を下げたまま微動だにしない私をセルシュヴィーン様が見下ろしている。見なくてもわかる。私の後頭部に突き刺さる視線はずっと動いていないから。
「顔を上げて」
いつもより低い声のセルシュヴィーン様が口を開いた。昨日は気にしてる様子はなかったけど、やはり気がついてはいたのだろう。内心不愉快に思っていたに違いない。
ゆっくりと顔を上げると、そこには足を組み替えながら満面の笑みを浮かべるセルシュヴィーン様がいた。あ、魔王だ。
「ねぇメルスティア。君は何を謝っているんだい?」
……は?この人は何を言っているんだろう。まさかあの部屋で起きたことはなかったことと同意だとは言わないよ……ね?
「なかったことだけど?それがどうかしたの?」
ゆっくりと愉しそうに笑いながら首をかしげるセルシュヴィーン様は、どうやら私の心を読んだらしい。そんな魔法ないんだけどな。セルシュヴィーン様の独自魔法かな。
「知っているとは思うけど、私は独自魔法なんて持っていないよ。それに処罰なんてないんだけど……。メルスティア、君は処罰されるのが好きなのかな?それとも処罰を口実に私の専属から外れようなんて魂胆じゃないよね?」
「そんな滅相もない……あ」
それは盲点だった。その方法があったのか!でも時すでに遅し。滅相もないって言っちゃったよ。言質を取った魔王様は実に嬉しそうに黒く笑っていらっしゃる。
「そうだよね。分かってるよ、君がそんなこと言わないと。……ジルベルト、入ってきていいですよ」
フッと綺麗な笑いをこぼしたセルシュヴィーン様は部屋の外で待機していたジルベルトを中に呼んだ。今からは私とジルベルト二人の護衛がつく時間だ。
「失礼致します」
「?!」
カチャリと小さく音を立てて入ってきたジルベルトに私は目を剥いた。
ジルベルト・プリアモス。またの名を«氷の貴公子»。愛想という言葉からかけ離れた容姿と表情筋を持つ騎士。こんな人には似合わない。そう、似合わないのだ。
……ライム色のリボンをつけた琥珀色のまん丸な目をした愛らしい白猫なんて。
いや、は?……は?!どうしたジルベルト。何があったの。頭打った?え?これどこ連れていけばいいの。精神科?脳外科?あ、この世界にはないか。んじゃどうしたら……。
「ジル、ご苦労様」
「いえ」
たくさんクエスチョンマークを飛ばしまくっている私をよそに、ジルベルトは書類を手渡すように猫をセルシュヴィーン様に手渡した。そしてセルシュヴィーン様は何の疑問を抱くことなく猫を受けとりソファに移動する。待って。突っ込みどころ満載なんだけど。
「失礼ですがその猫は……?」
恐る恐るかけた私の声はセルシュヴィーン様の耳には届いていないようで、セルシュヴィーン様は先程までの黒い魔王はどこへやら、とろけるような笑みを浮かべて猫の背を撫でつつ愛でている。猫はセルシュヴィーン様の膝の上で気持ち良さそうに体制を崩す。セルシュヴィーン様はその顎下を人差し指で撫でながら甘い声を出した。
「お帰り、クリス」
クリス……、クリス……。クリス……?!
「……っ?!!!?!!!」
驚きのあまり声にならない悲鳴が出る。慌てて口を塞ぎ二人に背を向ける。今すぐここから出ていきたい。昨日のこと反省したけどやっぱり逃げていいですか?!目の前の本棚をぶち壊して飛び出したい。
そんな逃走本能(?)を抑えて振り返る。ギギギ、ギ、ギ、……ギ……、とでも聞こえてきそうなぐらい体が思うように動いてくれない。それでもなんとか体ごと振り返ることができた。
「あれ?メルスティア、どうかしたのかい?」
白猫に向けていた砂糖菓子のような笑みをそのままに、セルシュヴィーン様は私を見上げた。やめて、私まだ死にたくない。
「いえ何も」
気がつかなくていいから。ついでにこのまま私の存在を忘れてその猫に集中してほしい。
セルシュヴィーン様に漬け込まれないようキラキラ爽やか笑顔を張り付けて答えた。不自然さは皆無に違いない、はず。
笑顔をキープしていると、セルシュヴィーン様に猫を渡したジルベルトが私の隣に並んだ。
「あれは«真白親衛隊»と«真白の会»との連絡用の猫だ」
……ホワッ?!
「あの猫の首についているリボンは魔法具だ。殿下自ら考案及び作成をなさったこの世にただ一つのな」
淡々と述べられていく内容がおかしい。セルシュヴィーン様何やってんの。能力の無駄遣いでしょうが。しかもその猫が国境越えてるのか!そりゃ誰も気づかないよ!凄いけど、凄いけど!使い方間違えてない?!
「さて、と……」
白猫を構い倒し終えたのか、セルシュヴィーン様はリボンに魔力を通し始めた。
するとリボンから一筋の光が漏れだして、そこに形が形成されていく。十秒ほど経つとそこにはA4サイズの茶封筒が。いや、待って。突っ込ませてもらいます。太すぎない?!それ何センチあるの。よく中身入ったね!
セルシュヴィーン様はその重たそうな茶封筒を抱えていそいそと執務机に向かう。椅子に腰かけ目にかかっていた前髪をさらりとかき上げたセルシュヴィーン様は、キリリとした表情で私を見つめる。確かに絵にはなってるけど嫌な予感しかしない。
「メルスティア、不可視、音声遮断、人避けの結界を頼む。絶対に壊されないやつね」
やっぱりそうですか!期待を裏切らない人だ。
「畏まりました」
即座に結界を展開する。こんなのちょちょいのちょいだ。
結界が張られたのを確認したセルシュヴィーン様は満足そうに頷くと、ほくほく笑顔で封筒の封を切る。一体何が出てくるのやら。
私だけが固唾を飲んで見守る中、セルシュヴィーン様がまず取り出したのは数枚の絵だった。ほとんどが写真と見まごうほどのクオリティだ。ひくっと顔が引きつりそうになるのを必死で耐える。その絵の中で私が着ているドレスは見覚えがある。いつかの夜会に着ていったものだ。どこで描いていたんだろう。見られてる気がしなかったのに……。
頬を緩めたセルシュヴィーン様は次に書類の束を取り出す。今日セルシュヴィーン様が処理する予定の書類と同じか、それ以上はあると見た。目眩起きそう。
明後日の方向を見ようとしたところで封筒から小さな紙切れが落ちた。罫線が入っているのでノートの切れ端が何かだろう。私よりもセルシュヴィーン様の近くにいたジルベルトがそれを拾い上げてセルシュヴィーン様に渡す。
セルシュヴィーン様が渡された紙に目を向けた瞬間、固まった。そしてみるみるうちに青ざめていく。
「殿下……?」
ピタリと石のように動かなくなったセルシュヴィーン様にジルベルトが声をかける。けれどセルシュヴィーン様は全く返事をしない。聞こえているのだろうか。いや、これは……。
「殿下っ!」
セルシュヴィーン様に聞こえるように大声を出す。今は結界があるから、外に聞こえて騒ぎになることはない。私の声にも反応を示さないセルシュヴィーン様に、私とジルベルトの間に戦慄が走る。
何の前触れもなく、セルシュヴィーン様の体がフラリと揺れて倒れていく。すぐに駆け寄って体を支えるけど、重い。力が入っていない。動かないセルシュヴィーン様を魔法で浮かせてソファに横たえる。
「失礼します」
セルシュヴィーン様の額と頬に手を当てるとすごく冷たかった。脈は……、早い?!あの紙に一体何が。
「メルスティア見ろ」
ジルベルトがさっきの紙切れを渡してくる。そこにはかなり急いでいたのだろうと思われる走り書きが。
『クリスティーナ様がお隠れに。死因は病死』
短いその文を見て納得した。これでショックを受けたのか。さて、どうしたものか……。
ジルに可愛い猫ちゃんは似合いません。この白猫はこの章のプロローグで登場済みです!そしてそこにいた令息令嬢はみんな«真白親衛隊»か«真白の会»所属です。気になる方は戻っててください。
そして最近思うこと。この作品の男性キャラってヘタレが多い気が……。
次話、倒れたセルシュはどうなる?倒れた原因は他言できない……!どうするジル、メルスティア!!