ソジ戦記
10年前、このヤマタ二ノ国は原因不明の大水害で人口の半分が死亡、または行方不明となり、国のほとんどが水に浸かり、陸はほとんど沈み、道路は川に、小さな家屋は水に流され、浮き城と呼ばれる巨大な建物に集合住宅が作られ、人々はそこで暮らすようになり、移動手段は車から水上飛行艇や船へと変わっていった。
「着陸態勢に入る」
ソジはそう言うと、徐々に飛行機の高度を下げ始めた。
飛行機は浮き城が密集した浮き城寄せと呼ばれる生活区域の水路に着陸し、一つの浮き城の中へと入っていった。
「遅かったな、ソジ」
ソジが住む浮き城に戻って来たところをで迎えたのはソジの親友でルームシェアをしているヤスだった。
「北の方でまだ敵がうろついてる。」
「またか。近々来るかもな。」
「ああ、備えておくべきだ。」
この二人、ソジとヤスは航空隊に所属しており、大水害以降、現れるようになった空賊達を取り締まる役割を担っている。
「おかえり!ソジ!ヤス!」そう言って部屋に帰ってきた二人を出迎えたのはルームメイトのソナだった。
大水害後、身寄りを無くした人が多く、ソジ、ヤス、ソナの三人はこの浮き城に定住が決まった時に部屋分けで知り合った身寄りを無くした孤児達だ。
三人のように仲良くなるものもいれば、ルームメイトと馬が合わず、政府から指定された浮き城を抜け出し、流浪人として生きる者も多かった。
空賊達のほとんどはそうした流浪人で構成されている。
「ただいま、ソナ」
ソジはそう言うと、自室に入って行き、ヤスはソナから水を受け取るとそれを黙って飲み干した。
「ソジ、なんかあったのかな?」
ソナがヤスにそう聞いたが、ヤスは仏頂面のまま「知らねえよ。ソジが部屋に直行するのなんてよくあることだろ。気にすんな。」と答えた。
ソジは部屋で日誌をつけていた。空賊の出現情報などを細かく書き込んで、次にどこから現れるか、空賊のアジトはどこか、どこを守れば良いのかを考えていた。
一時間ほど経って、ソジの部屋の扉が開き、ソジはヤスに「ちょっと来てくれ」と手招きした。
ヤスは立ち上がり、ソジの部屋に入っていった。
「ここ一ヶ月の空賊の出現場所をまとめたところ。やはり北が多い。北を重点的に守るべきだと思うんだが、どう思う?」
「罠かもしれんぞ」
「北以外は出現したとしても出現時間が非常に短い。恐らく、奴らの飛行機にとっちゃ飛びにくい場所なんだろう。」
「少しずつ北の守りを固めるってのはどうだ?」
「よし、それで行こう。」
ソジとヤスは早口でそんな会話をした。
ソジとヤスが一緒に部屋から出てくると、ソナが「ご飯出来てるよ」と声をかけ、ヤスは時計を見て、「もう夜か」と呟くと、三人は食卓に座った。
「ソジ明日も朝から見回り行くの?」
「ああ。」
「へえ。大変だね。頑張ってね。」
「何時に帰ってくんの?」
「夜かな」
「お弁当いる?」
「ああ、頼む。」
「ソジはさ…」
「ソジの話ばっかだな!お前は!」
ヤスが大声をで言うと、ソナはちょっと照れたように俯き、ソジはヤスに「食事中に怒鳴るなよ。」と言って、料理を口に運び続けていた。
1番先に食べ終わったソジは食器を台所に運び、それを洗い始めた。
その時だった。
サイレンの轟音が部屋に響く、ソジは「空賊だ!」とヤスに向かって言うと、急いで自室から航空隊の制服を取り出し、大急ぎで玄関に駆け出し、ソジは「ソナ!防空壕へ急げ!」と言うと、ヤスと共に家を飛び出した。
防空壕とはこの浮き城の核とも言える、最も守りが硬く作られた場所で、空賊達の空襲の際の避難場所として使われ、いつしか防空壕と呼ばれるようになった。
ソジは水路に停めてあった、自分の飛行機に乗り込み、エンジンをかけ、続いてヤスもその飛行機の後部座席に座り、「後部銃器任せろ!」と言って、椅子を回転させ、後ろ向きに付いている銃のハンドルを握った。
「行くぞ!」
ソジのその一言と共に、飛行機は水路を水しぶきを上げながら、進み、次第に速度を上げ、一気に空へ飛び立った。
ドドドドドド、機銃音のみがコックピットに響く。
襲来した空賊の数は二人の予想を遥かに超えていた。
空賊達の迷彩柄の飛行機が巣を攻撃された蜂のように飛び交う中を、ソジとヤスが乗った真紅の飛行機がツバメのような速さで飛行し、次々と空賊達の飛行機を撃墜していく。
「下のことも考えろ!浮き城に落ちたらどうする!」
ソジが叫ぶと、ヤスはそれに負けないくらいの大声で「んなこと気にしてられっか!こっちは生きるか死ぬかだぞ!」と叫び返した。
その時、ソジが真紅の飛行機を急旋回させ、そのまま急降下させた。
数秒後、空賊達の飛行機が次々とぶつかって行き、次々と爆発していく。
真紅の飛行機は急降下から体制を立て直そうと、機体を海面に水平にさせようとしたが、間に合わず、そのまま海に突っ込んだ。
薄れて行く意識の中、ソジの目に映ったのは太陽のように光輝く、飛行機の爆炎によって作られ、水中に差し込む光だった。
「おい、起きろ。ソジ、ソジ!」
その声で目を開けると、ヤスが僕の顔を覗き込んでいた。
「ここは?」
「岩の上だ。落ちた近くに岩場があって、幸いだったな。まぁ、当たってたら死んでたろうが、無くても溺れて死んでた。」
「飛行機は?」
「そこに浮いてる。ボロボロだけどな。」
ヤスの指差す方を見ると、ほぼ原型のなくなった真紅の飛行機の破片がいくつか浮いていた。
「まだ名前も付けてなかったのに…。」
そう呟いた僕をヤスは呆れるように笑って、「お気に入りだったのにな。」と言ったっきり黙り込んだ。
二時間ほど経った。
政府直属の海上隊が、僕らを見つけ、僕らは海上隊の船に乗って、浮き城に戻った。
僕の真紅の飛行機は運ぶことはできず、海の中へと消えていった。
「今回捕まった空賊が3人いるらしい。」
「そうか。」
「会うか?」
「いや、遠慮する。」
「あの機体のことまだ落ち込んでるのか?」
「まぁな…」
「新たな機体の製造約束は取り付けたんだし、今回は水に流せよ。生き残っただけでもありがたいと思え。」
「そうだな。」
ソジとヤスはそんな会話をしながら、家に帰り、扉を開けた。
「おかえり!」
いつも通りの声が聞こえる。
リビングに入ると、そこには右腕を骨折したソナがいた。
「おい、どうしたんだ?その腕」
ヤスがたずねると、ソナはぎこちない笑顔を見せながら、「避難所で色々あって、逃げる時に転んじゃって…」と答えた。
「そうか。大変だったな。」
「うん。」
ソジはしばらく黙っていたが、ただ一言、「ごめん。」と呟いて、部屋に入って行った。
数日後、再び空襲が始まった。
「間違いない。今度は空賊の頭が直々にお出ましだ!」
「なんでわかる?」
「さっき西の空の空賊の部隊に明らかに他とは違う高性能の仕様の機体が飛んでた。恐らく仲間を助けにきたんだ。」
「情が厚い奴らだな!」
ソジとヤスは航空隊の工廠に駆け込んだ。
「出撃する!準備お願いします!」
「し、しかし…まだ飛行テストも…」
「出撃するって言ってんだ!さっさとしてくれ!」
「はっ、はい!」
ソジとヤスは以前のように、ソジが操縦桿を握り、ヤスが後部の機銃を持った。
エンジンがかかり、ドドドドという音をあげ、水路を滑るように進み出し、凄まじい爆音と水しぶきをあげながら、新たな紫色の機体は空へと飛び立った。
「ヤス!この機体の名前はホープにする!前の機体は名前を付ける前に沈んだからな!」
「今は名前なんてどうでもいいだろ!」
「今だからこそだ!」
「勝手にしろ!」
「親玉をぶち抜く!雑魚は任せた!今回は上陸してくるはずだ!遠慮は要らない!全部撃ち落とす!」
「任せろ!」
ドドドド、ドドドド、ドドドド機銃音と爆音を響かせながら紫色の機体、ホープは次々と空賊達を撃墜し、急上昇すると、太陽の光を利用して、一気に空賊の飛行機の中で異彩を放つ漆黒の機体に近づき、背後に付き、ヤスの操る機銃と両翼から放たれた爆弾が漆黒の機体に従うように飛んでいた空賊達の迷彩の機体を炎に包ませ、落としていく。
「ロックオン完了!」
ソジは大声でそう言うと、操縦桿の真ん中にある赤いボタンを押した。
それと同時に、機体の真下から真正面に向けられた機銃が火を吹いた。
しかし、漆黒の機体はその火を食らうことはなく、急降下し、低空飛行し、ソジとヤス、そしてソナが住む浮き城の方へ向かい始めた。
「くそッ!避けられた!」
「まずい…俺らの浮き城へ向かってやがる!」
「なんで…」
「恐らく上層部の野郎共、俺らの浮き城に捕まえた空賊共を移動させたな。情報は非公開になってる。あり得ない話じゃない!」
「その場所がわかるってことは、軍に内通者がいるってことか?」
「恐らくな!」
「ヤス!全速力を出す!両翼がもげても、必ず追いついて、あの機体を落とすぞ!」
「分かった!」
紫色の機体は漆黒の機体を追い、急降下し、低空飛行で、轟音を立てて飛んだ。
まるで、水を味方につけたように水しぶきを纏いながら。
ようやく、漆黒の機体に追いついて来た時だった。
漆黒の機体の下部がキラリと光り、数秒後、爆炎となった。
その炎はしばらく漆黒の機体の後ろに吹き付けている。
だが、ソジはその爆炎攻撃を事前に察知し、機体を上昇させ、漆黒の機体の真上についた。
「一か八か。やるぞ!」
「任せろ!」
紫色の機体は更に煙を吐き、漆黒の機体を追い抜くと、漆黒の機体の前についた。
「もらった!!」
ヤスはそう叫び、一気に機銃を放つ。
銃弾は漆黒の機体のコックピットに次々と命中していき、コックピットのガラスにヒビが入り、やがて割れて行き、ヒビが入ったガラスが鮮血で染まっていく。
漆黒の機体はゆっくりと降下していき、低空飛行をしていた機体はそのまま海へと不時着した。
ソジは機体を旋回させると、両翼がもげかけ、コックピットは粉々で、機体に鮮血が目立つ漆黒の機体の側に機体を着陸させた。
コックピットを開け、右舷の上に飛び乗ったヤスが銃を漆黒の機体の方に向ける。
すると、漆黒の機体の粉々のコックピットから鮮血にまみれた男が姿を現した。
「降参だ。」
そう言った男は漆黒の機体の左翼に飛び乗り、両手をあげた。
眩しく光る太陽が、その男の少し長く伸びた金髪を照らしていた。
「名はレイ・ソードレス。大水害後、空賊になり、その手腕で空賊の長にまで成り上がったそうだ。」
「そうか。」
「それと、一人だけ身内がいるらしい。」
「そうか。」
「それがソナだ。」
ソジは出撃記録を書く手を止め、ゆっくりヤスを見上げ、口をもごもごさせながら、震えた声で「いま…なんて?」と聞いた。
「俺たちが捕まえた空賊。レイ・ソードレスの妹がソナだ。大水害が起こったのは10年前。当時、ソナは7歳。軍の見解じゃ家族を失った精神的ショックでソナが記憶喪失だったことから考えて、兄の存在を忘れていてもおかしくないってよ。それに…さっき軍による調査でソナとレイ・ソードレスが血縁関係である可能性は98%。つまり、ほぼ確定だって報告が来た。ソナの…ソナの本名はサラ・ソードレスっていうらしい。」
ヤスは持っていた軍からの報告書を強く握りしめながら、どこか悔しそうに言った。
「ソナは…ソナはこのことを知ってるのか?」
「俺たちからソナに伝えろってよ。」
ヤスは答えた後、一息置いてから言った。
「軍からの命令だ。」
ドアノブを回した時、なぜかいつもより重く感じて、更にはいつもより冷たく感じて、少しためらったが、ソジは勢いよくドアを開けていつもと違い大きな声で、「ただいま!」と言って入った。ヤスもそれに続く。
「おかえり!」
そう明るく二人を出迎えたソナは、ソジとヤスの表情からすぐに何かを察した。
「どう…したの?」
言いにくそうに黙っているソジの代わりにヤスがソナの前に立って、「話がある。座れ。」と言った。
3人は食卓に座った。
ソナと向かいあうようにして、ソジとヤスは座っている。
「軍からの報告をソナ、いや、サラ・ソードレス。君に伝える。」
ヤスのその言葉にソナはキョトンと首を傾げている。
「サラ・ソードレス。それが君の本名だ。」
ソジは小さく、呟くように言った。
「えっと、どういうこと?よく…わかんないんだけど…。」
そう聞いたソナにヤスは答える。
「先の出撃で一人の空賊が捕まった。名をレイ・ソードレスと言う。空賊の長でソナ、お前の兄だ。十年前の大水害の時に生き別れたお前の兄だ。」
続けてヤスはソナに問いかけた。
「もし面会を望むなら面会出来るが…どうする?」
ソナはしばらく黙り込んだ後、ヤスの目を見て言った。
「会う。」
ガラスで隔てられた部屋で3人が待っていると、ガラスの向こうの部屋に軍人にレイ・ソードレスが連れられて来た。
何も言わずに彼はただ座って、ソナを見つめている。
「私の兄…なんですよね?」
ソナのその問いかけに、彼は小さく「ああ。」と答え、また黙り込んで、感情を読み取ることのできない目でソナを見つめている。
「ごめんなさい。大水害の前のこと、全く覚えてなくて。」
彼は黙ったまま何も答えず、ただずっと、感情を読み取ることのできない目でソナを見つめている。
「私の両親はどんな人でしたか?」
ソナは次に彼にそう問いかけた。
彼は表情一つ変えずにまたソナの問いかけに静かに答えた。
「お前の事が大好きな仲の良い人達だった。」
「そうですか。」
ソナはどこか安心したものの、彼のその不自然な言い方が気になり、何か言葉を発しようとしたが、その前に看守が「そろそろ時間だ。」と言って、彼を連れて行ってしまった。
ソナは黙り込んでいたが、しばらくして「ソジ。ヤス。」と小さく二人の名を呼び、「ありがとう。」と言った。
その言葉を口にした後、泣きそうになっているソナの手をソジは握って大きな声で言った。
「空に行こう!」
ソジはソナの手を引いて、ソジの飛行機、軍により正式にソジに支給された紫色の戦闘機が停めてある水路へ走り、ソナはソジの言う通り、いつもはヤスが乗っている場所に乗り込み、ヘルメットを被った。
「民間人を戦闘機に乗せることは禁じられてるけど、僕は今からその掟を破る。」
ソジはいつものように、落ち着いた口調でそう言うと、エンジンをかけ、水路を進み、やがてスピードを上げ、爆音と水飛沫を纏いながら、大空へ飛び立った。
「だいぶ高くまで来ただろう?」
ソジの声がソナのヘルメットに内蔵されているスピーカーから聞こえる。
「うん。高いね。」
ソナの声もまた同じようにソジのヘルメットに内蔵されたスピーカーから聞こえた。
「ほら、見なよ。僕らのこの世界はこんなに美しいんだ。」
窓の外には吸い込まれてしまいそうな青空、綿菓子のような白い雲、眩い光を放つ太陽が世界を彩っていた。
二人が空に来て、30分ほど経とうとしていた。
「ソナ。」
ソジが呼びかけた。
「何?」
「僕は君が好きだ。」
「え…」いままで、ソナからソジへ好意を見せたことはあったものの、その逆は全く無かった為、ソナは動揺したが、すぐに嬉しさがこみ上げて来て、「ありがとう!ソジ!私もソジが好きだよ!」と言った。
紫色の戦闘機は、太陽の光を受け、キラリと輝く。
やがて海上にその戦闘機は降り立った。
翼の上に二人の男女が降り立ち、その二人は他に誰もいない海でそっと唇を重ねた。