およう
夜になった。
彦四郎は今夜は眠らないと決めて、昼寝をしつつ、どうすればいいか考えた。
まずは女を安心させよう。
そのためには刀はかたづけておいて、灯りはつけないでおこう。灯りがなくても女の姿は見えるのだから。
女を安心させることができたら、きっとおれは体を動かせることができて、声もだせるはずだ。
そうなれば慌てることはない。ゆっくりとはなせばいいのだ。
しかし、余計な質問などせず、おれはただここに住みたいということだけ伝えよう。
女にも何か言い分があるだろうから、何か話し出したら、じっくりときいてやろう。
もし、体が動かせず、声もだせなかったら・・・。まあ、その時はその時だ。成り行きにまかせるしかないだろう。
彦四郎は不思議と気楽な気持ちで、何だか早く幽霊に会いたいような感じで、時間が経つのを待っていた。
今夜はきっとうまくいく。そんな確信が彦四郎にはなぜかあった。
*
夜八つ。例のごとく幽霊は現れた。
とん、とん、とん。
表戸を叩く音である。
「はい」
彦四郎は小さな声で言った。
「ごめんくだしいまし・・・」
前とは少し違う、遠慮がちな声に聞こえる。
「どうぞ、おはいり」
少しうわずった声で彦四郎は言い、真っ直ぐ前を向いて目を閉じた。
幽霊はじっと見られるのが嫌いかもしれないと思ったからだ。
彦四郎も幽霊に見られたくないと思った。見つめられると心を読まれそうに思えた。
表戸が開き、女の入って来る気配がした。
「そこへお座り」
目を閉じたまま彦四郎は言った。
(大丈夫だ。声も出るし体も動く)
「はい・・・」
女が素直に返事をしたので彦四郎は驚いた。
彦四郎は薄目を開けて女の様子を見た
真っ黒な闇のしじまの中に女がぽつんと座っていた。
白い着物に白い顔。いつもと違って見えたのは、髪が一つに束ねられていたせいだ。
うつむいたその顔は、少し悲しげでもあったが、膝の上に乗せた手をじっと見つめている所は何か決まりが悪そうに見えた。
(しかし、自分の目の前にいる女は、本当に幽霊なのだろうか。まるで生きている女よりも美しい・・・)
彦四郎は思った。
「お・・おれの名は・・・」
彦四郎は向き直って言った。声がかすれてうまく話せない。
女が顔を上げた。
彦四郎は自分の顔が赤くなるのを感じた。
「おれの名は佐藤彦四郎と申す。そ、そなたの名は?」
やっとのことで尋ねると、女は少し微笑んで、
「おようと申します」
と言った。
「およう・・・」
彦四郎が言うと、女は小さく頷いた。
細い首筋が幼さを感じさせる。
年をきけば、十八だという。
「そうか、十八か」
彦四郎がぽつりと言った。
十八といえば、女は一番華やいだ楽しい時だろうに、そんな時に死ぬのはさぞかし辛かっただろう。
その夜、幽霊と交わした会話はそれだけだった。
おようは静かに帰って行った。
彦四郎は十分満足だった。それは、何も話さなくてもお互い気持ちが通じ合っているように思えたからだ。
なぜ、そう思えたのかはわからないが、そう感じたのだ。
おようは、もうおれを怖がらせたりしない。
おれもおようが毎晩この部屋に現れても、困ったりしない。
彦四郎は横になって、さっきまでおようが座っていた所に触れてみた。
明晩はおように茶などを出してやろう。
そんなことを考えながら、彦四郎はいつの間にか眠っていた。